温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

映画

「今晩映画に行くから昼寝しときや」

 野良仕事に出かける母が言った。

「やったー」

 僕は飛び上がって喜んだ、4歳の頃の思い出だから昭和23年頃のことだ。

当時、村に映画館は無く、年に数回公会堂(芝居小屋)に巡回映画が来ていた。

さっそく枕を出して畳の上に横になったが興奮して眠れない、それでも一生懸命目をつむって寝ようとしていた。

ゴザを敷いた公会堂の観客席に多くの村人が胡坐(あぐら)をかいている。

映画の内容は覚えていない、ほとんど寝ていたようである。

映画が終わって外にでると夏とはいえ寒々とした星空があった。

― 家まで歩いて帰るのか。

 歩いて30分かかる家までは遠い。

 嫌だな。と思ったが仕方ない、母に手を引かれて歩き出した。

そのとき、「おんぶしてやろうか」と母がバッグに入れていたおんぶひもを取り出した。僕に内緒で持っていたのだ。

おんぶなんてもうとっくに忘れていた。

「重いな」と言いながら僕を背に載せた。 母の背中は暖かく気持ちいい、いつの間にか寝入っていた。今でも忘れることのない母の背中である。

 

 小学4年のとき、高学年全生徒が学校の行事として公民館に集まり映画「山椒大夫」を視た。

年に数回しか視ることのない映画だ、楽しみにしていた。

始まって30分もすると頭痛がしてきた。

1階フロアいっぱいに生徒が座っているし、光を遮断するためすべての窓は黒く分厚いカーテンで閉め切っているから、酸欠になってくる。僕は特に弱く頭痛はひどくなり、やがては吐き気までしてきた。

ついに映画を諦めて外に出た。厨子王丸を逃がして安寿は入水する場面だった。この続きを視たのは僕が大人になってからである。

 

 中学1年の夏休み、大阪の親戚へ遊びにいった。

 ある日、映画に行ったのに従兄は1番前列の中央に座った。

映画が始まると画面が歪んで見える。なんでこんなところへ座るのか分からないまま1本が終わると舞台が明るくなり、派手な音楽に合わせて20人ほどのダンサーがでてきた。舞台の先端で横1列になって片足を交互に、思い切り上げるラインダンスであった。

圧倒されて見上げる僕の目は、正面で踊るダンサーの網タイツが、腿の裏側で大きく破れているのをとらえた。このときの映画の記憶はない。

 

 中学2年のとき、中学校の体育館で「オズの魔法使い」を視た。これまでの映画は白黒映画だったが初めて視る天然色映画(カラー)だ。

映画が始まると白黒だった、がっかりして視ている。

オズの魔法使いは「アメリカの草原で大竜巻に家ごと巻き上げられた少女が辿りついたのは魔法の国だった。そして草原の家に帰るための冒険をしていく、いろいろと冒険してやっと草原の家に帰り着いたとき目を覚ました」という物語だった。

気を失った瞬間から目を覚ますまでが天然色映画に変わっていた。誰もが初めて視るカラー映画であった。カラーに変わったとき「おー」と会場から声が上がった。

「きれいだ」僕も声をあげていた。

 当時、現在では当たり前になっているカラー映画のことを天然色映画と言った。

 そして映画は総天然色映画に変わっていった。

 

 中学3年生のとき隣町に映画館が出来た。これまでは公会堂や体育館にゴザを敷いて視ていたが映画館はイス席だった。

それも一つの街に2か所もできたものだから値下げ競争に入り150円で視ることができた。

この程度の金額なら僕でもなんとか支払うことができたからよく視に行った。

小林旭の「ギターを持った渡り鳥」シリーズは欠かさず視た。

「ギターを持って流しをしている小林旭が見知らぬ土地に来て、そこに在住する女性と知り合い、その街に暗躍する黒幕をやっつけて、また別の街へと旅立っていく」という物語で西部劇の酒場のようなアクションが続いた。

 

 武者小路実篤の「愛と死」を映画化した、石原裕次郎浅丘ルリ子共演の「世界を賭ける恋」を視たのもこのころである。小説「愛と死」を読んで間の無いころであったし浅丘ルリ子の初々しい美しさに憬れ、僕を文学青年に仕立て上げた。

 

 高校生のころになると巡回映画はなくなり、映画館での上映になっていた。

これまでの映画の画面は正方形に近い形であったものが横に広いシネマスコープが出てきた。

ある日曜日、シネマスコープの「十戒」を視に行くと言って長兄が町の映画館へ行った。新しいその映画館はシネマスコープを放映できるスクリーンを備えていた。

「長かった」

 夕方、帰ってきた長兄はポツリとつぶやくとすぐに寝てしまった。かなり疲れたようだ。

 

 高校3年の二学期、高校の文化祭があった。

 工業高校だったから機械、電気、工業化学、建築、窯業の各科ごとに「どのような勉強をしているのか展示を行った。僕の属している工業化学科ではいろいろな化学実験を展示した。

 だが、展示発表に参加するのは「成績の良い順に15人だ」と担任が言い、名前を発表された。45人中15人だ、僕は漏れた。

「選考されなかった者は運動場でソフトボールでもしていろ」

 担任は言い切った。

「あほらしい」

 僕といつも一緒にいる2人と示し合わせて、学校の裏から抜け出て駅近くにある映画館へ行った。ちょうどそのとき、伊藤左千夫の「野菊の墓」を映画化した「野菊の如き君なりき」を上映中だったのだ。

 映画が終わって校庭に帰ると知らぬ顔してソフトボールを見学した。

「どこかへ行っていたやろ」

 同級生の一人が小さな声で言ったが「うん」僕らはうなずいただけだった。

 学校にはばれなかった。