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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

 高校2年のときだった。朝、教室は重苦しい雰囲気に包まれていた。あちらこちらで集まって小声で話している。

「どうしたんや」。

「Yが死んだ」

「Y君か、どうして」

「自殺らしい」

 一番前の列にある自殺した彼の席は空いていた。

 同じ中学出身のO君も事情は知らないようであった。O君は自宅から1時間かけて通学していたが、駅から遠いY君は学校近くで下宿していた。

 教壇に立った担任が鎮痛な面持ちで話し始めた。

「皆も承知のことと思うが、昨夜Y君が自ら命を絶った。警察の話によると彼は下宿先の近くに置いてあった単車を無断で乗っていたらしい。昨夜も乗っていて谷に落ちたようだ。普通では決して持ち上げられない急な谷の底から単車を一人で引っ張り上げて、彼はそのまま山に入ったようだ。彼は自分の肩ベルトで首を吊っていた」

「何も死ぬようなことではないと皆は思うであろうが、責任感の強い彼は死を選んでしまった。本当に残念だ」

 気のやさしい担任は泣いていた。男ばかりの教室でもあちこちですすり泣きの声が漏れていた。

 下宿しているY君は放課後学校の近くにある大判焼きを食べに連れて行ってくれることがよくあった。自殺したという前日も5人ほどで食べに行った、僕もその中にいた。

「遠慮するなよ」

 彼の口癖だった。性格温厚だが男気のあるさっぱりした性格だった。だから、大判焼きを食べに行こうかと言えばついて行った。

 その夜、彼は自殺した。

  僕の心に受けた衝撃は大きかった。

「葬儀出席の許可は出さない」

 と学校から達しがでた。

 同級生が大勢で押しかけたら親御さんが困るだけだ、という理由だった。それでも数人は学校を休んで出席した。僕は行かなかった。学校では通常通りの授業があった。

 次の日曜日、O君の案内で同級生10人ほどとY君の実家へ行ったが家の人は出てこなかった。僕らは家の裏山にあるY君の土葬場所にお参りして帰った。

 翌年、Y君の命日は日曜日に当たるのでお参りに行こうかという話が同級生の間ででたが、

「家の人は喜ばない」

 とO君は制した。彼はこれまで何回かお参りしてきたが家の人には迷惑だったようだと彼は言った。

 親御さんの気持ちを思い、そっとしておく方がいいと思った。

   特に久しくしていた友というわけではないのに、僕の受けたショックは大きく数か月にわたり鬱な日がつづいた。後々考えると友を失ったということもあったが、死に対する恐怖からであった。

 当時、僕は死を一番恐れていた。死ねば二度とこの世には帰れない、数百年、数千年いや数億年経っても帰れない、それが恐ろしかった。

「無い、無い、無い・・・」

 恐怖心から精神が狂いそうになって、あわてて妄念を打ち払い、死のことは考えないようにしていた。

 それを彼はやってしまった。かえすがえすも残念だった。 

 彼の冥福を祈った。