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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

鶏(ニワトリ)

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    絵・名古屋コーチン

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    絵・レグホン

「ヒヨコが生まれたよ」
 母の声に布団から飛び起きて上がり框(かまち)に走った。
 土間に藁(わら)を敷いて設えた臨時の寝床にニワトリが座(すわ)っている。
「コッコッコ」と呼びかける声がとても優しい。
「ピヨピヨ」と声haするが姿は見えない。
「静かにしていろよ」
 次兄に言われて、そーっと座敷の端に座った。
 親鶏(オヤドリ)の背中からぽつっとヒヨコが頭をだした。腹の下にいると思っていたぼくはびっくりした。黄色いクチバシで親鶏の羽根をかき分けて頭をだし、きょろきょろと外の様子を窺(うかが)うとすぐ羽根の中に潜(もぐ)り込んだ。
 親鶏が立ち上がった。
 数羽のヒヨコがタマゴから出ている。タマゴの一点からくちばしをだして外に出ようと奮闘しているのもいる。
 生まれたばかりのヒヨコは全身が濡れていてきたない。
 先に生まれたのは、きれいな黄色になっている。
「かわいいなー」
「しーっ」
 兄ちゃんに怒られた。
 きたなかったヒヨコも数時間すると羽根が乾いて、きれいな黄色になった。
「かわいい」
 ヒヨコに触れようとしたぼくの手の甲を親鶏につつかれた。
「痛い」
 あわてて手を引いた。親鶏もヒヨコのときからぼくの家で育っており、決しては刃向(はむ)かってこないのに、攻撃してきたことが信じられなかった。
 成長してニワトリになってもヒヨコのときから餌(えさ)をもらい、育てられているのでぼくら家族をまったく恐れない。近くによっても逃げることもしない。捕まえようとすれば逃げないで地に伏して簡単につかまった。
 
 親鶏に孵化(ふか)させるのは数(かず)に限度があった。多くともせいぜい5、6個でしかない。
もっと多くのニワトリを飼いたいということで、農協からヒヨコを買うことにした。
 今までのは名古屋コーチンだったが農協で買うのは白いレグホン種になった。コーチンより体格も、タマゴもひとまわり大きい。コーチンは食肉用だがレグホンは産卵用だということだった。
 早春、注文していたヒヨコが農協から配達されてきた。
 ヒヨコは生まれてから5日間は呑(の)まず食わずでいるので、この間に注文先へ配送するのだ。
 さっそく縦1メートル、横50センチ、深さ30センチほどの箱を作り、一方の隅に30センチのところで仕切り壁を付けて、その中に柔らかくした藁(わら)を敷いた寝床を設えて、箱の下の火鉢で暖めた。
箱の前面は砂を薄く敷いて運動場とする。寝床と運動場の出入り口には、布のノレンを付けて冷気が侵入しないようにした。
 箱に入れたばかりのときは出入り口が分からないので、1、2回ヒヨコを導いて出入りさせると、すぐに覚えて自分で出入りするようになった。
 寝床は暖房がきいているから両足をピーンと伸ばして横になり気持よさそうに寝ている。
警戒心は微塵(みじん)もない、この寝姿は親鶏を持たないヒヨコだけだった。親鶏に育てられたヒヨコは外敵に対する警戒心を植え付けられているから両足を投げ出して寝入ることなどなかった。
 目が覚めるとカーテンをくぐり、運動場にでて餌を食べたり水を飲んだりしていた。
 ある朝、耳元で鳴くヒヨコの声にびっくりして目が覚めた。母の布団でヒヨコが寝ている。暖房に使っていた火鉢の火が消えて、寒くなったヒヨコが騒ぎだしたが起きるのがめんどうなので母の体温で温めてやったのだった。母のおっぱいの上や、ふところに足を投げ出して寝ていた。
 あまりにもかわいいので、一羽をぼくの布団に入れようとした。
「ヒヨコが潰(つぶ)れるからだめだ」
 母に取り返された。
朝、母の顔に疲れがでていた。
「ヒヨコは気持よさそうに寝てくれたが、自分は寝不足になった。
 母がぼやいた。

