温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

磯釣り

 

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  日本海は8月になるとクラゲやメラなど、人の肌を刺す魚類が多くなるので泳ぐのはやめていた。メラとは体長3から5センチほどの、カマスの幼魚みたいな魚で、接触するとススキの葉で切ったときのような痛みが奔った。

 夏休みのある日、いつも一緒に遊んでいる三人組で磯釣りに行くことにした。

 さっそく僕らは釣り竿になるような竹を探しに裏山へ入った。釣り竿だから細くて長いものがいい、あちこち探し歩いて釣り竿らしいかっこいい竹を選んだ。丁寧に枝を取り払い、釣りのような恰好をしてみた。握る部分の太さは2センチほどで長さは5メートルほどもある。

― よし、良い。

 形のいい竿が出来上がった。これに竿より少し長めのテグスを付けて先端に磯釣り用の針を結び、下から30センチほどのところに鉛を取り付けた。これで完成だ。磯釣りの場合、浮きは付けない。鉛を海底まで落とし、それから30センチほど上下させるサグリという釣り方だった。

  翌朝、麦わらボウシを被り、祖母の作ってくれたワラゾウリを履いて負い籠に竹の皮で包んだ大きな三角にぎりを入れた。3人とも極端に長い釣り竿を担いで家をでた。

 現在考えると不思議であるが、当時は水筒を持って行くのは遠足だけで、磯釣りや海水浴に行く場合でも持たなかった。オニギリを食べるときでも水分補給しなくて済んだ。喉が渇いてどうしても我慢できないときは海岸から離れて民家の庭先にある井戸水を飲むことはあったが、ほとんど飲まなくてもいけたのだ。その点、現在の人間は常に水を手放すことのできないか弱い人間になっている。

 40分歩いて僕らの釣り場に着いた、いつもこの辺りで釣っている磯だ。岩場だが広い台地のようになっているので足場はいい。

「さあ着いたぞ」

 負い籠を下ろした。

 釣りの仕掛けは出来ている。

 波打ち際の岩場にいる「舟虫」を餌にして竿を出した。

 舟虫はゴキブリによく似た虫で素早いが飛ぶことは出来ないので、簡単に捉まえることができた。

 離れた場所に立っているY君が小さな魚を釣り上げた、ベラのようだ。

 僕はなかなか釣れない、場所をかえて海底の岩場みたいなところに餌を下ろした。

グッと引きがきた、

― かかったぞ。

ググっと引きが強い、

― 大物だ。

 仕掛けがバレないよう手前にたぐり寄せて魚を見ると蓋20センチほどのシッペイだった。

 シッペイとはカワハギのことだ。

 カワハギは「どんな大きな魚が釣れたのか」と思うほど引く力が強くて釣りには楽しい魚だった。

 1時間ほども経ったとき、

「釣れるか」

 近くの漁村に住んでいる同級生のH君が来た、僕らが来るのを見ていたらしい。

「だめだ、まだ2匹だ」

「餌は何や」

 とH君がいいながら舟虫を付けているのを見て、

「こんなもんじゃ釣れんよ。いい餌を教えてやるよ」

と、僕らが居る岩場の奥にある浅瀬の波打ち際で小さな石を取り除いてザリ蟹を獲った。

僕らもそこら辺りを歩き周って1人30個ほどを集めた。

H君はひとつづつ岩の上で貝を叩いて中身を取り出し、それを針に付けた。

「これやったらよく釣れるで」

 と言って帰るため僕らに背を向けて歩き始めたが、

「あ、それからな、その餌でボッコが釣れるけどな、ボッコは自分の縄張りを持ってじっとしていて動かないからな、1匹釣れたら、こっちが移動して違う場所で釣るんやで」

 と言って帰って行った。

 それから、入れ喰い状態になった。体長は20センチほどだが面白いほど釣れた。

 メバルカサゴ、ガシラなども釣れたが三者の区別は分からなかった。僕らはすべてボッコと呼んでいた。他には体長10センチほどのベラが一番釣れやすかった。このベラはめずらしく方言ではなかった。

 

 中学校の裏山に設置してあるサイレンが鳴った、12時だ。

「昼ごはんにしようか」

 負い籠を背負い、10メートルほど先の日陰まで移動して高い岩の上に腰を下ろした。ここからは水平線がよく見える。

 大きなオニギリにかぶりついた。すっぱい中の梅干しに身震いした。

「梅干しの種は水の中へ捨てるなよ海が荒れるからな」

 ここへ来るまでには二か所の危ない所を通っている。一か所目はこの台地に上がる直前で、道がないため膝まで水に浸かりながら10メートルほど歩かなければならない。もう一か所は僕らが載っている台地の割れ目があって、そこには1本の角材が渡してあるものの、僕らにとっては角材の上を体のバランスをとりながら3歩ほど歩かねばならない。凪の日はいいが時化ると割れ目の下から波が吹き上げてくる。その上を歩くのは危ないし恐いからだ。

 今日はよく釣れるので面白い、オニギリを食べ終わると早々に釣り始めた。

 午後3時すぎに通る貨物列車が遠くの鉄橋を渡った。僕らの帰る時間だ。

 海に浸けていた網を引き揚げてみると、30匹いた。他の皆も同じぐらいだ。

「家の者もびっくりするで」

 僕らは意気揚々と帰路に着いた。

 

