温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

風流兄さん

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  ある年、母の実家になる親戚の祭りによばれたとき、三男の兄さんが家を建てたということを聞いた母が興味を示し、「人に見せられるようなものではないですよ」と恐縮する兄さんを強引に案内させた。

 兄さんは東京で左官をしていたが酒におぼれてしまった。ある夜、家に帰ると嫁はおらず、家財道具も一切合切無くなって、自分が寝る寝具さえ無かった、という。

 それを機に東京を引き払って実家に帰っていたのだ。

 家の前の道を200メートルほど東へ歩いた辺りに山に通じる谷への入り口があった。道端に立っているポスト兼新聞受けから兄さんが新聞を取り出した。兄さんの家への用事は谷へ入らなくても、ここで済むようになっていた。

 この辺り一帯から本家の裏山にかけてが本家所有の山で、谷川沿いの小道を数百メートル奥に上って広葉樹林の中へ入ると、川の横に建物のない露天の五右衛門風呂があった。

「あれ、こんなところに、なんで?」

 と、その奥を見ると大きな木の下に小さな家があった、兄さんの家だった。

  家へ行くのに橋はなく1メートルほどの川の真ん中に上部の平らな石が置いてあって、そこが渡るための踏み石だった。その両側にも石が置いてあり水の一部をせき止めていた。風呂水を溜めたり洗濯をするためのようだ。

 深さ30センチほどもある水の中に魚の姿は見えなかったが沢蟹が動いていた。

 踏み石を片足で踏んで対岸へ渡ると家に向かって小径(こみち)がついていた。造成したものではなく歩くことによって自然についたものである。

 谷川沿いの道を歩いていたときはわずかながら陽を受けていたが、川を渡って林の中に入ると暗くなった。

 家の周りの大木は僕らが薪の木と呼んでいる橡(くぬぎ)だった。それぞれの木から張り出した枝が家を蔭で覆っていた。

 家ではなく小屋だと思った。表面が二間(3.6メートル)奥行きは1間半(2.7メートル)しかない。

 本家の跡取りが大工で、3男は左官であったから、間伐材を利用して2人で建てたというものだ。

 屋根は切妻で杉の皮を何枚も重ねて葺き、外壁の土壁はこの地方でよく採れるきれいな赤土であった。

一見して物置ぐらいにしか見えない。

「小屋じゃん」

 僕が言うと

「狭くても立派なわが家だ、小屋と言うな、姉さんのしつけが悪い」と冗談混じりに母に言った。

「だって、小屋だ」

「人間が生活するには横になって寝るところさえあれば十分だ」

母も兄さんもひとしきり笑った。

 家の横に継ぎ足した屋根の下に最近出回り始めた鋳物の竈(かまど)があり、その奥にコンクリート製の流し台と大きなはんど水甕(みずがめ)が置いてある。裏山から竹の筧(かけい)が来ていて清らかな音で水がはんどに落ちていた。はんどとはこの地方特産の焼き物で水かめとして使われている。

 僕らが辿って来た谷川とは別に家の裏山からも水が湧いているようであった。だが筧からはんどに落ち込む水音が表しているように谷川とははるかに少ない量だった。それでもはんどから常にあふれ出ているところをみると飲料水を確保するには十分のようだ。

壁際に薪が積んであった、長さを揃え整然と積み上げてある。きちんとした兄さんの性格が出ている。

 梁の上に竹の釣り竿が数本載っており、自分で作ったらしい竹籠がぶら下がっていた、釣った魚を入れるビクであった。 

 集落の外れに中国地方で一番大きな江川(ごうがわ)があるので、釣りによく行っているらしい。

 入口の開き戸を開けて中に入ると半間幅の狭い土間があって、突き当りに大工の兄さんが造った大きな水屋があった。その前に茶碗や汁椀、皿、箸などを収納している箱膳が一つ置いてある。本家から一式をもらい受け日常の食事に使うものだ。箱膳は食事のとき必要な食器を取り出して蓋をすれば膳になる。