 ひと月もするとヒヨコもずいぶん大きくなって体長は10センチほどになり黄色であった羽毛も白くなってきた。
 そろそろ外に出して日光浴をさせ、虫などをついばむことを教えなければならない、と言っても庭に放すだけのことである。
 外に放すとヒヨコは大喜びで遊んでいた。このときがヒヨコにとって一番危険なときである。野良猫やトンビが虎視眈々と狙っている。
 親鳥がついていると「ピー」っと一声の警戒音で、さわがしく遊びまわっていたヒヨコが一斉に木の陰に隠れて伏せじっとしているが、人工ふ化したヒヨコはまったく警戒することを知らないので、ぼくが庭に立って見張りをしなければならない。
 中学生のとき、夏休みに入ったばかりの天気のいい昼過ぎだった。
 庭で遊んでいるヒヨコを狙っているらしく野良猫が納屋の横で座っていた。
「そうはいかんぞ」
 小石を持って納屋の方に行くと野良猫は逃げ去った。そのとき、
「ピー」
 ヒヨコの絶叫に振り向くとトンビがヒヨコを掴んで飛び立つときであった。
「しまった」
 小石を投げつけたがもはやどうすることもできない。「ピー」と叫びながら連れ去られるのを地団太踏んで見ているだけだ。その夜、くやしいのと可哀そうなヒヨコのことを思い、寝苦しい一夜をすごしたぼくは朝からトンビが向った山に入った。
 昨日、トンビの巣があるであろう松の木の目星を付けていた。
 一本一本松の大木を見上げトンビの巣を探した。
「あった」
 とうとう見つけた。さっそくその大木に上り始めた。最初は上りつらい大木も一の枝まで取り付くと後は枝を伝いながら上ることができた。
 巣は木の頂近くにある、とうていそこまでは上ることができない、「どうしたものか」と上を見つめているとき、強烈な痛みが背中に突き刺さった、トンビの反撃だった。高いところから飛び込んでぼくの背中に両足の爪を突き立てたのだ。よく見ると3、4羽も集まっている。
たまらず、その木を下りた。いったん家に帰り長い竹で竿を作って再び、その松の木に上った。こんどはぼくもトンビを警戒しているし、長い竹竿を持っているのでトンビは高い位置でぐるぐる回っているだけだ。
 竹竿が巣にとどくところまで上り、長い時間かかって巣を叩き落とした。巣の中にはトンビのヒナがいたはずである。ぼくはあえて落とした巣を確認することもなく家へ帰った。
「可哀そうなことをして」
 意気揚々と敵(かたき)をとったことを祖母に報告すると、
「トンビだって子に食べさそうとして獲ったのに、あまり殺生はするものではない」
 とたしなめられた。
「いや、ヒヨコを獲りやがったら絶対に許さない」
 ぼくは言い切った。
 