 これからは、余談である。

 僕が30代のとき、女房と2人で和歌山と大阪の県境にある大川峠の海辺へ飯盒炊さんに行った。

 ガシラがよく釣れた。釣った魚を僕がその場で捌いた。魚の内臓を海水で洗い捨てるからザリガニが群がっている。それを捕まえて餌にした。

 女房がご飯を炊き、ガシラの煮つけを作った。白身の魚でなんとも美味しい魚だった。

 女房も慶び楽しく動いていた。

 近くで中学生くらいの女の子を連れたお父さんがガシラを釣っていた。しばらくすると、

「餌が少なくなったから」

 と言って餌箱こと持って岩場へ移動した。

 女の子も一生懸命釣っていたのに餌を父親に取られてしまった。

「ちょっとおいで」

 僕が女の子に、そこら中にいるザリガニを捕まえて貝を叩き潰して中身を針に付けた。

「これで釣ったらよく釣れるよ」

 女の子が竿を海へ落とすと、たちまちガシラが食いついた。

 女の子は熱中した。黙々とザリガニを捕まえ、餌にして次々とガシラを釣り上げた。あっという間に20匹を越えている。

 遠くで女の子を見た父親が不審そうな顔していたが、やがて娘のところに寄って来て、

「何で釣っているんや」

 と言いながら釣り上げた数を見てびっくりしていた。父親は数匹しか釣っていない。

 女の子は、もう父親が寄って来たのも分からないほど熱中して黙々と釣っていた。

 ついに父親も娘のまねをしてザリガニを餌に釣り始めた。

 

 ガシラ

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カワハギ

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ベラ

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弁当

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幽霊になった僕

 高校でブラスバンド部に所属していた僕は、毎日、午後7時すぎに最寄り駅に帰着していた。

 家は自転車で15分のところにあったが、駅周辺の集落を通り過ぎると民家が途絶えて、左手に大きくせり出した山すそを回って行かなければならなかった。

うっそうと茂るその山には墓がある。

 道路の右手は大川でその先は田んぼが広がっている、もっとも寂しいところだった。

 二学期が始まったばかりのある日、7時といえば、もう真っ暗である。自転車にはライトが点いているので走行に支障はなかったが、この辺りを走るのは怖かった。

「怖いな」と思いながら通過していたが、この山の墓は僕の家の墓だった。昔は個人ごとに土葬していたから二壇になって50柱ほどあった。

「わが家の先祖がいる墓なのに、なんで怖いのだ」

 いつも自問しながら通過していた、それでも怖い、どうしても納得がいかない。

 克服するには、その場所に行って見るに限ると気づいた。

「怖いと思うから怖いんや」と己を叱咤し、自転車を止めた。

 道端に自転車を止めて置けば通りがかった人が不審に思うからと、道端の草の中に倒して置いた、こうすれば見えないだろう。

 山へ上っていった。墓は山の中腹だから50メートルほどだ。

 半月くらいの月だったが道はなんとか見えている。

 上り始めたものの目指す先は暗闇である。そこには何がいるかも判らない恐怖心がある。とてつもない闇の中へ近づきつつあるような怖れがあるのを無視して歩みを止めない。

 坂道はかなりの急こう配で昼の墓参では僕でも息をはずませているのに、周りが暗いせいであろうか、まったくと言っていいほど疲れを感じない。

 ジーっと暗闇の墓地を見つめながら登って行く。

 未知の領域を僕の足が犯していくにしたがって恐怖の域が薄れていった。

 墓地に着いた。そこは山の斜面を削って造った壇で鬱蒼と茂る木々に覆われた穴倉のようになっている。

 墓碑は闇に包まれていた。最初はなにも見えなかった闇に眼を据えていると慣れてくるにつれて、かすかに並んでいるのが見えてきた、その先は漆黒の闇である。

 見ればなんともない暗闇も見ないから怖いのだ。

 合掌した後、両手を組んでその場に佇んだ。

 ジーっと立っていた。恐怖はなかった。元来僕は幽霊やお化け、妖怪という類は信じていない。もし仮にいるとしても僕の先祖の墓だ、攻撃してくることなどありえない。

だが、暗闇では襲ってくる何がいても分からない、いつどこから襲われるか分からないという恐怖心はあったが、それも薄れていった。

 直ぐ近くでゴソゴソ、ガサガサと音がしている。当時熊はいなかったから襲ってくる獣はいない、何かの小動物が動き回っているのだろう。ウサギかなキツネかなと思いながら斜面を探したが暗くて見えない。普段人間に姿をさらすことはないが意外に多いと気づいた。

 下の道路を走っているときには感じることの無かった風の音が向かいの山から聞こえてくる。

 僕の周りは静かである。蚊がまったく寄ってこない、かすかではあるが風が流れているから飛べないのだろう。

―さあ、帰るか。

10分ほどしてから動いたとたん、山の動きが止まった。小動物も警戒したのだろう。

 2、30歩ほど離れたとき、墓地に背を向けたことで得も言われぬ恐怖に体が包み込まれた。立ち止まって振り返り墓地の暗闇を透かし見た。「怖いものはいない」と自分に言い聞かせ恐怖心を征服できると再び歩き始めた。

 墓から三分の一は木々に覆われた暗い道だが、それを過ぎると右手の斜面は開けている。下の道路がかすかに見えていた。

そのとき、駅の方から自転車が1台走ってきた。ぼんやりと姿が見えるだけだったが、どこかの兄さんのようだった。

ふと、自転車が止まってこちらを見た。自転車を跨いだまま右足を地に付けて止まりジイーっと見ている。下からは僕の姿は見えないはずだ。二学期が始まったばかりで白のカッターシャツに黒のズボンを履いていたから、おそらくボーっと白い何かが浮いて居るぐらいにしか見えないだろう。

困ったと思った。こんな真っ暗な山に明かりも持たずに入る者などいない。「墓参りに行ってきました」と言うか、「肝試しに墓へ行ってきた」と言うべきか迷った。いずれにしても普通ではない、「お前、馬鹿か」と言われるだろう。

しばらく止まっていた僕が意を決して下り始めた。「ここを通るのが怖いから度胸を付けるため墓に行ってきました」と言うしかないと思ったからだ。

そのとき、兄さんは飛び上がったように自転車ごと倒れ、急いで起き上がると飛び乗って、ものすごい勢いで走り去った。

唖然と見送りながら「助かった」と思った、弁解しなくて済んだのだ。

 

 家へ帰っても、今回のことを家族には話さなかった。

「馬鹿か」と言われるに決まっている。

それにしても、あの兄さん、えらいあわてて逃げたな。と思ったとき、「あっ!そうか、僕を幽霊と勘違いしたんだ」と気付いた。

  

