温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

新聞紙

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「駅前の豆腐屋へ行って油揚げを買ってきて」

 村祭りの前日、祖母から言われた。

「よっしゃ」

 僕は元気よく自転車を走らせた。店までは自転車で15分ほどかかる。

 走りながら『油揚げを買うのになんで豆腐屋?』と疑問がわいた。でもいいや祭りには親戚の人も集まってごちそうを食べる。そのためのイナリ寿司用油揚げだ。

 豆腐屋で豆腐を買うときは入口の戸を開けて中へ入るが、油揚げは通りに面した窓が店のカウンターだった。

「油揚げ30枚下さい」

 店の中のおじさんに注文した。

「よっしゃ、ちょっと待っててや」

 店内の土間に置いてあるバケツから取り出した豆腐を2センチほどに切りながら、窓際のカマドに載っている大きな鍋に入れていった。

 ぶ厚く油のこびりついた鍋の中は煮えたぎっていた。おやじさんが静かに鍋の内を滑らすように豆腐を入れるとジャジャジャと油揚げに替わっていった。

『そうか豆腐を揚げるから油揚げか』と気づいた。

 数枚の油揚げを買うときは近所の店で買うから油揚げと豆腐はまったく違うものだと思っていたのだ。

 揚げ終わった油揚げはカマドの横の金網の上に載せている。やがて数が揃うと新聞紙にくるんだ。

「熱いから気いつけや」と言いながら窓から渡してくれた。

 二重に新聞紙で包んでくれた温かい油揚げを自転車の荷台に括りつけた竹籠に入れた。

 

 当時、新聞紙は重宝した包装紙だった、コンニャクや魚でもそのまま新聞紙に包んだ。衛生面をとやかく言うものはいない。

魚のすり身や刺身は杉やヒノキを紙のように薄く削った経木に包んで、その上から新聞紙で巻いてくれた。

弁当も新聞紙にくるんだ。

食品以外でも食器類を買うと新聞紙に包んでくれた。

トイレットペーパーとしても使っていた。

貧乏していたわが家でも新聞は購読していた。