 ヒヨコが体長20センチ程度になると鶏小屋へ放した。畳1枚分ほどの新しい小屋にはスクモ(コメのもみがら)と藁(わら)を敷いている。
 ヒヨコたちはスクモや藁をくちばしでつついたり、足で後方へ掻きだして遊んでいた。
 夜になると、止まり木にまだ飛び乗れないヒヨコたちは部屋の隅に集まって寝ていた。
 ある夜8時ごろ、鶏小屋の異変を察知した長兄が家を飛び出したときにはすでに遅かった、5羽が殺されて小屋から山の方に向けて点々と転がっていた。異変に気付くのが早かったから持ち去る途中だったのだ。
 小屋の金網に5センチほどの丸い穴が開けてあり、茶色の毛が数本こびりついていた、イタチにやられたのだ。
 悔しがったがどうしようもない、死んだヒヨコは明朝埋めてやろうと、その夜は籠をかぶせて置いていたら朝にはすべて持ち去られていた。
「これはかなわん」ということで犬を飼うことにした。
 同級生のS君が、すでに2歳になっているオスの成犬をくれた。
 ペスという名がついていた。
 こげ茶色の汚い犬ではあったが、耳は直立し中型で精悍な賢い犬だった。秋田犬の雑種であろうとぼくは思っていた。虐待ともいえるほど厳しくしつけてあったから、おとなしくて人間に従順だった。
 ぼくの家へ初めて連れてきた日、たくさんのエサを食べさせた。そして鶏小屋近くに新しい犬小屋を置いて「ここがお前の寝るところだよ」と言い聞かせた。その頃は犬を繋いで飼うことはしなかったから、はじめの2、3日は我が家で晩ごはんを食べて夜にはS君の家に帰っているようだった。
 4日目の夜中、犬小屋から吠える声がした。ペスはりっぱに我が家の番犬になったのだ。翌朝、ペスの体をていねいになでてやりエサを多く与えた。以後ペスはS君の家へはいかなくなった。
 母は1日中、納屋で商売にしているムシロを織っていた。土間はワラの切屑で敷きワラのようになっていたから、ドッタンバッタンと足踏み式の織機を動かしている納屋の入り口近くでペスが昼寝をしていた。
 夜も犬小屋に入らず納屋で寝ていることを知った母は、仕事を終えて納屋を出るとき犬が出入りできる程度に戸を開けたままにしていた。
 ある朝、母が納屋に入ると土間にニワトリの頭だけが転がっていた。てっきり我が家のをやられたと思った母は40羽のニワトリを一羽ずつ数えたが減っていない。おそらく夜の間に他家のものを獲ったらしいということで納得した。それから何回もニワトリの頭だけが転がっていて、その都度我が家のを数えたが一羽も減っていない。不思議にもニワトリを獲られたという噂もたたなかった。
 母はニワトリの頭を山際に埋めるため、幅広い火箸でつかみながら、
「たまには一羽まるごと置いてくれてもいいのにな」
 ペスに冗談を言っていたがいちどもそのようなことはなかった。
 火箸はいつも納屋の入り口に置いてあった。
 数か月後、「近所のおじさんはタマゴを産まなくなったニワトリを食べるため、柿木に足をくくって逆さ吊にしておいてから、草刈り鎌でスポッと首を切り落としていることを思い出した。残酷なやり方だが、こうすればニワトリを苦しめることなく殺すことができ、しばらくそのまま放置しておくと体内の血が抜けるため好都合だと言って、この方法をとっている人も多いらしい。 
 ペスはこの首を持ち帰っていたようだ。

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 ペスが納屋の土間で昼寝をしているとき、母はヒヨコを納屋の土間で遊ばせた。屋内といっても土間の奥にはネズミがおり蛇の危険性も皆無とはいえないがペスがおれば安心だ。
 ヒヨコはペスを親と思っているのかまったく安心しきっている。
 昼寝をしているペスの背に載ったり腹をつついたりして遊んでいる。
 ペスは顎を地につけたまま目だけを動かしてヒヨコを見ているだけだ。食べようと思えば一口で食べることができるし、好物だと思うがペスの目にはやさしさがあった。
 数羽がペスの温かい腹にピタリと寄り添って昼寝をはじめてもペスはしばらくじっとしていた。そのうち、ゆっくり動いて移動し別の場所で寝そべった。
 ヒヨコを庭に放しているときは誰かが番をしていたがそれでもトンビや野良猫に狙われた。そんなことからぼくは野良猫を見つけると石を投げつけていた。ある日敷地の端にいる野良猫に石を投げた。そのときペスが猛烈なダッシュで猫に襲いかかった。以後は敷地に一歩も寄せ付けなかった。
 トンビはしたたかだった。獲物を獲るときは掴(つか)むまでいっさい音を立てない、気が付いたときは空へ飛び立つときであり、もはや手後れだ。
 ある日、ヒヨコを庭で遊ばせていると、ヒヨコを狙って突入してくるトンビにぼくは気付かなかったが、近くで昼寝していたペスが猛ダッシュしたのに驚いてそちらを見るとトンビを押さえつけていた。ヒヨコは横に転がっていたが無事だった。ペスはまったくの無言で吠え声ひとつあげずに跳びかかっていた。
トンビは押さえられたのが尾っぽであったため羽を二本抜かれたのみで命拾いして空に逃れた。
「よくやった、賢いぞ」
 頭をなで褒めてやった。
 それからはペスがいつも番をしており、トンビも野良猫も近寄らなくなった。
 