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 土間の左手に1・5坪の板の間とその奥が一段高くなって畳1枚分の幅しかない寝る場所があった。板の間の中央に小さな囲炉裏があり、1人にしては大きな鍋がぶら下がっていた。

 囲炉裏の端に薄い座布団が1枚置いてある。

 突然押しかけたにもかかわらず室内はきれいに掃除、整理整頓がしてあった。

「きれいに片付いている」

 母が言った。

「その極意は、物を持たないこと」

 兄さんが気取って言った。そういえば室内にタンスなどの箱物は一つもなかった。そればかりか衣類はどこにしまってあるのかも分からず、壁にもぶら下がっていなかった。

「2個の柳行李(やなぎごうり)に入れて物置に置いているのがすべてだ」と兄さんが明した。

 

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家の中に障子やガラス窓はなく、部屋の中から外を見ると戸らしきものはなかった。

「ここ、夜はどうするん」

 まさか開け放したままで寝ることはないだろう、別の場所から戸を持ってくると思っていた。

 兄さんは黙ったまま窓の上枠に付いているヒサシを支えている左右の棒を外すと、パタンとヒサシが落ちて窓がしまった。部屋は暗くなった。昔からある突上げという窓だったのだ。

 よく見るとこの家の窓はすべて突上げ窓だった。開けるとヒサシになり閉めると戸になる、まさに合理的だ。

 でも、冬の寒い日中はどうするんだろう、障子ぐらい取り付ければいいのに。と思ったが声にはしなかった。

「陽が当たらんなー」

 外を見ながら母が言うと、

「夏はこの方が涼しくていいし、冬は葉っぱが落ちるから陽が当たる」

 兄さんはこともなげに言った。

 家の前に庭はなかった、そればかりか屋敷と山の区別ができるようなものもない。

「あの入口に枝折戸でも付ければ屋敷らしく見える」

 母のアドバイスに、

「庭を造れば掃除をしなければならない、それより山のまま置いておく方が楽だ。ただし、儂(わし)が出したゴミは一片たりとも落とさないようにしている」

兄さんらしい意見だと思った。

 縁台に胡坐をかくと目の前の、幹の下にキツネかタヌキの糞があった。おそらく昨夜のものと思われるほど新しかった。それが通りすがりに脱フンしたものではなく己のテリトリーを主張するために残しているように思えてきた。彼らにすれば己のテリトリーに人間が棲みついてしまった。互いに同じ獣であれば戦いを挑むであろうが、人間ではどうしようもない。せめてもの主張だ。

 家の上空を隙間なく覆う橡の枝葉は、その下に雑草さえ生える光を与えていない。

木漏れ日というには、あまりにも少ない陽光が木々の間を透かして地上に届いていた。燦々と輝く陽は落葉まで待たねばならない。

大木になった橡に視界を遮る下枝はなかった。幹の隙間を透して先ほど渡って来た道の横に五右衛門風呂が見えている、あの先が谷川だ。

寝る場所は板の間より一尺ほど高くしてあって、そこにはゴザが敷いてあり、きちんと畳んだ寝具が片隅に積んであった。

「これ、いいぞ」

 と言って兄さんがまくり上げたゴザの下には寝台の横幅一杯の長さでワラを固く縛って5センチほどに束ねたものを寝台いっぱいに並べてあった。

「これがワラ布団だ、ワラは呼吸するから冬は暖かく夏は涼しい」

 と言った。そのうえ、板の間に寝るより体が痛くならないし楽だ。

 驚いたことに頭の部分と足の部分にも小さな突上げ窓が付いていた。この窓は細竹の格子がついているが、そのうちの1本を木彫りのウサギが抱いているような飾りが付いている。風流な三男兄さんの得意とするところだ。そういえば、囲炉裏にぶら下がっている木彫りの鯛は兄さんが彫ったものだ。「寝たときに圧迫感を感じないよう、窓を付けているんや」