 その後、「幽霊が出た」とか言う話は聞こえてこなかった。

 あの兄さんも口をつぐんでいるのだろう。

 

小学校入学式

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               (絵は母校ではありません)

 昭和25年4月1日、小学校に入学した。

 母に連れられて生徒用玄関で僕の下足箱を探すと、すぐ見つかった。生年月日順になっているらしく5月生まれの僕は教室に近く上から2番目だった。下駄箱の前に敷かれているスノコ板の上で持参した上履きの草履と履き替えた。

「明日からは1人でするんやで、分かるな」

 母が小さな声で言い、僕はうなずいた。

 教室入り口横の壁に張り出してある机の配置図から僕の机を確認して中へ入った。母親と一緒に来た新入生が自分の机を探している。僕の席は1番前の窓側から2列目にあった。

 2人用の机に男児と女児が並んで座った。

 当時、小学校の制服はなかったが男児、女児ともに学生服だった。

 入学式に出席する母親は色無地の着物に黒の羽織が正装だった。

 新入生が席につくと母親たちは先生に促されて入学式のある講堂へ移動した。

 担任の女(おなご)先生ともう1人の女先生が机の順に僕らを1列に並ばせた。男女別、青年月日順である。

 新入生は25名で1クラスだった。

 2人の先生に先導されて入学式のある講堂へ入場した、シーンとしていた。

 講堂の一段高い舞台後部壁に大きな国旗が掲げられて、舞台の下左手に大きな松の盆栽が台に飾られている。

 男児が前側のイスに横一列で座り女児はその後ろに座った。その後ろに母親らが座っている。

 シーンとしているなか、「ただいまより昭和25年度入学式を挙行いたします」と男先生の大きく良くとおる声が響いた。

 全員起立して君が代の斉唱があったが、このとき新入生はまだ歌えない、聞いているだけだった。舞台の横にあるピアノが講堂に大きく響いた。

 新入生氏名点呼が始まった。教室にいるとき「名前を呼ばれたら大きな声で『はい』と言うのですよ」と担任の女先生から教えられているから、自分の番のとき「はい」と大きな声で応えた。

「今朝、自分ひとりで服を着替えた人はいるかな」

 壇上に上がった校長の挨拶だ。

「はい」「はい」と大きな返事が我先にと出ている、僕も負けじと手をあげた。祖母が着せてくれていたが、そんなことお構いなしだ。

 

 

 

 

寒行

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 チリんチリんと鉦の音がわが家に近づいている。集落内のお坊さんが寒行で各家の健康と安全を唱えて周っているのだ。

「今年も始まったなー」

 祖母が寝具に包まったままつぶやいた。まだ午前3時ごろだ。

 毎年一月の寒の入りから2月3日の立春まで、数百件ある村中の民家を周っている。

 やがてわが家の庭に立って、念仏を唱えだした。祖母は寝たまま合掌してお坊さんと同じ念仏を唱えている。外に出て挨拶はしない。

「この寒いのに大変だな」

 目が覚めた僕がつぶやいた。

 今日は雨も降らず風もない静かな夜だ、それでも外は寒いだろう。どんなに雨がきつくても雪の降る冷たい夜でもチリンチリンは聞こえていた。

「お坊さんにとっては1年中の米を集める機会だ」

 信仰心の薄い母が言った。

「寒行が終わると村中の人が米2升を持ってお寺へ礼に行くんだ」

 そのために歩いていると母は言いたいのだろう。

  

 節分の日、村の人たちは米2升を入れた綿袋を持ってお寺へお参りしていた。

獅子舞

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 静かな村に笛と太鼓の音が聞こえてきた。

 なんだろうと村の入り口を見ると村周りの獅子舞がいた。

 獅子は怖い。今まで獅子舞が来ると、いつも家の裏へ隠れてわが家が終るのを待っていた。今回も隠れるつもりだが、一軒ずつ周るので来るまでにはまだ余裕がある。

やがてわが家の石段を上がり始めた。

―そろそろ隠れよう。

と、立ち上がったとき、

「秀ちゃんや、獅子が来たら頭を噛んでもらうんやで、頭が賢くなるから」

 いつもは僕のことを放ったらかしにしている祖母が、今回は僕を後ろから抱きしめて逃げないようにしている。祖母は僕が隠れることを知っていたのだ。

「怖いのか」

 逃れようとする僕をがっしりと抱いている。

「怖くなんかないよ、遊びにいきたいだけや」

「噛んでもらってから行けばいい」

 怖がりだと思われるのは癪だ、今回は逃れようはないと諦めた。

 獅子舞はわが家の庭まで上がって来た。

 笛太鼓に合わせて獅子舞が始まった。

 頭を上や下に動かせ舞ながら家の方を向いていた獅子が、とつぜん動きを止め僕を振り返って、じっと見据えてきた。

―やばい。

 思わず後ずさりしていた。そのとき「頭を下げろ」と祖母に言われた。

 獅子が近づいてきた。祖母にしっかりと捉まえられているので動きがとれない。

覚悟を決めた。

 獅子が大きな口を開けた。

 ―来る、来る。

 僕が後ずさりした、そのとき、後ろにいた祖母が僕の背中をポンと押した。

「あっ」と前のめりになった僕の頭を大きな獅子の口が受け止めた。

 平たい大きな歯の感触がやわらかく僕の頭に伝わった。

 ―なんや、大したことない。

 安堵した。

 獅子舞のひとりに祖母が半紙で包んだおカネを渡すと、囃子も舞も途中で止めて早々に引き上げた。

「なんぼ渡したんや」

 僕が聞くと

「50円、今日は正月だから」

 と祖母が言った。

 いつもは小皿1杯の米で済ませているのに、今回は囃子が聞こえてきたとき、僕の頭を噛んでもらおうと思いついて、おカネを包んだようだった。

 

 

 

汽笛

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 祖母の実家である親戚の最寄り駅は、ホームの東端から下り線鉄路を横断して改札があった。

