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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

おばあちゃん

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 いつもにこにこと微笑を浮かべていたが大きな声をたてて笑うことはなく、ぼくの記憶の中におばあちゃんの高笑いは聞いたことがなかった。
「他人の物を盗ってはいけない、もしそのようなことをしたら、そこの石段を上がらせない」
 縁側で夕涼みしながら、屋敷への階段を指さした。
「他人の物を欲しがってもだめだ、『あげる』と言えば『いりません』と断れ」
 遠慮は美徳だと思っているおばあちゃんは口癖のようにぼくに言い聞かせた。
 このように諫めは常に言っていたが決して怒らず、おばあちゃんに怒られたことは一度もなかった。
 歌は上手だったがぼくや家族の前では歌わない、そればかりか鼻歌さえ聞いたことはなかった。
 おばあちゃんが歌うのを聞いたのは、ただいちど、ぼくが5歳のときだった。近所の家にお嫁さんが来るというので隣組(となりぐみ)総出で手伝いをしていた。
 おばあちゃんも母も余所(よそ)行きの着物に割烹着をつけて朝早くから料理の手伝いをしている。村中の子供たちも朝からその家へ集まって遊びながらお嫁さんの到着を待っていた。
 やがて、はるか遠くの道を一列に並んだ花嫁行列がゆっくりと歩きながらこちらに向かって来た。
 その行列から大きな声で歌っているのが聞えた。「蝶(ちょう)よ花よと育てた娘・・・」という
『長持唄(ながもちうた)』であるらしい。こちらも受け唄を歌わねばならない。
「さあ大変だ、だれか歌えるものはいないか」と皆があわてていた。
 そのとき、、割烹着を脱ぎながらおばあちゃんが台所から出てきて『長持ち唄』を歌いだした。きれいな大きな声だった。子供たちも大人も、面白くなったぞと唄の掛(か)け合いを聞いていた。花嫁の一団が一節歌うと、おばあちゃんが返し歌を一節歌う。というやりとりだ。
 子供心に「いいなー」と聞き入った。
 お互いに唄の掛け合いを行なうなか花嫁はおごそかに到着し、縁側から座敷へ上がっていった。
 障子が閉められた。
「障子に穴を開けてもいいよ」
 おばあちゃんが子供たちに言ったが誰一人(だれひとり)として張り替えたばかりの障子に穴を開ける勇気のあるものはいない。
 ぼくもやっと歩きはじめた幼いころ障子に指を突っ込むと、反対側からおばあちゃんがぼくの指にそっと針を刺したというほどの躾(しつけ)をされてきていた。ましてや他家(よそ)の障子に穴を開けるなんて「とんでもない」ことなのだ。するとおばあちゃんが勢(いきお)いよく人差し指を突っ込んで穴を開けた。指につばをつけて紙を湿らせば音もしないのに、それさえしない。唖然としている子供たちに「これが花嫁歓迎の形として昔から行なわれてきた風習なのだと教えてくれた。
 子供たちもブスッブスッと勢いよく音をたて穴を開けてそこから中を覗(のぞ)いた。
 閉めきった障子に開いた無数の穴から数十個の眼が注目するのも気付かないかのように座敷の人々はすましていた。
 披露宴が始まって、仲人さんからおばあちゃんが座敷に呼ばれ、さきほどの『長持ち唄』に感激したと言われて盃を受けた。
 おばあちゃん一世一代の晴れ舞台だった。
「宴会は3日3晩続く」と聞き、「3日間も寝ないのだろうか」ぼくは不思議に思った。
 翌日も宴会は続いていたが、もはや覗(のぞ)いて見ようという気も起きなかった。
 おばあちゃんと母は相変らず手伝いに行っている。
 3日目、おばあちゃんら手伝いの人たちは、客として呼ばれていった。昨日までは村の人たちが、婚礼家族とそのお客さんの食事を賄(まかな)ってきたが、今日はおばあちゃんらが接待を受けるらしい。花嫁も婚家の一員として接待にまわるのだという。