 朝、ニワトリ小屋の戸を開け放すと待ってましたとばかりに先を競って外に出てくる。羽根をバタバタと羽ばたいて走り出すのもいる。
 ニワトリは屋敷内を自由に動き回って、畑や野菜に取り付く虫を食べていた。だからわが家の野菜は無農薬、有機肥料の野菜だ。
屋敷の外に出ることはなかった。また、野菜を食べれば叱られるということを知っているのか、栽培しているものは食べなかった。
だが、ニワトリにも自制の利かないものがあった。
秋、脱穀(だっこく)の終わった籾(もみ)を庭いっぱいに広げた莚(むしろ)の上で天日干をする。籾は鶏の大好物だ、いつの間にか莚にのって食べている。
「こんな破(やぶ)れ鶏(どり)が」
 大きな声で祖母が追い払う。
「ケッケッケ」
 悲鳴をあげ、必死に羽ばたいて逃げる。
 家の前を通りかかった人が声をだして笑っていた。

 春になると母子本能でタマゴを温(あたた)めようとする。未受精のものをいくら温めてもヒヨコは生まれない。それでも、5、6個のタマゴを腹の下に抱えて座り込む。そうするとタマゴが腐る。これには母も困った。母はニワトリをつかまえて池の水に腹を浸けた。20分、30分と我慢強く母も水の中に入ってニワトリを押さえつけていた。
ある日、遊びに来ていた同級生のK君が小さな声でぼくに聞いた。
「あれはなにしているの」
 じーっと無言で池の中にいる母の姿が異様に見えたのだ。
―そんなことで効くのかな。
 ぼくには理解できなかったが、数日後、タマゴを抱かなくなった。
 それでも効果がないときは、農協からセメントで作った偽(にせ)卵を買ってきて、すりかえておいた。ニワトリはセメントのタマゴを一所懸命になって温めるが生まれるはずがない。そのうちあきらめていた。
 ある日、柿木によじ登った蛇が地に落下していた。1メートルほどもある大きな青だいしょうだ。なんども繰り返し登っては落ちている。よくみると腹が大きく腫(は)れている。偽卵を呑んだようだ。本物なら消化されるが、セメントの偽卵は消化しない。蛇も苦しいから腹の中にある偽卵を潰そうとしているのだ。
 翌日、その蛇は柿木の枝に巻きついて死んでいた。
 その下は、隣の家へ行く通路になっているので死骸を放置するわけにいかない。困ったことになった。それでも取り除く勇気がわかないまま手をつけないでいた。3日後、勇気を振り絞って取り除こうと現場に行ってみると死骸が無くなっていた。トンビが取っていったのだろう、「ほっ」と胸をなでおろした。
そのままにしておけば、日ごとに無残な姿になり、気持ち悪くてしかたないところであった。

 毎日1回の給餌(じ)はぼくの役割になっていた。細く切ったカンランと糠(ぬか)を混ぜ合わせ、わずかの水を加えて、手でにぎればかたまる程度の固さに練った。カンランとはキャベツのことであるが結球せず、葉も厚く硬いので春の若葉を野菜炒めにして食べることしかせず、ニワトリのエサとして使用する方が多かった。
「トートートー」
 と呼び寄せると、あちこちで遊んでいるニワトリがいっせいに集まってきた。みなが駆け足で、羽ばたいて走ってくるのもいる。
 ときどき、貝殻の破片を入れてやった。貝殻はチップ状にしたものを農協で売っている。
これを怠(おこた)ると殻の弱い卵を生んでしまう。
魚粉を混ぜ合わせることもあった。鶏にとってはごちそうなのだろう、飛びついて「クークック」と喉を鳴らしながら一心不乱に食べていた。
 夕方にはニワトリ小屋の戸を開けておくと、自分で小屋に入って止り木に行儀よく並んで寝ていた。
  