「夏は涼しいぞ」

 戸のない寝間と板の間との境上部に透かし彫りのウサギと月のある欄間が付いていた、大工の兄が彫ったものだ。

 夏には寝台がすっぽり収まる1人用の蚊帳を張っている、さらに囲炉裏に大量のヨモギをくべて煙を出すと、蚊なんて大あわてで逃げるさ、と兄さんが言う。

「夜、寝ていると頭のすぐ近くをタヌキが通りよる、あいつは臭いからすぐわかる」

兄さんは猟はしなかった。追い払うこともせず、お互いに無視しているようであった。だから兄さんの目の前でタヌキが土を掘ってミミズをさがしていることもあるという。

「しかしキツネはだめだ、絶対に姿を見せん」

「冬は寒いやろ」

「人間は昔から寒さに強い動物だ慣れれば寒くない、人間の顔はどんな寒いときでも寒くないだろ」と兄さん得意の弁がたち、

「この寝台の中にはスクモ(モミ殻)をギューギューに詰めているから暖かいぞ」

 天井がないため露出した屋根の裏側にヨシの簾を敷き、その上に藁を厚く詰めていると兄さんが説明した。外から見れば板屋根の上に杉皮を張っただけに見えるが、暑さ寒さ対策の工夫がしてあった。

 兄弟2人が知恵を絞って造った小屋は、小さいながらもアイデアいっぱいのきれいな住居だった、みすぼらしさは微塵もない。

「暖房は囲炉裏だけだが、部屋が狭いから十分な暖かさがある。どうしても寒い夜は炭火のネココタツを足元に入れたら外がどんなに寒くても体は暖かい。それに枕元の窓は余分の布団を積んでおけば風も通らない」

 1人で暮らすにはこれで十分だろう、僕は妙に感心し納得した。僕もこんなところに住みたいと思った。

「それはそうと、押し入れは付いてないが、冬物の布団や衣類はどこにおいているん」

 母が思い出したように聞いた。

「この建物が完成してから押し入れが要ることに気づいて、この部屋の裏に建て増した。だから外からまわらなければ行けない」

 兄さんが頭をかきながら、失敗だと笑った。

 寝台の上に自分で作ったらしい尺八が置いてあった。

「吹けるんか」

「作ったけどな、音はむちゃくちゃだ。それでも誰にも聞こえないからな、気が向いたときに練習しているよ」

 要するに調律はなってないが適当に雰囲気を楽しんでいるということだろう。

 風呂は谷川の横に石で竈を造って五右衛門風呂を載せてあった、露天風呂だ。谷川から水を汲んで風呂に入れるに都合のいい場所だ。

 川とは反対側に江川の河原から運んできた丸い小石を敷き詰めた洗い場が作ってあった。これならどんなに湯を使っても足が汚れることはない。さらによく見ると五右衛門風呂を固定するための石の一つが上部を平らにしてある。体を洗う際のイスにしたり入浴の足場にもなっているようである。

