温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

おなご先生

 

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 女性教師のことを僕らはおなご先生と呼んでいた。これは蔑称ではなく男性教師をおとこ先生と呼ぶながれでおなご先生と呼ぶだけのことであった。

 若い先生は白のブラウスに地味な色のロングスカートを穿き白のズック靴スタイルが多かった。

 

 1954年(昭和29年)に壷井栄の小説「二十四の瞳」が映画化され、数年後、学校で観たときは、大石先生のことを生徒らが「おなご先生」と呼んでいたこともあって、僕らのおなご先生を大石先生と重ね合わせて親しみを持っていた。二十四の瞳は戦争の悲惨さを描いた作品であったが、当時の僕は分教場の大石先生と生徒たちの楽しい学校のシーンだけが心に残り生徒たちが大人になってからのことは見たくなかったという記憶がある。前半と後半のあまりにも違う物語に失望していた。

 およそ漁村には似つかわしくない際立った服装と当時にはまだめずらしい自転車でさっそうと走る大石先生がおてんば先生と言われ、地元のお年寄りに受け入れられなかったように、僕らのおなご先生も、野良仕事で日がな一日土と汗にまみれて生きている村人とはあきらかに違う都会スタイルで、近くに寄るとほのかな香水の匂いがただよった。

 当時にはあった農繁期休校のとき、田畑で手伝いをする生徒を見回る二人のおなご先生は、白のブラウスに派手な日傘をさして回ってきた。

「あんなチャラチャラした格好で」

 と祖母がつぶやいた。農繁期の村の服装にはなじめないものがあった。

 それでも僕はおなご先生を好きだった、おなご先生には都会の美しさがあった。

1年から4年生まではおなご先生が担任になった。

担任はすべての教科を受け持っている。教室での朝礼で「先生おはようございます、みなさんおはようございます」から帰りの「先生さようなら、みなさんさようなら」まで一緒だった。弁当も教室でみんなと食べた。

新学期を迎え新任のおなご先生とはじめて会うときの心のときめきは今でも忘れることのない思い出である。

そして5年生になったとき、おとこ先生が担任と聞いてひどくガッカリした。