 高校2年を終わった春休み、燃料にする「割り木」を山の上から運び出すアルバイトをした。
 山の奥に通じる道筋に竹林に囲まれた一軒家がある。
ぼくの後になり前になりしながらついてきていたペスが、その家の前でぱっと突然ダッシュした。その先の竹林でニワトリが放し飼いにしてあったのだ。
「やめろペス」
 ぼくの制止も、すでに全神経を獲物に集中しているペスには届かなかった。1羽に的を絞ると前足をそろえ飛び上がる格好を付けてハッシと地を踏んだ。ニワトリは危険を察知して飛び上がった。ペスはニワトリがあまり飛べないのを知っていた、じっとして動かず目で追い、ニワトリが着地するのと同時にニワトリの首に噛みついた。すべてが一瞬のことで寸分の無駄な動きはなかった。ニワトリはキュンとも声をだすことなく絶命していた。
 ニワトリをくわえて誇らしそうに持ってきたペスを叱る気にもならなかった。そのニワトリを飼い主に渡し、ぼくの家ので弁償することで了解してもらった。
「竹林にいたのではしかたないな」
 母も家のニワトリで弁償することを認めた。

 ぼくが家にいるときはぼくの近くで昼寝をしているペスも、留守には納屋で仕事をする母のもとで寝ころんでいた。
 春になると新しいヒヨコが来て、ペスにまとわりつきニワトリもペスの周りをうろうろしていた。
 ペスは相変わらず我が家のヒヨコやニワトリを大切に見守っていた。

 高校生の夏休み、ニワトリ小屋を作ることを思いついた。横3メートル、奥行き2メートルの広さをもち、小屋の後ろ側に棚を作って、タマゴを小屋の後ろから取り出せるようにした。
 古い小屋を解体して製作にかかったが1日で終わらなかった。夕方、外で遊んでいるニワトリを何所(どこ)へ入れようかと思案したが40羽ものニワトリを入れる場所がない。
日暮れは近付いてくる。困ったと思っていたら、ニワトリは1羽ずつミカンの木に飛び上がった。ミカンの木の高い枝をねぐらとしたのだった。猫でさえも寄り付くことのできない高い場所の小さな枝にとまっていた。
 3日後小屋が完成した。棚でタマゴを産むとタマゴだけが小屋の後ろに出る仕掛けを作ったがニワトリに無視された。竹でつくったため居心地が悪かったのだろう。タマゴは藁(わら)を敷き詰めた室内の隅にかたまっていた。
 棚に柔らかい藁を敷くと棚に産み出した。ひとまず成功なのだがタマゴを取り出すには小屋の後ろから手を突っ込み、手探りで取り出さなければならなくなった。
 雪の夜、ドサッと音がした。ニワトリ小屋が雪の重みで押しつぶされたのだ。3羽が圧死していた。素人作りの小屋は、見た目には上手く出来ていても、わずか20センチの積雪にも耐えることの出来ないものだったということを曝(さら)け出してしまった。
 病死とは違うので食べればいいのだが、ヒヨコのときから育てかわいがってきたニワトリだ。
「食べるのはかわいそうだ」
 家族の意見は一致して埋葬してやることになった。このとき、ぼくは近所のあるおばさんのことを思い出した。ニワトリが死んだとなれば欲(ほ)しいと言って来るに違いない。
「そうはさせるもんか」 
 ただちに深い穴を掘って埋めた。
 はたして、昼前にそのおばさんがやってきて「病気と違うから食べればいいのに」と欲しそうに言った。
「もう、何時間も前に埋めてしまった」
 ぼくは冷たく言い放った。
 埋めた後を残念そうに見ていたが、さすがに掘り出すことはしなかった。
 常に40羽のニワトリが居るように補充していたので、タマゴは毎日40個とれるはずだが、現実には、10個ほどしか産まなかった。歳をとればタマゴを産まなくなる、それでも処分することもせず、老衰で死ぬまで飼っていた。どのニワトリがタマゴを産まなくなったのか、詮索もしなかった。
 農協から買うヒヨコは雌(メス)ばかりだったが、たまに雄(オス)が混ざっていることがある。雄はタマゴを産まないのでなんの役にもたたない。それでも皆と一緒に大きくなり老衰するまで飼っていた。飼料の米ぬかは近所の精米所へ行けば無料でくれたからタマゴを産まないニワトリを飼っていても負担にならなかったことも一因だが、殺すことなどかわいそうでできなかったのだ。
 鶏肉を食べたくなったら隣町まで買いに行った。
 だが、「食べるのはかわいそうだ」と埋葬するのは我が家ぐらいなもんだろう。