「この風呂は気持ちいいぞ、首まで浸かって目を閉じていれば鳥のさえずり、獣が落ち葉を踏んで歩く足音まで聞こえる。1時間でも浸かっておれるよ」

「雨の日はどうするん」

 まさか傘をさして入浴はしないだろうと聞くと、

「火が焚けんけ、入らん」

 兄さんはあっさりと答えた。

 夏は谷川で行水が多いという。

 前の道を人が通ったら丸見えだ。と心配したが、この山は本家の山だから誰も通らない。

 部屋に電燈はなく、キャンプなどで使う灯油ランタンが一つあった。

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「本家にランプが何個もあるやないか」

 本家で育った母は家で使っていたランプが残っていることを知っている。

「ランプは煤を取り除くのが大変だ」

「確かに大変だった、薄いガラスにこびり付いた煤を布で拭き取っていくが、薄いから細心の注意が必要だ、ホヤが割れやすい」

 ホヤとはガラス部分のことである。

 母が子供のころはランプの煤をふき取るのが日課だという。

 このランタンなら掃除の必要はないが明るさは暗く光の届く範囲も狭い。通常はキャンプでよく使われている。 

 別棟の便所や風呂に入るとき手で持って行くのに便利よさそうだ。

 囲炉裏に1匹ずつ串刺しにして立ててあったアユを全部抜いて新聞紙に包んでくれた、おみやげだ。

 アユには塩を付けずに囲炉裏の遠火で、じっくりあぶって水分を抜いたものである。

 このアユは味噌汁やなべ物にすると美味しいが脂がきついため、あらかじめ水で煮沸後、その湯は捨てて新たに入れた水で作らなければならない。

「なんで、こんな場所に建てたん」

 なにもこんな山中に建てなくても下の里に場所はあるだろうに、と疑問がでた。

 昔から人里離れた山中に籠って修行するお坊さんのことは聞いたことがあるが、兄さんには仏心はなさそうだ。

「この谷の奥にある田んぼからの帰りに、どこも傾斜地だったがこの辺だけ平らに見えてな、それで雑木を払ったらいい場所が見つかったんだ」

 兄さんはここをいい場所だと言った。他人との関りを余り好きでない兄さんらしい選択かもしれない。実は僕も友だちがいなくても寂しいとも思わないし必要としない性格だ。

 この土地は少しでも整備すればりっぱな屋敷になりえる土地だ、兄さんが目を付けたのは賢明だと思った。だが、兄さんは己の資産を所有しようとせず、山に己の棲み家を一時的に置かせてもらうという考えのようだ。本家所有の山だから長兄に遠慮しているのかも知れない。

 小屋を出た母は山道を奥へ上って行った。なつかしいわが家の山を見たくなったようだ。

 この奥に本家で「山田」と呼んでいる、人里から隔離された隠し田のような田んぼがある。実際のところ、この田んぼを取り巻く山はすべて本家のものだから存在そのものを知らない村人も多いはずだ。

 広葉樹林を抜けると両側の斜面に植林した杉とヒノキ林が広がり、これらは間伐や下草刈りがきちんとされていた。3男の兄さんがしているという、本家にとってもありがたいことだった。

「もうすぐかなー」

 母がヒノキの幹を見ながら、売れる時期を考えていた。

「20年ぐらいから売れるらしいからあと5年だな」

 兄さんも幹の太さを見ている。兄さんが手入れをしているだけのことはあって、同じような太さの樹が一定間隔で林立していた。山の地面は背の低い草で覆われている。木々に寄生虫のように取り付くカズラやツタもない。

 すぐ近くに縄を巻いたヒノキがあった。

「これ、何の目印か」

 僕が聞いた。

「間伐する木だ、この前、兄貴と一緒に見て決めたんだ」

 伐採する木は兄弟で決めているようだ。

 薄暗い針葉樹林が突然開けた、ほぼ頂きに近い窪地だった。おそらく昔は湿地だったのだろう。何代か前の先祖が土を入れて田んぼにしたらしい。ここが山田である。

窪地の周りはなだらかな傾斜となってその先に紅葉の始まった原生林が広がっていた。

 秋の日差しが惜しげもなく降り注いでいる。すでに稲刈りは終わっていた。

8畝(せ)(240坪)ほどの田んぼとわずかな畑があり、本家から借りているという。

「1反(300坪)は昔、人間1人が1年間食べていけるだけのコメが収穫できる広さを1反と定めたものだ、ここは少し狭いが、今年は4俵(240キロ)採れた。儂が食べる分には多すぎる」

