温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

渡し船

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  県境近くの山村に叔母の家があった。僕の家からは汽車で3時間とバスで1時間かかったが、2歳年下の従兄がいたので春休みにはよく遊びに行き、夏休みは海水浴が目的で従兄が僕の家へ来ていた。

 叔母の家の前に大きな川が流れていた。中国山地から日本海へ流れる大河でアユがよく獲れた。

 その川へ行くことは危ないという理由で、従兄は親から禁止されて普段行くことはないらしいが、僕が行くと怒られないから、よく遊びに行った。

 防水提を兼ねている竹林の細い道を抜け出たところに、いつも舟が舫ってあった。

 対岸にある民家の往来のためのもので、舟の艫と船尾にロープが繋いであり、そのロープは両岸の頑丈な門型の丸太組みで反転して舟の上を渡っていた。上のロープを手繰り寄せ力をこめて引くと舟が対岸に向けて進んだ。

 僕が大人になってから、西部劇映画を観ると川を渡すイカダがでてくることがあるが、これと同じ方式であった。

 舟は前後とも同じ形をして、舟の方向を転回することなく川を往復できるようになっていた。

 この舟には船頭はいない。

「乗ろう」

 従兄が舟の舫いを解いて乗り込んだ。

「叱られるから、やめとこ」

 僕が言っても聞かない。

 しかたないので僕も乗った。

 従兄が舟の中に横たわっていた長い竹竿を船尾から川底に立て力を加えると静かに前進した。僕も立ち上がってロープを引いた。 

この辺りの流れはほとんどなく、水深も浅いため危ない場所ではなかった。一番深いところで4、50センチほどしかなく舟の上から川底が見えていた。ときどきアユやハヤなどの小魚が舟の下を通り過ぎている。

何回も往復していたが、他人の舟を無断で使っているのを見つかれば大目玉をくらうだろう、と気が気でなかった。

気の弱い僕は、「やめよう」を連発しながらついていた。

そのつど「大丈夫」を従兄は繰り返していた。はたして家へ帰ると、「川へ行ったらだめだよ」と叔母に注意された。決して怒った顔ではなかったが、僕の目をしっかりと見据えて言った。川は竹林の防水提で遮られているから家からは見えないのにどうしてバレたのか不思議だった。

 後で分かったが、対岸の家は叔母の家の遠縁に当たる家らしかった。従兄が「大丈夫」と言っていたのも納得した。だが、あるいはこの家の人から叔母に通報されたのかもしれなかった。