温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

幽霊になった僕

 高校でブラスバンド部に所属していた僕は、毎日、午後7時すぎに最寄り駅に帰着していた。

 家は自転車で15分のところにあったが、駅周辺の集落を通り過ぎると民家が途絶えて、左手に大きくせり出した山すそを回って行かなければならなかった。

うっそうと茂るその山には墓がある。

 道路の右手は大川でその先は田んぼが広がっている、もっとも寂しいところだった。

 二学期が始まったばかりのある日、7時といえば、もう真っ暗である。自転車にはライトが点いているので走行に支障はなかったが、この辺りを走るのは怖かった。

「怖いな」と思いながら通過していたが、この山の墓は僕の家の墓だった。昔は個人ごとに土葬していたから二壇になって50柱ほどあった。

「わが家の先祖がいる墓なのに、なんで怖いのだ」

 いつも自問しながら通過していた、それでも怖い、どうしても納得がいかない。

 克服するには、その場所に行って見るに限ると気づいた。

「怖いと思うから怖いんや」と己を叱咤し、自転車を止めた。

 道端に自転車を止めて置けば通りがかった人が不審に思うからと、道端の草の中に倒して置いた、こうすれば見えないだろう。

 山へ上っていった。墓は山の中腹だから50メートルほどだ。

 半月くらいの月だったが道はなんとか見えている。

 上り始めたものの目指す先は暗闇である。そこには何がいるかも判らない恐怖心がある。とてつもない闇の中へ近づきつつあるような怖れがあるのを無視して歩みを止めない。

 坂道はかなりの急こう配で昼の墓参では僕でも息をはずませているのに、周りが暗いせいであろうか、まったくと言っていいほど疲れを感じない。

 ジーっと暗闇の墓地を見つめながら登って行く。

 未知の領域を僕の足が犯していくにしたがって恐怖の域が薄れていった。

 墓地に着いた。そこは山の斜面を削って造った壇で鬱蒼と茂る木々に覆われた穴倉のようになっている。

 墓碑は闇に包まれていた。最初はなにも見えなかった闇に眼を据えていると慣れてくるにつれて、かすかに並んでいるのが見えてきた、その先は漆黒の闇である。

 見ればなんともない暗闇も見ないから怖いのだ。

 合掌した後、両手を組んでその場に佇んだ。

 ジーっと立っていた。恐怖はなかった。元来僕は幽霊やお化け、妖怪という類は信じていない。もし仮にいるとしても僕の先祖の墓だ、攻撃してくることなどありえない。

だが、暗闇では襲ってくる何がいても分からない、いつどこから襲われるか分からないという恐怖心はあったが、それも薄れていった。

 直ぐ近くでゴソゴソ、ガサガサと音がしている。当時熊はいなかったから襲ってくる獣はいない、何かの小動物が動き回っているのだろう。ウサギかなキツネかなと思いながら斜面を探したが暗くて見えない。普段人間に姿をさらすことはないが意外に多いと気づいた。

 下の道路を走っているときには感じることの無かった風の音が向かいの山から聞こえてくる。

 僕の周りは静かである。蚊がまったく寄ってこない、かすかではあるが風が流れているから飛べないのだろう。

―さあ、帰るか。

10分ほどしてから動いたとたん、山の動きが止まった。小動物も警戒したのだろう。

 2、30歩ほど離れたとき、墓地に背を向けたことで得も言われぬ恐怖に体が包み込まれた。立ち止まって振り返り墓地の暗闇を透かし見た。「怖いものはいない」と自分に言い聞かせ恐怖心を征服できると再び歩き始めた。

 墓から三分の一は木々に覆われた暗い道だが、それを過ぎると右手の斜面は開けている。下の道路がかすかに見えていた。

そのとき、駅の方から自転車が1台走ってきた。ぼんやりと姿が見えるだけだったが、どこかの兄さんのようだった。

ふと、自転車が止まってこちらを見た。自転車を跨いだまま右足を地に付けて止まりジイーっと見ている。下からは僕の姿は見えないはずだ。二学期が始まったばかりで白のカッターシャツに黒のズボンを履いていたから、おそらくボーっと白い何かが浮いて居るぐらいにしか見えないだろう。

困ったと思った。こんな真っ暗な山に明かりも持たずに入る者などいない。「墓参りに行ってきました」と言うか、「肝試しに墓へ行ってきた」と言うべきか迷った。いずれにしても普通ではない、「お前、馬鹿か」と言われるだろう。

しばらく止まっていた僕が意を決して下り始めた。「ここを通るのが怖いから度胸を付けるため墓に行ってきました」と言うしかないと思ったからだ。

そのとき、兄さんは飛び上がったように自転車ごと倒れ、急いで起き上がると飛び乗って、ものすごい勢いで走り去った。

唖然と見送りながら「助かった」と思った、弁解しなくて済んだのだ。

 

 家へ帰っても、今回のことを家族には話さなかった。

「馬鹿か」と言われるに決まっている。

それにしても、あの兄さん、えらいあわてて逃げたな。と思ったとき、「あっ!そうか、僕を幽霊と勘違いしたんだ」と気付いた。

  

 その後、「幽霊が出た」とか言う話は聞こえてこなかった。

 あの兄さんも口をつぐんでいるのだろう。