 列車から降りた僕らはホームを歩いて改札に向かう。ところが反対側ホームに停車待避していた機関車のすぐ横を歩かなければならない。

 線路と通路の間に仕切りはない。

 僕の身長より大きい機関車の動輪は怖いくらいだ、さらに横からも蒸気がシュッ、シュッ、と不気味な音を立て僕を包み込んでいる。

「ボー!」

 突然耳をつんざく音に僕は飛び上がって驚き耳をふさいだ。僕らの列車を待機していた貨物列車の汽笛だった、発車の合図だ。

 ブオ!ブオ!と煙突から真っ黒な煙を勢いよく吹き出し、車輪の前から出ていた蒸気も力を盛り返して徐々に動き出した。

 機関車が遠ざかっていくと貨車が静かな音を立てて通り過ぎていった。

「びっくりしたなあ」

 あまりにもおおげさに驚いた照れ隠しに祖母に言った。

「列車の一番後ろに乗っている車掌に『発車します』と合図を送るためやからな、小さな音では聞こえん」

 祖母も驚いたようであった。それにしてもこんなに大きな音を出さなくてもいいだろうに。

 親戚に来るときはいつも一番列車に乗ったから、いつもここでビックリさせられる、いやな駅だった。

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 雨あがりの朝、僕は新聞配達をしていた。

 東の空は青空が広がり、朝日がすばらしくきれいな朝だった。

 谷あいの道路を自転車で走っていると、向かい側の山すそに「おー!」と思わず声がでるほど鮮明な虹が浮かんでいた。これまで見てきた虹は遠くの山と空にうっすらとかかる程度だったが、今朝のはクッキリとでていた。これから配達に行く家の前にある畑から立ち上がっている。近くへ行けば上ることが出来そうな虹だ。

 道路から見た虹の位置を確認して、その場所へ行って見た。

 ところが虹は前方五十メートルほどに移動していた。こちらがいくら追いかけても追いつけないのが虹だということが分かった。

「虹に上ってどこへ行くつもりだったんだ」

 数日後、道路から虹の下にいる僕を見たというお兄さんが言った。曲がった青うりのような顔をしているお兄さんだ。

「わしも思わず立ち止まって見たよ、君が虹に上ろうとしているのを。上れると思ったがなー」

 青うり兄さんが言った。

「あのときカメラを持っていたら、いい写真が撮れたのに、まさに『虹に上る少年』だったよ、残念だったな」

 普段は、あいさつしても、ろくに返事をしない青うり兄さんが、今日はいやに饒舌だった。

 

  • この項は本編の「新聞配達」で記述済です。当日は夏でしたが絵は晩秋の景色にしました。

  この家も畑も今は無く、柿の木だけが面影を残しています。

 

  

洞窟

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 これは人間の数よりキツネやタヌキなど獣が圧倒的に多い山奥の集落から、さらに山に入った森の中に、鴨長明方丈記に出てくる庵のような家で独り暮らしている風流兄さんの話である。

 天気のいい日は本業の左官や土木などの日雇い仕事以外に、畑や田んぼの野良仕事、植林した山の下草狩りや枝払いなどすることはいっぱいあった。日暮れとともに寝て夜が明けると起床するのが当時の人たちの生活であったから退屈する暇はなかった。

ところが雨の日などは何もすることがない。本は読まないから晴耕雨読にはならない。

 退屈すると家から30分ほどのところにある中国地方で一番大きな江川の河原で,拾ってきた流木の根を磨いて飾り物を創ったり、雨具を着こんで魚釣りに出かけていた。

 あるとき雨の止み間に、生い茂ってうっとうしくなった裏山の草木を刈り払ったら、岩盤露出した洞窟があるのを見つけた、家のすぐ後ろだ。

 どのぐらい奥まであるのだろうと竹竿を穴に突っ込んだら、突然うさぎが飛び出してきた。ねぐらにしていたようだ。

 このとき、「この中に家と廊下でつないだ寝室を造れば、1年中15度ほどの一定温度で冷暖房無しの快適な寝室になるだろう」と考えた。真夏の暑い日に隧道を通れば涼しくて気持いいことから常々思っていたことだ。

雨の日に少しずつ作業すればいい。

 思いついたらすぐ実行するのが兄さんの性格だった。

 だが、洞窟内に潜り込むには入口が小さすぎた。

町へ出て買ってきた削岩機で洞窟の入り口を広げて中に入った。長さは5メートルほどもあり、その先にも隙間はありそうだが、5メートルあれば十分だ。

うさぎがねぐらにしていたぐらいだからヘビやネズミなどの小動物がいる可能性がある。よもぎを大量に刈ってきて洞内で火を点けた。洞内に煙が充満したのを確認すると、さらによもぎを足し入口にムシロを吊って煙が外に出ないようにした。よもぎはいっきに燃えることなく大量の煙を出しながら2日間にわたって燻り続けた。

洞内に入ると、まず最初に一番奥の隙間にローソクの火をかざして空気は流れていないのを確認した。外とつながっていないようだ。本当のところは少しぐらいの空気は通っているほうが換気になっていい、残念だがしかたない。

 これ以上奥に行けないのでは利用価値がない。ヘビでも潜り込んだら困るのでセメントで穴をふさいだ。

 地面は幸い土だった。完璧を喫してDDTという殺虫剤を土が白くなるぐらい噴霧した。

 全体に三角柱を横にしたような形であるが天井が低かった、腰をかがめて歩かなければならないほどで地面の横幅は一尋ほどあった。

 ちょっとした地震で崩れでもしたら大変だ、どういう成り立ちで洞窟ができたのか考えてみた。

 鍾乳洞でないことは石の質で分かった。

 おそらく大昔の火山活動により流れ出た大石二つが重なり合って、ここに落ち着いたものと思われた。その隙間が洞窟になっている、これなら崩れることはない。

削岩機で洞内を少しずつ拡げていった。横幅を広げ、天井を立って歩けるほどに高く平面にした。

 ひととおり出来上がったところで地面に床を張って、ふとんを持ち込んだ。

数日間洞窟の中で寝ていた。

「寝ていると外の音がよく聞こえる、洞窟の入口に戸がないから反響するんかな、ガサガサ、ゴソゴソとキツネかタヌキが歩きよる。それがときどき洞窟の前で止まっていることがある、中の様子を窺っているんだな。やがてまたガサガサゴソゴソといなくなる。あとは風の音だけだな」