 同じ年、ぼくの親戚の近所で婚礼があった。
 花嫁も到着し、宴たけなわのとき村の青年団がお地蔵さんを担いで祝いに来た。この地方に昔から伝わる風習だ。青年団の若い衆は庭に整列して祝い唄を歌った。
声をそろえて威勢よく歌った。一節歌って返し歌を待った。ところがこのとき座敷側には歌える人がいなかった。返し歌が聞えない。若い衆は、すでに酔っ払っていた。返し歌を歌えと言わんばかりに再び歌った。
座敷はしーんとしていた。
「なんや、お通夜みたいだの」
 泥酔している青年の1人が言った。
「なに、もういちど言ってみろ」
 花嫁の父が膳をひっくり返して庭へ飛び下りようとした。
 花嫁の父は住み込みの青年5、6人を自宅に住まわせている土木建設業のおやじさんだった。気は荒くへんくつおやじで通っていた。
「まあ、まあ」
 仲人が必死になって制止した。
「お前が悪い」
 花嫁の父は仲人の頭を繰り返し殴った。だが、仲人はじっと両手をついて叩かれるままになっていた。仲人が我慢をして座を潰さなかったから破談にならずに済んだということだった。

 この話には余談がある。おばあちゃんが仲人をしようとしたのだ。
ただし、おばあちゃんには連れ合いがいないので正式な仲人は誰かに頼むつもりだったようである。

 花嫁の父はぼくの家と同じ村の人だ、土木建設業も順調で羽振りもいい。
「うちみたいな貧乏人を相手にするような人ではない、こちらが恥をかくだけだ」
と母が止めるのを、
「貧乏は時の運だ、500年も続いている家だ、貧乏のときだってある」
 家柄に勝るものは無いと思い込んでいるおばあちゃんは母の言うことを無視した。
「娘は、まだ結婚したくないと言っている」
 おやじさんはおばあちゃんの仲人を体(てい)よく断ってきた。その裏で新たな仲人を立てて成立した婚礼だったのだ。
「わしなら、返し唄も歌ってやるのに」
 おばあちゃんが得たりとばかりの顔をした。
 叩(たた)かれたのがおばあちゃんなら我慢できなかっただろう、婚礼も潰(つぶ)してしまったであろうことは想像に難くない。


 返事は「はい」と言え

 「昔な、大きな池に龍がいたとさ。龍は池で千年を越さないと天に昇ることができないが、その龍は千年を超えたので天に昇ることになったんだとさ。そしたらな、千年もの間一緒に遊んでいた亀さんが、いちどでいいから天に昇ってみたいと龍に言ったとさ」
「よし連れて行ってやるから、わしのシッポに噛みついていろよ」
 と言うことで亀さんは龍のシッポに噛みついて天に昇りだした。
 龍はものすごい勢いで天に昇っていたとさ。
「亀さん、落ちないようにしっかり銜(くわ)えているんだぞ」
 龍が言った。
「亀さんは『うん』と返事をしたとたん真っ逆さまに落ちてしまったとさ。
『はい』と言えば落ちなかったものを『うん』と言ったばかりに落ちてしまったということさ」
 ぼくが5歳のころから小学校入学当時、祖母に聞かされた話だった。
「そんなことない『はい』と言えば口が開くから落ちるけど『うん』なら口が開かない、だから落ちない」
 ぼくは俄然と反論した。
「いいや、『うん』と言ったから落ちたんだ」
 祖母も決して負けてはいなかった。
 納得のいかない話だった。祖母は「返事は『はい』と、はっきり言え」と言いたいのだが、龍の話をするからつじつまが合わなくなったのだった。 

 

 待つことの嫌いなおばあちゃん

 隣町へ買い物に行くため玄関を出たおばあちゃんが縁側に腰掛けた、もうバスが来る時間だ。
停留所で待てばいいのに、と思うのはぼくだ。おばあちゃんはじっと村境の方を見つめている。
「来た」
おばあちゃんが立ち上がって歩き出した。バス停までは200メートルほどもある。一生懸命小走りに歩いているがバスの方が速い、ここからはバス停は見えないが、バスが先に着いたはずだ。
ー乗り遅れたな。
 ぼくの心配をよそにおばあちゃんはバスに間に合ったようだ。懸命に歩いているおばあちゃんを見た運転手が停留所で待ってくれたのだ。

