温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

聴聞

 僕の家から見える位置に3軒のお寺があり、それぞれ真言宗、浄土宗と禅宗であった。

 これらのお寺では数年ごとに法会が行われていた。

 ある日曜日、真言宗のお寺で法会(ほうえ)があった。数年にいちど行われる法要(ほうよう)で読経と説教がある、そのうえお斎(とき)がある。

「今日は偉いお坊さんがきて説教をしてくれる」

 おばあちゃんに誘われてお寺へ行った。村中の子供たちも集まって遊んでいた。

 だが、僕は祖母の横に座って長い時間続く読経が終わるのを待っていた。その間はじっと我慢して座っているだけである。

 他の子供たちは本堂の外で遊んでいたが僕はいつの場合も祖母の横で静かにしていた。

 やがて、あちこちから咳払(せきばら)いが聞こえ、正座していた足を崩す人がいた。読経が終わったのである。

「かしこかったの、次は説教やで」

 おばあちゃんが退屈している僕を慰めるように、小さな声で教えてくれた。

「説教が始まるで」

 外で遊んでいる子供たちを座敷の前の方に座らせた、僕は祖母の横のままである。

「昔、あるところに水太郎(みずたろう)、火太郎、石太郎という男の子の三兄弟がいたとな。この兄弟は他人からは見分けのつかないほどよく似ていたそうな」

 お坊さんの説教がはじまった。それまで長々と続く読経にうんざりしていた僕は目を輝かせて聞き入った。

「あるとき、三兄弟の住む村に大きな鬼がやってきて村人を苦しめたので、三兄弟が鬼退治に行くことになった」

「鬼ぐらい、おれ一人でいいや」

ということで火太郎がひとりで出て行った。

山や谷をいくつも越えて行くと突然鬼が前を遮(さえぎ)った。

「おーおー、これは丸々と太って美味(おい)しそうな男の子だ、よし、お前を煮(に)て食べてやろう」

 と、鬼は大きな釡に水をいっぱい溜(た)めてぐらぐら煮たてた。

「鬼さん、俺(おれ)は食べられる前にいちど家へ帰ってかあさんに別れを行ってきたい」

 と、頼むと

「そうだの、それぐらいは許してやろう、早く帰ってこいよ」

 鬼さんは火太郎を家へ帰らせた。

 家へ帰った火太郎は「水太郎、お前の番だ」

 と言って水太郎を行かせた。

「鬼さん待たせたね」

「おーおー待った、さあ煮てやるから釡の中に入れ」

 水太郎は鬼にせかされるままに熱湯の中に飛び込んだ。

「鬼さん、いい湯だけどちょっとぬるいよ、もう少し焚(た)いてください」

「なに、ぬるいとな、どれどれ、あちちち」

 熱湯に手を突っ込んだ鬼は飛び上がった。

「煮てだめなら焼いて食べよう」

 鬼は木を集めて火を熾(おこ)す支度を始めた。

「鬼さん、俺はおっかさんに煮て食べられる。と別れてきた。焼かれるのならそのように言って別れを言いたい」

 と鬼さんにお願いして家へ帰らせてもらった。

「火太郎、お前の番だ」

 火太郎は水太郎に代わって、なにくわぬ顔で鬼の所に行った。

「鬼さん、おそくなったね、さあ焼いてください」

 男の子はゴーゴーと燃え盛る炎の中に入っていった。

「鬼さん、気持ちいいよ、でも、もう少し木をくべてください」

「えい、焼いてもだめなら叩き潰して食べてやる」

 鬼は大きな石の上に火太郎を寝かせて石で叩(たた)こうとした。

「鬼さん、俺は焼かれると言っておっかさんと別れてきたから石で潰(つぶ)されるならそのように言って別れてきたい」

 と鬼さんにお願いして家へ帰らせてもらった。

 今度は石太郎の出番である。

「鬼さん遅(おそ)くなりました」

 石太郎は自分から石の上に横になりました。

 鬼が石を持っていくら叩いても潰(つぶ)れません。

「おかしいな、なんで潰れないのだ」

 鬼が必死になっているとき、兄弟が三人そろいました。

「俺たちは、水から生まれた水太郎と、火から生まれた火太郎、石から生まれた石太郎の三兄弟だ、今までの悪事を懲らしめてやる」

 火太郎の体から発する炎が、めらめらと立ち上って鬼を包み込みました。

「あちちち」

 鬼はあわてて川のなかに飛び込みました。

 すかさず水太郎が鬼の足をつかんで深いところに引きずり込んだので、

「あっぷあっぷ」

 したたか水を飲んで溺(おぼ)れそうになった鬼が、必死になって岸に這い上がったところへ石太郎が背中にどんと座(すわ)ったので鬼は動きがとれません。

「降参(こうさん)、降参、もうけっして悪いことはしません」

 鬼は、ほうほうのていで逃げ去ったということです。めでたしめでたし。

 

 このような説教(せっきょう)だった。この物語は記憶に基づくもので実際には30分ほども続いた。

 法要が終わると檀家(だんか)が集まって作ったお斎(とき)(いわゆる昼食)のふるまいを受けて家に帰った。

 漆塗りのお椀で食べる精進料理のほとんどは家でも食べる程度のものだったが、小さなサイコロ形に切った豆腐の味噌汁は、このときだけだった。家では豆腐を味噌汁に入れることは大変な贅沢だったのだ。

 当時は、テレビもラジオもない時代である。僕ら子供は説教のある聴聞(ちょうもん)を心待ちしていた。