 そんな日が続いていたとき、ふと、ふとんが重くなっていることに気づいた、水分を吸ったようだ。よく見ると天井から水が滲みでていた。二つの石が接触しているところかららしい。

 これではだめだと板で屋根を付けたが何しろ低い天井に付けたものだから寝具に入るのに腰をかがめなければならない。

 まるで棺桶のようだと気づいて寝るのをやめた。

 せっかく造った洞窟だ、床の上に収穫した玄米の俵を置き、地面には野菜類を置いておくといつまでも新鮮さを保っていることに気づいた。冬は日常使う野菜類を毎日山の上の畑へ収穫に行くことは不可能だから4,5日分を採って洞窟に入れて置いた。

 ネズミなどの小動物が入りこまないよう入口に厳重な戸を取り付けて、今ではりっぱな保管庫になっている。

「高価な削岩機を買って物置を造った」

 母親である伯母は笑っているらしいが、

「そのうち足場を組んで洞窟を大きく広げるさ、この家がはまるぐらい大きくしたら立派な寝室になるさ」

 兄さんは夢を捨ててはいなかった。

 

 これは、昭和35年の秋祭りのとき泊まりに来た兄さんが話してくれたものである。

 

田植え祭り

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 5歳か6歳のとき、歩いて2時間ほどの山奥にある村へ田植え神事を観に行った。

 小さな集落の一つの田んぼを大勢の人が取り囲んでいた。

 いったい何をするのか分からないまま待っていると、集団で叩く太鼓の音が近づいてきた。

 男の人6人ほどが派手に体を動かしながら絞太鼓を叩き、その後ろには絣の着物を着て真っ赤な帯でたすき掛けにした女の人が続いていた。さらにその後ろに続いていた大勢の男の人も体にくくりつけた締太鼓をたたきながら田んぼの対岸になる畦道に並んで、こちらに向いた。

 普段田んぼには無い赤や黄色が田んぼの中や周りにいっぱいでてきて、派手に体を動かしながら太鼓を鳴らしている。

 田んぼの中では鋤を曳かせた牛と男の人が動き回っていた。その横では柄振り板で田んぼをならしている、田植え支度だ。牛も男の人も青い布を身に付けて着飾っている。

 やがて早乙女が田に入って苗を植えだした。

 田の周りにいる太鼓や笛で奏でる囃子は田植えが終わるまで続いていた。

 普段は静かな山村が大いににぎやかになっていた。

 

僕が田植え神事を見たのはこれが初めてで、その後いちども観る機会がなかった。

 場所についても山奥の集落だったことしか覚えていない。

現在でも田植え神事を行う地域も多いらしく、ニュースや動画に出てくるが、鋤を曳かない牛が田んぼの中を動きまわっていたり、牛の恰好をした人が鋤を曳いている。牛を飼う家はほとんどなくなり飼っていても農作業には使わないようだ。

 

わが家の井戸と流し台

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 井戸

 深さの計測をしたことはないので目測になるが7、8メートル、さらに水深は2メートルほどもあった。

 昭和13年の大干ばつのとき、飲み水にも困って掘った井戸だったが幸いにも山からの地下水脈に当たったため清水がドクドクと湧き出ていた。

 一年中水温は変わらず、夏はガラスコップに入れると外側に水滴が付くほど冷たく、飲み水はもちろん生活用水にも使用し、スイカやトマトなどを籠にいれて冷やした。

 冬のどんな寒い朝でも水が冷たいと感じたことはなかった。

 夏、喉が渇いたとき、くみ上げた水を釣瓶に口を付けて腹いっぱい飲む、至福のひとときだ。

 

 流し台とはんど

 下の道から屋敷への石段を上りきった右手に石造りの流しと、その横に水ガメのはんどがあった。

 屋内には流し台も料理台も無かったので、ほとんどが外にあるこの流しで料理の準備を済ませた。

「ひゃー」

 あるとき流しで魚を料理している母が叫んだ。

 後方から急降下したトビが魚を掴んで飛び上がるときであった。音をださずに突っ込んできて魚を掴み飛び立つときに気が付いてもすでに盗られたあとだ。

  

 納屋の横にある柿木は西条柿(渋柿)であるため、吊るし柿にしたり、合わせ柿にして渋を抜いて食べた。柿を採るために長い竹竿を使っていたが木が大きいため、根元から2メートルほど上の二股まで上って採った。それでも頂き部分までは竹竿が届かないが、柿の木は脆く折れやすいので、これ以上上ることをせず、竿のとどく範囲で済ました。

 

  さて、柿の実が熟れるのは10月下旬から11月中旬までであるが、みかんは年末になってからだ。
 絵は見栄を張って両方が熟れているように描いたが実際にはこのようなことはない。

風流兄さん

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  ある年、母の実家になる親戚の祭りによばれたとき、三男の兄さんが家を建てたということを聞いた母が興味を示し、「人に見せられるようなものではないですよ」と恐縮する兄さんを強引に案内させた。

 兄さんは東京で左官をしていたが酒におぼれてしまった。ある夜、家に帰ると嫁はおらず、家財道具も一切合切無くなって、自分が寝る寝具さえ無かった、という。

 それを機に東京を引き払って実家に帰っていたのだ。

 家の前の道を200メートルほど東へ歩いた辺りに山に通じる谷への入り口があった。道端に立っているポスト兼新聞受けから兄さんが新聞を取り出した。兄さんの家への用事は谷へ入らなくても、ここで済むようになっていた。

 この辺り一帯から本家の裏山にかけてが本家所有の山で、谷川沿いの小道を数百メートル奥に上って広葉樹林の中へ入ると、川の横に建物のない露天の五右衛門風呂があった。

「あれ、こんなところに、なんで?」

 と、その奥を見ると大きな木の下に小さな家があった、兄さんの家だった。

  家へ行くのに橋はなく1メートルほどの川の真ん中に上部の平らな石が置いてあって、そこが渡るための踏み石だった。その両側にも石が置いてあり水の一部をせき止めていた。風呂水を溜めたり洗濯をするためのようだ。

