温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

ワラ(藁)ぶき屋根

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「夏涼しくて冬暖かい」と言われているワラぶき屋根の家に生まれて高校卒業まで育ったが、このメリットに気づいたのは離郷した翌年に、瓦屋根の家に建て替えてからだった。

 夏の休暇で帰省したとき、昼寝をしようと座敷に枕を出して横になった。

「暑い」

 部屋が暑い。

 扇風機をかけても生温かい風がくるだけだ。涼しい場所を探して結局納戸と座敷の間の薄暗い廊下に身を横たえた。

 夜になっても部屋の温度は下がらない寝苦しい夜があった。ワラぶき屋根と瓦の違いを知らされた。

   幼少年期、どんなに暑い日でも部屋の中は涼しかった。

 座敷に横になって昼寝しているとサワサワと涼しい風が流れ気持ちよかった。

 暑い日は隣のおばちゃんが枕を持って昼寝に来ていた。

 夜は寝具を掛けなければ寝冷えの恐れがあった。

 

 麦ワラで葺いた屋根は風に弱いと僕は思っていた。

 ある年の秋、僕の村を台風の目が通過した。

 山陰地方は台風が来てもかなり弱まっているがその時は勢力も衰えることなくやってきた。

一晩中暴風雨の音と建物のきしむ音に寝具のなかで耳をそばだてていた。

―いつ家が倒れるか。

 と恐れていた。

「倒れたらタンスの横へ逃げろ」

 祖母が言った。

「家の梁が崩れてもタンスで隙間ができる」

 祖母は家がつぶれると思っている。今ではタンスも倒れる危険があるとタブー視されているが当時は安全だとされていた。

 ポタ、ポタ、

 天井裏に置いているバケツに雨漏れが溜まっているようだ。

 そろそろ葺き替えの時期になっている。

 朝が来た。

 朝日が昇っていた。

 屋根の麦ワラは吹き飛ばされて、ほとんど無いだろうと思っていたが、西の角がわずかに飛ばされただけでほとんど被害はなかった。

 一時間後、また暴風になった、風だけだった。こんどは外が見えるので恐さはなかった。

 このとき、家の横にあった太さ20センチほどの桐の木が根元から折れただけでその他の被害はなかった。

 ワラぶき屋根も意外に強かった。

 後日、台風の目が村を通過したと学校で聞いた。

 

 ワラぶき屋根を維持するのは大変である。

 茅を材料とする茅ぶき屋根は20年から30年は寿命があると言われているが、麦ワラを使うワラぶき屋根はせいぜい5年ほどであった。その間に材料となる麦ワラを確保しなければならない。

 そのためわが家の三反(30アール)の田んぼすべてで麦を作った。それでも数年分を溜めなければ必要量に足りなかった。

 麦を食料にするのはわずかだったが麦わらを確保するための作付けであった。麦は農協へ出荷した。

 秋に稲を刈り取った田んぼを耕して種麦をまく、春5月に麦を刈り取ってから田んぼを耕して稲を作る。

 わが家だけではない。当時はワラぶき屋根の民家や納屋が多く、村中みんながこれら農作業をしていた。だから、6月の第一週には農繁期休暇があった。

 農繁期には早朝から家族総出で農作業に取り掛かり日が暮れるまで働いていた。

 農作業は単調な力仕事である、体力限界の力を振り絞って黙々と働く。頭を空白にして一心不乱に働らかなければ一日が長くてしかたない、すぐ嫌になって来る。

 僕は嫌いだった、野良仕事なんてしたくなかった。

 わが家の屋根の葺き替えは経費の問題から、いちどにすべてを葺き替えるのではなく、年を変え片面ずつ行った。今年は前面である。

 朝、職人のおじさんが手伝いの男の人を連れてやってきた。

 職人さんらは屋根に上って、足場となる太い孟宗竹を横に取り付けた。この竹は毎年秋に刈り取った稲を天日干しするための「はさがけ」用だから家の軒下に棚を組んで保存してある。

