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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

電灯

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 絵・白熱電球

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 家に電燈は1灯しかなかった。
上(かみ)の座敷に40ワットの裸電球が長いコードを付けてぶら下がっていた。
 食事のときには台所へ、寝るときには納戸へと、コードを伸ばし移動して、その部屋の天井に取り付けたフックに掛ける。
 電灯を上の座敷で使えば他の部屋は暗い。足りない明りを補うため、台所の柱に取り付けた棚の上に灯油を燃やすカンテラが置いてあった。灯油は農協で売っていたから年に数回、空(から)の1升びんを持って買いに行った。当時は灯油のことを「石油」と呼んでいた。

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  絵・カンテラ

 料金は定量契約で、いくら使用しても電気代は変わらなかったから寝るときも灯したままだった。だから、一晩中、部屋が明るい。

ただし、電灯一灯だけが許された契約だったので、ラジオなどの電気製品は一切使うことを許されていなかった。

 そのころの電球はフィラメントがよく切れた。定量契約に限り切れたものは電力会社の駐在所へ持っていくと無料で交換してくれた。
 駐在所まで歩いて往復すると1時間かかった。自転車を買ってからは片道15分、田舎の地道を右手でハンドルを持ち、左手で電球を持って往復した。
 ある日の夕方、自転車で電球の交換に走っていた。自転車のブレーキレバーは左手が後輪のブレーキにつながり、右手は前輪となっている。ぼくは右利きだから右手でハンドルを持ち、左手で電球を持って走っていた。かなりスピードがでていたとき、急ブレーキをかけた。瞬間、ぼくは前方にもんどりうって転倒していた。幸い電球は割れなかったがぼくは泥まみれになった。
 未舗装の田舎道のことだから、どうしても電球が揺れる。振動によって新しい電球のフィラメントが切れることもあった。フィラメントは電球の中で明るく光る部分だ。
当方の落ち度で切れても交換してくれない。
「家で点けてみたら、ぱっと光って切れた」
 と嘘を言う。駐在所では、電球を客に渡すときに、必ず客の前で点灯することを確認している。
「そんなに簡単に切れるものではない」とでも言いたそうに不審な顔をしながらも黙って交換してくれた。
 その当時、電気の定量契約で一灯だけという家は、村のなかで数軒だけになっていた。