 深さ30センチほどもある水の中に魚の姿は見えなかったが沢蟹が動いていた。

 踏み石を片足で踏んで対岸へ渡ると家に向かって小径(こみち)がついていた。造成したものではなく歩くことによって自然についたものである。

 谷川沿いの道を歩いていたときはわずかながら陽を受けていたが、川を渡って林の中に入ると暗くなった。

 家の周りの大木は僕らが薪の木と呼んでいる橡(くぬぎ)だった。それぞれの木から張り出した枝が家を蔭で覆っていた。

 家ではなく小屋だと思った。表面が二間(3.6メートル)奥行きは1間半(2.7メートル)しかない。

 本家の跡取りが大工で、3男は左官であったから、間伐材を利用して2人で建てたというものだ。

 屋根は切妻で杉の皮を何枚も重ねて葺き、外壁の土壁はこの地方でよく採れるきれいな赤土であった。

一見して物置ぐらいにしか見えない。

「小屋じゃん」

 僕が言うと

「狭くても立派なわが家だ、小屋と言うな、姉さんのしつけが悪い」と冗談混じりに母に言った。

「だって、小屋だ」

「人間が生活するには横になって寝るところさえあれば十分だ」

母も兄さんもひとしきり笑った。

 家の横に継ぎ足した屋根の下に最近出回り始めた鋳物の竈(かまど)があり、その奥にコンクリート製の流し台と大きなはんど水甕(みずがめ)が置いてある。裏山から竹の筧(かけい)が来ていて清らかな音で水がはんどに落ちていた。はんどとはこの地方特産の焼き物で水かめとして使われている。

 僕らが辿って来た谷川とは別に家の裏山からも水が湧いているようであった。だが筧からはんどに落ち込む水音が表しているように谷川とははるかに少ない量だった。それでもはんどから常にあふれ出ているところをみると飲料水を確保するには十分のようだ。

壁際に薪が積んであった、長さを揃え整然と積み上げてある。きちんとした兄さんの性格が出ている。

 梁の上に竹の釣り竿が数本載っており、自分で作ったらしい竹籠がぶら下がっていた、釣った魚を入れるビクであった。 

 集落の外れに中国地方で一番大きな江川(ごうがわ)があるので、釣りによく行っているらしい。

 入口の開き戸を開けて中に入ると半間幅の狭い土間があって、突き当りに大工の兄さんが造った大きな水屋があった。その前に茶碗や汁椀、皿、箸などを収納している箱膳が一つ置いてある。本家から一式をもらい受け日常の食事に使うものだ。箱膳は食事のとき必要な食器を取り出して蓋をすれば膳になる。

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 土間の左手に1・5坪の板の間とその奥が一段高くなって畳1枚分の幅しかない寝る場所があった。板の間の中央に小さな囲炉裏があり、1人にしては大きな鍋がぶら下がっていた。

 囲炉裏の端に薄い座布団が1枚置いてある。

 突然押しかけたにもかかわらず室内はきれいに掃除、整理整頓がしてあった。

「きれいに片付いている」

 母が言った。

「その極意は、物を持たないこと」

 兄さんが気取って言った。そういえば室内にタンスなどの箱物は一つもなかった。そればかりか衣類はどこにしまってあるのかも分からず、壁にもぶら下がっていなかった。

「2個の柳行李(やなぎごうり)に入れて物置に置いているのがすべてだ」と兄さんが明した。

 

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家の中に障子やガラス窓はなく、部屋の中から外を見ると戸らしきものはなかった。

「ここ、夜はどうするん」

 まさか開け放したままで寝ることはないだろう、別の場所から戸を持ってくると思っていた。

 兄さんは黙ったまま窓の上枠に付いているヒサシを支えている左右の棒を外すと、パタンとヒサシが落ちて窓がしまった。部屋は暗くなった。昔からある突上げという窓だったのだ。

 よく見るとこの家の窓はすべて突上げ窓だった。開けるとヒサシになり閉めると戸になる、まさに合理的だ。

 でも、冬の寒い日中はどうするんだろう、障子ぐらい取り付ければいいのに。と思ったが声にはしなかった。

「陽が当たらんなー」

 外を見ながら母が言うと、

「夏はこの方が涼しくていいし、冬は葉っぱが落ちるから陽が当たる」

 兄さんはこともなげに言った。

 家の前に庭はなかった、そればかりか屋敷と山の区別ができるようなものもない。

「あの入口に枝折戸でも付ければ屋敷らしく見える」

 母のアドバイスに、

「庭を造れば掃除をしなければならない、それより山のまま置いておく方が楽だ。ただし、儂(わし)が出したゴミは一片たりとも落とさないようにしている」

兄さんらしい意見だと思った。

 縁台に胡坐をかくと目の前の、幹の下にキツネかタヌキの糞があった。おそらく昨夜のものと思われるほど新しかった。それが通りすがりに脱フンしたものではなく己のテリトリーを主張するために残しているように思えてきた。彼らにすれば己のテリトリーに人間が棲みついてしまった。互いに同じ獣であれば戦いを挑むであろうが、人間ではどうしようもない。せめてもの主張だ。

 家の上空を隙間なく覆う橡の枝葉は、その下に雑草さえ生える光を与えていない。

木漏れ日というには、あまりにも少ない陽光が木々の間を透かして地上に届いていた。燦々と輝く陽は落葉まで待たねばならない。

大木になった橡に視界を遮る下枝はなかった。幹の隙間を透して先ほど渡って来た道の横に五右衛門風呂が見えている、あの先が谷川だ。

寝る場所は板の間より一尺ほど高くしてあって、そこにはゴザが敷いてあり、きちんと畳んだ寝具が片隅に積んであった。

「これ、いいぞ」

 と言って兄さんがまくり上げたゴザの下には寝台の横幅一杯の長さでワラを固く縛って5センチほどに束ねたものを寝台いっぱいに並べてあった。

「これがワラ布団だ、ワラは呼吸するから冬は暖かく夏は涼しい」

 と言った。そのうえ、板の間に寝るより体が痛くならないし楽だ。

 驚いたことに頭の部分と足の部分にも小さな突上げ窓が付いていた。この窓は細竹の格子がついているが、そのうちの1本を木彫りのウサギが抱いているような飾りが付いている。風流な三男兄さんの得意とするところだ。そういえば、囲炉裏にぶら下がっている木彫りの鯛は兄さんが彫ったものだ。「寝たときに圧迫感を感じないよう、窓を付けているんや」