毎年3表を兄さんがもらって後は本家へ渡していると言った。

 畑も狭いながら整備されて色々な野菜が畝(うね)ごとに栽培してあった、自給自足には十分の量だった。

 驚いたことに畑の四周と天井部分にも金網が張ってあった。

「こうしないと猿や鹿の食料を作ってやっているようなものだ」

 兄さんがぼやいた。中に入った姿を外から見ると人間が檻に入っているようなものだ。

―ここの田んぼの横に家を建てれば日差しもあっていいのに、それに日常食べる野菜を採るのに楽だ。

 と勝手に思ったが、すぐ僕自身で否定した。里への出入りに毎日坂を下ってまた登ってこなければならない、それこそ大変な労力だ。

 

左官の腕はいいらしく適度に仕事があって、さらに日雇いの土木作業にもでていたので、金銭に困るようなことはないらしい。

酒を断ってからおとなしいまじめな人に戻っていた。

 東京であんな目に遭ったから、よほど堪えたらしい、それにしても優雅に暮らしている。と帰りに母がつぶやいた。

 本家へ帰ると座敷にお客である僕ら1人ひとりの高膳がならべてあった。

祭り料理の会食だ。家長である嫡男が酒を注いでまわり食事が始まった。僕らと同じく座っている3男の兄さんに「今日ぐらいいいだろ」と言いながら膳に載っている盃をとろうとしたが「いや、やめとく」と言って兄さんは盃をうつ伏せに置いた。

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翌年、電気が点いたというので見に行くと部屋の奥の方に裸電球が一つぶら下がっていた。

「電気が点いたといっても、下の里からここまでの電柱は自己負担だ、兄貴に無理行って杉の木をもらったよ」

 兄さんがぼやいた。当時は財産のすべてを嫡男が継ぎ、次男以下は裸一貫で分家を建てるという旧民法の財産分与の禁止が依然として続いていたのである。実家の山であっても勝手に材木を切り出すことはできなかった。

 電燈1灯だけが許された契約だから、風呂や便所に行くときは相変わらずランタンを使っているようだった。

板の間背部に板戸が3枚と表にも障子と雨戸が付いていた。さらに突上げ戸を取り払い庇(ひさし)が付いていた。

「やはり押し入れがないと不自由だし、障子があったほうが家らしいから改装した」

 と言いながら押し入れの引き戸を開けた。中は二段になって下に家財道具を置き、柳行李と布団は上の段に置いてあった。これならあらゆる物の収納に困ることはないだろう。

「これで、小屋とは言えんだろ」

 と僕を見た。1年前に言ったことをしっかりと覚えていたようだ。

「うん、いい、僕もこんなところに住んでみたい」

「住みたいか、夜なかに目が覚めたら、どこかの岩の上に寝ていたりするぞ、この辺の獣はいたずら好きやからな」

 兄さんは楽しそうに冗談を言った。

 確かに小さいながらもちゃんとした民家になっていた。

「なにしろ図面も描かずに建てるとこんなもんだ」

 と兄さんが笑った。

 

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 この物語は僕が高校生のときだった。

 物語に出てくる親戚の家は国鉄の最寄り駅から徒歩で1時間かかって峠を越えなければならない集落にあった。こんな山奥で、さらに人里離れた山中に独り暮しをしている兄さんは、30歳を過ぎたばかりであった。

 当時、この地域には人に危害を加える熊はいなかったが、サルやキツネ、タヌキなどの獣は普通に、そこら辺りをウロウロしていた。

 僕にも人里離れた山中の小さな小屋で仙人のような生活をしてみたい気持ちはあったが、闇夜には目の前に突き出した自分の手の指さえ見えない漆黒の世界になる山中で独り暮しなんて、気の小さい僕には到底できることではなかった。

 

 現在、この村も限界集落になり、山に入る人もなくなった。替わってサルやキツネ、タヌキなどの小動物は言うに及ばず当時は居なかった熊さえ里に出るようになっている。

 

  本家が途絶えた今、兄さんの消息は分からない。