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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

井戸

 前庭にある井戸は、昭和13年の大干ばつで飲み水にも困ったときに掘ったものだった。
 水面までの深さは7,8メートルほどだったが、幸い山の水脈に通じていたからいつも一定の水量を保っていた。
 水は物干し竿のような長い竹に取り付けた釣瓶で汲み上げていた。
 水温も一年中外気温に影響されることもなく、夏はガラスコップの外側に水滴が滲むほど冷たく、冬は湯気が立つほど温かい、いつも美味(うま)い水を提供してくれた。
 夏、外出から帰って井戸水を汲み、釣瓶に口をつけて一気に飲んだ。
「ごくごく」と喉を通り過ぎていく冷水が全身にこもった熱気を取り払ってくれる。
 至福の一杯だ。
 夏には長い縄を付けた篭(かご)にスイカやマクワウリなどの果物を入れて井戸水で冷やした。
 夕方、家族5人全員が縁側に座って、これら果物を等分に分けて食べた。夏の楽しみだった。
「全員がそろっているときに、同じ量に分けあって食べる」これが鉄則になっていた。ひとりでもいないときには決して食べない、分けることもしない、5人の眼前で分けることを徹底していた。
 ぼくの家では、長兄が極端に可愛いがられ、次兄および三男のぼくとの差別がひどかったことから、
「そんなに差をつけたら下の子がぐれるよ」
 と忠告してくれる人もいたようだが、食べ物については全然差別されなかった。ぐれなかった理由がここにあるのかもしれない。
 それに、祖母は長兄と次兄およびぼくとの差はつけたが、侮蔑とか虐待といったことは決してなかった。次兄とぼくに対しても愛情をもっていた。差をつけるとは溺愛と愛との違いだった。
 井戸のすぐ横まで畑になっていた。畑には糞尿をまかなければならない。まいた糞尿は井戸水に到達するまでに土で浄化されるから飲み水に影響を与えることはない、と信じていた。
 ある日、白衣を着た保健所のおばさんが1人で水質の検査にきた。井戸水を汲んで試験管にいれて視ていたが、突然、白い薬を井戸の中に放り込んでしまった。
「3日間この井戸水は使わないでください」
 小さい声で言って、隣の家へ向かった。何の説明もなかった。
 畑にまいた肥やしが井戸水に滲みこんだのだろうか、そんなことはない、井戸掃除のとき大量の山水が井戸の中を流れているのを見ているぼくには納得がいかなかった。
 隣の家は同級生М君の家だ。
 М君の家でも何も言わないで薬を井戸に落として行ったらしい。
 さあ困った。3日間も水なしでは生活できない。水を何処(どこ)かへもらいに行かなければならない。ところが保健所のおばさんは、村中の井戸に薬をいれたらしい。
「どこで水を確保するのだ」
 村のあちこちで「困った困った」となった。
 結局、М君の父さんが家の裏に掘っていた井戸は、保健所のおばさんに見つからなかったということが分かって「ほっ」とした。
 村のあちこちから、
「保健所もひと言、前もって言ってくれれば、水の溜め置きするのに」
 ぶつぶつ文句を言いながらМ君の家へもらい水に来ていた。
 これが現代なら、ただちに保健所へ文句を言う人もいるだろう。だが、この時代、お役所へ文句を言う人はだれもいなかった。
「お役所のすることだからしかたない」
 これでけりがついた。