「追い立てるようで言いにくいけど、もう出発しないと汽車に間に合いませんよ」
 親戚のおばさんが時間を気にした。
 祭りに招待されたおばあちゃんとぼくが帰る日、汽車に乗る駅まで1時間もかかるのにおばあちゃんはのんびりと話し込んでいる。
「もう1泊してください」
「いや、もう帰るけ」
 おばあちゃんはやっと腰を上げた。
 おばさんに見送られて家を出たものの、道で出会う人と丁寧なあいさつを交わしなかなか進まない。この村出身だから顔見知りの人は多いのだ。
「汽車に乗り遅れるよ」
 この汽車に乗り遅れたら次の汽車まで2時間は待たねばならない。
 なんどもせかして、やっと駅の見える場所まで出たとき、ぼくらの乗る汽車が駅に着いているのが見えた。
「おばあちゃん乗り遅れるよ」
「いや、ここで対向列車を待つから心配ない」
 おばあちゃんは悠然と歩いている。
 駅の近くまで来たとき「ボー」と発車の汽笛が鳴った。対向列車はすでに通過していたのだった。
「走れ」
 ぼくらは大慌てで駅舎を通らず材木置き場を横切って動き始めた汽車に取り付いた。ホームとは反対側から乗る乗降口はずいぶん高い位置にある。ぼく1人では乗り込むことのできない高さだ。
おばあちゃんがぼくを押し上げると着物の裾をぱっとはだけて乗り込んできた。
「どこまで行きんさるかね」
 駅舎をでた駅員が大声で聞いてきた。
「福光ですけ」
 おばあちゃんが大声で返事した。すでに汽車は加速していた。
「浅利から乗りましたけ」
 福光駅でおばあちゃんが汽車賃を払おうとすると、
「もう少し余裕をもって乗ってくださいよ」
 と駅員から言われてしまった。乗車した浅利駅から連絡が入っていたのだ。
 おばあちゃんはちょっとだけ赤い顔をしてうなずいた。

 

 何を聞いても「知らない」「分からん」とは決して言わないおばあちゃん。

 秋、納戸で寝ていると背戸からジージーと集団で鳴く虫の声がぼくをいらいらさせた。
「うるさいな、おばあちゃんあの虫はなんだ」
 耳障りな声にうんざりして聞いた。
「ミミズだよ」
 おばあちゃんが答えた。
 大人になって分かったことであるが、ケラという昆虫の鳴き声だった。

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 2、3センチほどのコオロギに似た体つきをしているが両手はモグラのような土かきを持っていて砂場に穴を掘って住んでいた。
 オスは砂場を共鳴室として使って鳴き声を大きく響かせるからぼくら人間にとっては眠りを妨げるうるさい虫であった。
 コオロギと同じように簡単につかまえることができたので、手の平に載せると両手で土搔きで穴を掘ろうとする。その力は体長に似ずかなり強かった。
地域によってはオケラともいう。オケラと言えば俗に「一文無し」のことであるが、なぜこのような俗語ができたのかは分からない。ケラにとっては心外だろう。

 

 荒城の月

 中学1年のとき、「荒城の月」について、
「どういった情景を歌ったものか調べてきなさい」
 と音楽の宿題がでた。
 家でおばあちゃんに聞くと、
「敵に攻められていよいよ明日は落城するという夜、最後の酒盛りをしたときの歌だ」
 と教えてくれた。ぼくもそうだと思った。
 次の音楽の時間、ぼくは自信をもって発表した。
「ちがうよ」
 先生はそっけなかった。
 その夜、
「おばあちゃんが教えてくれた情景は間違っていた」
 口をとんがらすぼくに、
「先生が間違っているんじゃ」
 おばあちゃんは言い切った。

 

 真綿(まわた)

 ある年の夏、おばあちゃんは隣村の養蚕農家から数十匹の蚕(かいこ)をもらってきた。おばあちゃんは何も言わなかったが、若いころその家へ仕事に行っていたらしく手慣れたようすで、納屋の裏に一本だけ植えてある桑の木から枝ごと葉を採ってきて古いモロブタに入れている蚕の上に置いた。
しばらくすると蚕は桑の葉に取り付いて一生懸命に食べ始めた。
耳を澄ますと「バリバリ」と聞こえている。すごい食欲だ、いつ見ても食べている。
 おばあちゃんは毎朝、露の付いた桑の葉と入れ替えている。
 蚕は日ごとに大きくなり数週間もすると口から糸を出しながら自分の体を包み隠していった。
 数日後、桑の枝のあちこちにできた楕円形の白い繭を集めて、熱湯の中で解きながら薄く布状に広げた。真綿のできあがりだ。

 木綿で楕円形の座布団のような中身を作り、これを真綿で包(くる)んだ。
 これに紐を付けて背当てができた。カッパの甲羅のような恰好をした真綿の背当ては見栄えは悪かったが意外と温かく、寒い日には綿入れ袢纏の上に着けていた。
 ある朝、「今日は寒いからこれ着けて行きや」と言って、薄く伸ばして広げた真綿を背中の肌着の間に入れてくれた。
「こんな薄いもん、効き目ないよ」
 ぼくは信じていなかったが意外に温かく、その日は寒さをまったく感じなかった。