 屋根に4段の足場を取り付けると、古いワラを荒っぽくはぎ取って落としていく。たちまち真っ黒な埃が空にのぼっている。

 しばらくしたところで僕が職人さんに呼ばれた。はしごを上り、屋根に取り付けた足場に沿って上っていくと、

「これ何だか分かるか」

 職人さんが指で示した場所にはイクラの卵を小さくしたような黄色のきれいな卵が群れていた。

「ムカデだよ、このムカデは大きいやつだから大きくなったら10センチ以上になる」

夏の夜、寝ているときに体の上をモゾモゾと動き回った。爆睡している僕は無意識に手で掻こうとするからムカデに噛まれてしまう。噛むといっても口ではない、体の尻に付いているタガメのような鋭いツメで噛んで毒を入れるのだ。

「痛!」

 飛び起きると体長10センチほどもある黒い大きなムカデがいた。

「この野郎」

 新聞紙を丸めて叩き殺した。

 刺された患部が赤く腫れてきた、痛みは数時間で消えたが腫れは三日ほど引かない。

 蚊帳の中に寝ているのにムカデは潜り抜けて侵入してくるしまつの悪いやつだ。人間の体温を感知して寄って来るらしい。

「食べてみるか、うまいぞ」

 職人さんは冗談を言ったが、もちろん見るからに食欲の出るものではなかった。

 家の屋根に巣を作っていたとは驚きだ、わが家にムカデが多いのもこのせいだった。

 家族は総出で庭に落ちた煤だらけのワラを集めて300メートルほども離れた田んぼに背負っていく。

 取り除くのは早い、午前中の作業で屋根は木と竹の骨組みだけになった。

 午後は新しい麦ワラを載せていく。

 職人さんは載せたワラを固定するため、長い棒の先端に開けた穴に縄をかけて屋根に突き刺す、手伝いの男の人が屋根裏で待機し、入ってきた縄を梁や垂木に回して外に戻している。

 僕も屋根裏へ入ってみた。初めて見る屋根の骨組みはすべて縄で括っているだけだ。

 黒光りした材木や竹を結んでいる縄は意外なほど色が変わっていない。葺き替えの度に点検して補強、交換をしてきたからである。今年はその必要がないらしい。

 職人さんは屋根裏の人が見えないはずなのに、ピタリと受け手の人の前に突き刺した棒が出てきた。長兄がワラの束を上の職人めがけて放り上げる、「ほい」と投げ「ほい」と受け取って、束にした縄を解いて屋根に載せ葺いていく、手際がいい。

 夕方には、ほぼ葺き終わっていた。今日の作業はこれで終わりだ。

 二人の職人さんに風呂へ入ってもらい、夕食を勧めた。

 ほろ酔い気分の二人が帰ってから、僕らも風呂に入り夕食を済ませた。

 屋根はまだ未完のままである。雨が降れば大変なことになるが夏の今日明日は心配なさそうだ。

 翌日も二人の職人さんが来た。

 今日の作業は屋根の棟を葺くことから始まる。職人さんが長兄を連れて裏山に入り、棟の押さえに使える竹を選んで切った。僕と母は一本ずつ家の前まで運び出していく。

 職人さんが棟に上がり、手伝いの人は屋根裏へ入った。僕は屋根の中間に仮設している竹の足場で下から母が放り上げるワラを長兄に渡す中継ぎだ。

 屋根葺き作業は午前中で大方終わった。

 午後は職人さんが柄の長い剪定鋏で新しい麦ワラを切り揃えていった。

 屋根の棟から始め、切りそろえながら足場にした竹を取り払い下りてくる。徐々にきれいな屋根が増えてくる。

「散髪じゃー」

 ジョキジョキと快い鋏の音を発しながら職人さんが言った。

 散髪の終わった屋根は見違えるほどきれいになった。