「夏は涼しいぞ」

 戸のない寝間と板の間との境上部に透かし彫りのウサギと月のある欄間が付いていた、大工の兄が彫ったものだ。

 夏には寝台がすっぽり収まる1人用の蚊帳を張っている、さらに囲炉裏に大量のヨモギをくべて煙を出すと、蚊なんて大あわてで逃げるさ、と兄さんが言う。

「夜、寝ていると頭のすぐ近くをタヌキが通りよる、あいつは臭いからすぐわかる」

兄さんは猟はしなかった。追い払うこともせず、お互いに無視しているようであった。だから兄さんの目の前でタヌキが土を掘ってミミズをさがしていることもあるという。

「しかしキツネはだめだ、絶対に姿を見せん」

「冬は寒いやろ」

「人間は昔から寒さに強い動物だ慣れれば寒くない、人間の顔はどんな寒いときでも寒くないだろ」と兄さん得意の弁がたち、

「この寝台の中にはスクモ(モミ殻)をギューギューに詰めているから暖かいぞ」

 天井がないため露出した屋根の裏側にヨシの簾を敷き、その上に藁を厚く詰めていると兄さんが説明した。外から見れば板屋根の上に杉皮を張っただけに見えるが、暑さ寒さ対策の工夫がしてあった。

 兄弟2人が知恵を絞って造った小屋は、小さいながらもアイデアいっぱいのきれいな住居だった、みすぼらしさは微塵もない。

「暖房は囲炉裏だけだが、部屋が狭いから十分な暖かさがある。どうしても寒い夜は炭火のネココタツを足元に入れたら外がどんなに寒くても体は暖かい。それに枕元の窓は余分の布団を積んでおけば風も通らない」

 1人で暮らすにはこれで十分だろう、僕は妙に感心し納得した。僕もこんなところに住みたいと思った。

「それはそうと、押し入れは付いてないが、冬物の布団や衣類はどこにおいているん」

 母が思い出したように聞いた。

「この建物が完成してから押し入れが要ることに気づいて、この部屋の裏に建て増した。だから外からまわらなければ行けない」

 兄さんが頭をかきながら、失敗だと笑った。

 寝台の上に自分で作ったらしい尺八が置いてあった。

「吹けるんか」

「作ったけどな、音はむちゃくちゃだ。それでも誰にも聞こえないからな、気が向いたときに練習しているよ」

 要するに調律はなってないが適当に雰囲気を楽しんでいるということだろう。

 風呂は谷川の横に石で竈を造って五右衛門風呂を載せてあった、露天風呂だ。谷川から水を汲んで風呂に入れるに都合のいい場所だ。

 川とは反対側に江川の河原から運んできた丸い小石を敷き詰めた洗い場が作ってあった。これならどんなに湯を使っても足が汚れることはない。さらによく見ると五右衛門風呂を固定するための石の一つが上部を平らにしてある。体を洗う際のイスにしたり入浴の足場にもなっているようである。

「この風呂は気持ちいいぞ、首まで浸かって目を閉じていれば鳥のさえずり、獣が落ち葉を踏んで歩く足音まで聞こえる。1時間でも浸かっておれるよ」

「雨の日はどうするん」

 まさか傘をさして入浴はしないだろうと聞くと、

「火が焚けんけ、入らん」

 兄さんはあっさりと答えた。

 夏は谷川で行水が多いという。

 前の道を人が通ったら丸見えだ。と心配したが、この山は本家の山だから誰も通らない。

 部屋に電燈はなく、キャンプなどで使う灯油ランタンが一つあった。

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「本家にランプが何個もあるやないか」

 本家で育った母は家で使っていたランプが残っていることを知っている。

「ランプは煤を取り除くのが大変だ」

「確かに大変だった、薄いガラスにこびり付いた煤を布で拭き取っていくが、薄いから細心の注意が必要だ、ホヤが割れやすい」

 ホヤとはガラス部分のことである。

 母が子供のころはランプの煤をふき取るのが日課だという。

 このランタンなら掃除の必要はないが明るさは暗く光の届く範囲も狭い。通常はキャンプでよく使われている。 

 別棟の便所や風呂に入るとき手で持って行くのに便利よさそうだ。

 囲炉裏に1匹ずつ串刺しにして立ててあったアユを全部抜いて新聞紙に包んでくれた、おみやげだ。

 アユには塩を付けずに囲炉裏の遠火で、じっくりあぶって水分を抜いたものである。

 このアユは味噌汁やなべ物にすると美味しいが脂がきついため、あらかじめ水で煮沸後、その湯は捨てて新たに入れた水で作らなければならない。

「なんで、こんな場所に建てたん」

 なにもこんな山中に建てなくても下の里に場所はあるだろうに、と疑問がでた。

 昔から人里離れた山中に籠って修行するお坊さんのことは聞いたことがあるが、兄さんには仏心はなさそうだ。

「この谷の奥にある田んぼからの帰りに、どこも傾斜地だったがこの辺だけ平らに見えてな、それで雑木を払ったらいい場所が見つかったんだ」

 兄さんはここをいい場所だと言った。他人との関りを余り好きでない兄さんらしい選択かもしれない。実は僕も友だちがいなくても寂しいとも思わないし必要としない性格だ。

 この土地は少しでも整備すればりっぱな屋敷になりえる土地だ、兄さんが目を付けたのは賢明だと思った。だが、兄さんは己の資産を所有しようとせず、山に己の棲み家を一時的に置かせてもらうという考えのようだ。本家所有の山だから長兄に遠慮しているのかも知れない。

