温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

船頭さん

 

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  ♫むらの渡しの 船頭さんは 今年60のおじいさん 

  年はとっても お舟をこぐときは 元気いっぱい 櫓(ろ)がしなる

 ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ♫       童謡・船頭さん

   (絵の説明・正面の山頂一帯は石見国都野氏の月出城跡、SLは2018年に廃線になった三江線、川は江川『ごうがわ』)

 

 山深い里にある母の実家から街へ出るには、山陰本線の最寄り駅まで1時間かかったが、支線である三江線の駅なら30分ほどだった。だが、橋がないため渡し船で、中国地方で一番大きな河、江川を渡らねばならなかった。

 小学生のとき、僕も数回乗った記憶がある。

 ある年、街へ買い物に行く従兄が連れて行ってくれた。従兄は7人兄弟の5番目だったがすでに20歳を越え、近くの瓦場(製造工場)で働いていた。

 川岸に出ると、岩に腰かけていた船頭のおじいさんは、手に持っていたキセルを左手の掌を支点にポンと叩いて火を落とし黒いケースに収めてから腰帯に差し込んた。それから立ち上がって舫いを解き、舟を手で押して対岸に向けた。

「お願いします」

 従兄と僕は挨拶して舟に乗った。川の渡し用に造った浅い木造船で幅が広く従兄が立って移動しても安定していた。他に乗客はいない。

「ヨイショ」

 竹竿で舟を岸から離したあと、ギーコ、ギーコと櫓を漕ぐと、舟の舳先を左右に揺らしながら進んで行く。

 この地点の川幅は30メートルほどだ、そのため流れもある。両足を踏ん張り腰をかがめて力いっぱい櫓を漕ぎ、対岸の目的地には向かわず上流に上っている。やがて舳先を上陸地に向けると一気に流れに突っ込んだ。ガクンと揺れて速度が上がり、流されながら上陸地へ近づいた。

 ザザザーと舳先が対岸の砂礫に乗り上がって止まった。

「ありがとうございました」

 従兄と僕は礼を言って舟から飛び降りた。

 この渡し場に桟橋は無い。たびたび増水する大河だから桟橋などは造ってもすぐ流されてしまう。

 乗客は河原の砂礫の上から乗って、砂礫の上に飛び降りるのだ。年寄りや若い女性の乗り降りのための木製踏み台が舟に載せてあった。

 従兄は代金を払わずスタスタと歩き出した。

「おカネはいらん?」

 代金を払わなくてもいいのか、と聞いたが無口な従兄は「いらんのや」とだけ言った。朝5時すぎの一番列車から夜8時ごろの終列車までは、駅を利用する人のため行き来している。村から給料をもらっているだろうと思うことにした。

「それに、あの爺さん、話し掛けたら面倒がるでの、誰も話しかけん」

 へんくつ爺さんだと従兄は言っているらしい。

 振り返ると船頭さんは岸に半分だけ乗り上げた舟の上に座って、キセルでたばこを吸っていた。僕らが乗る列車から降りてくる乗客を待って対岸へ帰る。

 早朝と夜、暗くなったらどうするのかと思って周りを見ると川岸の竹林の出口に外灯が1本立っていた。両岸にある外灯を目印に往来するらしい。

 舟から下りると竹林の中にある細い道へ入った。この道も造成したものではない、長年にわたって村の人が行き来して自然に道になったものである。それでも踏み固められた土の道で歩くと気持ちよかった。

 竹林を出ると駅舎が上に見えた。10メートルほどは急な坂道を上らなければならなかった。

 

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 船頭さんとキセル

 

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外灯