温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

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 幼少期に最も悩まされたのが蚊である。

 家に網戸はなく、戸や障子は開放したままであったから、蚊はいつも僕らにまとわりついていた。

 僕たちを襲う蚊は、やぶ蚊とイエ蚊らしいのだが、両者とも体長1センチほどもある蚊で、同じように黒に白の縞があり僕には判断がつかない。他に日本脳炎を媒介するハマダラ蚊がいると言っていたが、事実はハマダラ蚊の媒介するのはマラリア日本脳炎はコガタアカイエ蚊によるものだった。これらの蚊がどんな姿だったのかは分からなかった。当時、疫痢と日本脳炎は身近な病気で誰もが怖れていた。

 蚊は人間の血を吸うため口の針を体に刺すとき麻酔効果のある唾液を注入しているから、いつの間にか血を吸われていたと気づく程度でかゆみは後から出てきた。

 蚊に刺されないためには寄せ付けないようにする必要がある。

 夏、縁側で夕涼みのとき、横に蚊取り線香を焚くだけで、あとはウチワで追い払う程度だ。それでも僕らは生まれたときから刺されているので、後に残るような傷にはならなかった。刺された後、痒い程度だった。

 当時、夏の夜は戸締りをすることなく、戸や障子を飽けたまま寝ていたから八畳の座敷いっぱいになる蚊帳を吊っていた。

 ただ、蚊帳の中へ出入りするとき、蚊帳の下を持ってパタパタとはたき、瞬間、わが身を小さくしてすばやく入らないと蚊も一緒に侵入してきた。

「1匹の蚊の為に眠れなかった」

 朝、祖母はぼやいた。

 盆で母の実家へ行くとスプレーの殺虫剤を使っていた。スプレーは現在のような圧縮ガスを噴出させるのではなく、水鉄砲と同じ方式で圧縮空気を噴出させ太鼓のような容器に入った薬剤を吸い上げて霧状に拡散させていた。

スプレーは狙った蚊を駆除するには効果あったが空中に散布した液剤はすぐ拡散し消えて無くなった。そのため従兄らは自分の腕や首に直接かけていたが、石油のような臭いが嫌いな僕はしなかった。

中身が無くなれば補充しなければならないし農協まで買いに行かねばならないのでわが家では使わなかった。