 小屋を出た母は山道を奥へ上って行った。なつかしいわが家の山を見たくなったようだ。

 この奥に本家で「山田」と呼んでいる、人里から隔離された隠し田のような田んぼがある。実際のところ、この田んぼを取り巻く山はすべて本家のものだから存在そのものを知らない村人も多いはずだ。

 広葉樹林を抜けると両側の斜面に植林した杉とヒノキ林が広がり、これらは間伐や下草刈りがきちんとされていた。3男の兄さんがしているという、本家にとってもありがたいことだった。

「もうすぐかなー」

 母がヒノキの幹を見ながら、売れる時期を考えていた。

「20年ぐらいから売れるらしいからあと5年だな」

 兄さんも幹の太さを見ている。兄さんが手入れをしているだけのことはあって、同じような太さの樹が一定間隔で林立していた。山の地面は背の低い草で覆われている。木々に寄生虫のように取り付くカズラやツタもない。

 すぐ近くに縄を巻いたヒノキがあった。

「これ、何の目印か」

 僕が聞いた。

「間伐する木だ、この前、兄貴と一緒に見て決めたんだ」

 伐採する木は兄弟で決めているようだ。

 薄暗い針葉樹林が突然開けた、ほぼ頂きに近い窪地だった。おそらく昔は湿地だったのだろう。何代か前の先祖が土を入れて田んぼにしたらしい。ここが山田である。

窪地の周りはなだらかな傾斜となってその先に紅葉の始まった原生林が広がっていた。

 秋の日差しが惜しげもなく降り注いでいる。すでに稲刈りは終わっていた。

8畝(せ)(240坪)ほどの田んぼとわずかな畑があり、本家から借りているという。

「1反(300坪)は昔、人間1人が1年間食べていけるだけのコメが収穫できる広さを1反と定めたものだ、ここは少し狭いが、今年は4俵(240キロ)採れた。儂が食べる分には多すぎる」

毎年3表を兄さんがもらって後は本家へ渡していると言った。

 畑も狭いながら整備されて色々な野菜が畝(うね)ごとに栽培してあった、自給自足には十分の量だった。

 驚いたことに畑の四周と天井部分にも金網が張ってあった。

「こうしないと猿や鹿の食料を作ってやっているようなものだ」

 兄さんがぼやいた。中に入った姿を外から見ると人間が檻に入っているようなものだ。

―ここの田んぼの横に家を建てれば日差しもあっていいのに、それに日常食べる野菜を採るのに楽だ。

 と勝手に思ったが、すぐ僕自身で否定した。里への出入りに毎日坂を下ってまた登ってこなければならない、それこそ大変な労力だ。

 

左官の腕はいいらしく適度に仕事があって、さらに日雇いの土木作業にもでていたので、金銭に困るようなことはないらしい。

酒を断ってからおとなしいまじめな人に戻っていた。

 東京であんな目に遭ったから、よほど堪えたらしい、それにしても優雅に暮らしている。と帰りに母がつぶやいた。

 本家へ帰ると座敷にお客である僕ら1人ひとりの高膳がならべてあった。

祭り料理の会食だ。家長である嫡男が酒を注いでまわり食事が始まった。僕らと同じく座っている3男の兄さんに「今日ぐらいいいだろ」と言いながら膳に載っている盃をとろうとしたが「いや、やめとく」と言って兄さんは盃をうつ伏せに置いた。

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翌年、電気が点いたというので見に行くと部屋の奥の方に裸電球が一つぶら下がっていた。

「電気が点いたといっても、下の里からここまでの電柱は自己負担だ、兄貴に無理行って杉の木をもらったよ」

 兄さんがぼやいた。当時は財産のすべてを嫡男が継ぎ、次男以下は裸一貫で分家を建てるという旧民法の財産分与の禁止が依然として続いていたのである。実家の山であっても勝手に材木を切り出すことはできなかった。

 電燈1灯だけが許された契約だから、風呂や便所に行くときは相変わらずランタンを使っているようだった。

板の間背部に板戸が3枚と表にも障子と雨戸が付いていた。さらに突上げ戸を取り払い庇(ひさし)が付いていた。

「やはり押し入れがないと不自由だし、障子があったほうが家らしいから改装した」

 と言いながら押し入れの引き戸を開けた。中は二段になって下に家財道具を置き、柳行李と布団は上の段に置いてあった。これならあらゆる物の収納に困ることはないだろう。

「これで、小屋とは言えんだろ」

 と僕を見た。1年前に言ったことをしっかりと覚えていたようだ。

「うん、いい、僕もこんなところに住んでみたい」

「住みたいか、夜なかに目が覚めたら、どこかの岩の上に寝ていたりするぞ、この辺の獣はいたずら好きやからな」

 兄さんは楽しそうに冗談を言った。

 確かに小さいながらもちゃんとした民家になっていた。

「なにしろ図面も描かずに建てるとこんなもんだ」

 と兄さんが笑った。

 

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 この物語は僕が高校生のときだった。

 物語に出てくる親戚の家は国鉄の最寄り駅から徒歩で1時間かかって峠を越えなければならない集落にあった。こんな山奥で、さらに人里離れた山中に独り暮しをしている兄さんは、30歳を過ぎたばかりであった。

 当時、この地域には人に危害を加える熊はいなかったが、サルやキツネ、タヌキなどの獣は普通に、そこら辺りをウロウロしていた。

 僕にも人里離れた山中の小さな小屋で仙人のような生活をしてみたい気持ちはあったが、闇夜には目の前に突き出した自分の手の指さえ見えない漆黒の世界になる山中で独り暮しなんて、気の小さい僕には到底できることではなかった。

 

 現在、この村も限界集落になり、山に入る人もなくなった。替わってサルやキツネ、タヌキなどの小動物は言うに及ばず当時は居なかった熊さえ里に出るようになっている。

 

  本家が途絶えた今、兄さんの消息は分からない。