温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

歩くしかない

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「浅利の叔父さんのところへ用事に行って欲しいけどひとりで行けるか」

小学1年の秋、母が聞いてきた。

「うん」

 盆や正月には祖母や母に連れられて行っていたから行き方は分かっている。不安はなく、汽車に乗れることがうれしかった。

 国鉄運賃往復20円と駄賃(小遣い)の10円をくれた。

 30分歩いて駅前に着くと、駅前の店で1個(粒)1円の飴玉を10個買った。

 汽車の車窓から後方へ流れゆく景色を楽しみながら飴玉をほおばった。1人で10個の飴玉を食べることなどほとんどない。至福な気持ちで口の中を右や左と転がしながらゆっくり食べた。

 親戚で用事を済ませて帰りの駅まで着くと汽車賃を紛失していることに気づいた。

 ポケットの中を何回も探したが見つからない。ポケットを裏返したが10円は無い。おそらく飴玉を買ったときに落としたのだろう。

 何回もポケットの中をさがしながら、ふと視線を感じて待合室を見ると、長椅子に座っているおばさんがこちらを見ていた。視線を避けるように外に出た。

 親戚へもういちど行って汽車賃をもらうことなど言えない。どんな理由があろうとも他人に「おカネをください」なんて絶対に言ってはならないと祖母にしつこいほど教えられていた。

 歩いて帰ることにした。国鉄の駅では二駅しかなく営業距離は7キロだが線路を歩くことは学校から禁止されている。集落から集落を繋ぐ村道を歩けば僕の村までたどり着けることは、以前村道を歩きながら祖母が「この道は西は下関まで東は東京まででも繋がっているんやで、だから歩いて東京でも行けるんや」と言っていた。だが道なりに歩くと倍近くになる。それでも左手に日本海、右手に線路があることを知っているので道に迷うことはないだろう。

 駅を出て1キロほどのところで、僕の乗るはずであった汽車が追い越していった。無性に寂しくなった。それでも気を取り直して歩いた。

 ひとつの集落を通り過ぎると峠にさしかかった、いちども歩いたことのない道だ、どんな大きな峠なのか皆目分からないが、とにかく前へ進むしかない。とぼとぼと歩いて、それでも小さな峠だったのですぐに次の集落に入った。

 子どもたちが数人で遊んでいた。

「どこへ行くんや」

 5年か6年生らしい大きな男の子が聞いてきた。

「家へ帰る」

 僕が応えた。

「ふーん」

 男の子は、それ以上興味がないらしく遊びに加わった。

 しばらく歩いたとき、「何処や」と後方から大きな声で聞いてきた。

「福光」

 僕が応えた。

「遠いの、がんばれよ」

 走り寄ってポケットからキャラメルを1粒くれた。

「おおきに」

 うれしかった。口いっぱいに広がる甘さが元気を取り戻してくれた。

 男の子には僕になんらかの事情があると推測できたらしかった。

 線路の横に出た。さきほどの汽車に乗っていれば、もう僕の村の駅に着いているはずだ、と思った。だがそれほど失望感はなかった。とにかく歩くしかなかった。

 峠近くの山肌に刺し込んである竹筒から清水が流れ出ていた。口で直接受けて飲むには水量が多すぎるので、すぐ横に生えていたフキの葉を取り、カップ状にして水を飲んだ。

 松林の奥に見え隠れしていた海が目の前に広がった。湊だった。岸壁の無い浜辺だけの湾内には浜に引き上げられた舟が2艘あるだけだった。舟から海へ小さな丸太が枕木のように並べてあった。あの上を舟をすべらせて海へ出すらしい。

小さな湾内の西端の浜に舟小屋が3棟建っているが中は空だった。

 道に沿って並ぶ数十軒の民家は隣の家との間隔が狭く、たまに細い路地が奥へ続いていた。道は湊から大きく曲がって、港から離れるように坂を上っていた。

 坂道を上り切ったところに小学校があった。今日は日曜日だ、校庭には誰もいなかった。僕の小学校より小さかった。

 いくつもの集落と峠を越えると。汽車に乗ったときいつも通るトンネルが見えてきた。あのトンネルを越せば僕の小学校が見えるはずだ、とうとう帰ってきた。がぜん元気がでてきた。道なりにトンネルの上になる峠を歩いて、1軒家の前を通ったとき、

「あれ?」と声がした、縁側に座っている同級生のK子だった。

「どうしたん」聞いてきたのはK子の母親だった。僕はホッと安堵していた。

「汽車賃落としたから歩いてきた」

 聞かれもしないのに打ち明けた。遠い村から歩いたことがほこらしかった。

「どこから?」

「浅利」

「浅利から?ひとりで?」

 おばさんは驚いていた。大人でも歩かない距離だ。

  

「ちょっと待ちや」

 おばさんが家の中から大きな蒸かし芋(サツマイモ)を持ってきてくれた。

「おおきに」

 僕はうれしかった、腹が減っていたのだ。10時半の汽車に乗るつもりだったが、歩いたため、もう昼ごはんの時間はとっくに過ぎていた。

 K子に手を振って別れた。もうここからはおらが村だ、意気揚々と芋を食べながら歩いた。

 ここまで何時間歩いたのか分からなかった、疲れたという気もしなかった。

 

「遅かったの」

 田んぼで野良仕事をしていた母が言った。

 どうせ叱られるか阿保にされるに決まっているから、汽車賃を落として歩いたことは言わなかった。

 家に帰り着くと、暗い台所でオヒツのご飯を茶碗に入れて、おかず代わりに味噌をつけて食べた。

 腹が減っていたから何杯も食べた。

 晩御飯のとき、ちゃぶ台の前に全員が座ってから、オヒツを開けた母が極端に少なくなっているご飯にびっくりした。

「ごはんは後まわしだ。いくら食べてもいいが、食べたことを言ってくれ」とぼやきながら羽釜に米を入れて洗米した。ごはんが炊きあがるまで晩御飯はおあずけだ。

 

 翌日、学校へ行くと

「浅利からひとりで歩いて帰って来たんやて」

 K子が教室で皆に言いふらしていた。

「うそや」

 皆が信用しない。浅利からひとりで歩いて帰ることなんてありえない。と思っているようだ。

「ほんとうやで」

「なんでや」

「汽車賃落としたんや」

「駅の人に言えば乗せてくれるのに」

 駅近くに住んでいるH君が言った。

「そうか、知らんかった」

「大人の後について改札を出るんだよ」

 H君は、オレなんか何回も乗ったぜ、と言ったが、僕にはその勇気はない。

 それでも皆に囲まれ鼻高々であった、ヒーローの気分だ。