温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

木炭自動車(もくたんじどうしゃ)

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    絵・木炭自動車

「グオーン、グオーン」
 聞きなれない音が聞えてきた。
 100メートルほど先の大道(県道)に止まっているバスの後部で、男の人が何かを回転させていた。
真っ黒な煙がもうもうと立ち上っている。
木炭自動車だった。
 太平洋戦争の影響で手に入らなくなったガソリンの代用燃料として、木炭を燃やして発生させた一酸化炭素や水素などの可燃性ガスを、送風機でエンジンに送り込んで動かすのだ。
男の人が回しているのが送風機だ。
 大量の煙はバスの後部を覆(おお)いながら空に舞い上がっている。

 木炭自動車は1、2時間も走ると力が弱くなるので、また、釜(かま)に木炭を足して再び走り出したという。
 やがて、まっ黒な煙の中から、のろのろとバスが動き出した。
「あれは、だめだ」
 隣町の温泉津へ買い物に行くため、家をでてきた祖母が言った。
「このまえ、温泉津へ行くのにあのバスに乗ったら、坂道で降ろされた」
「なんで」
「大雨の日だったから大勢の人が乗ったんだよ。バスの力が弱いから、坂道を、よう上らなかったんだ。おかげで、こっちは坂の上まで、ぬかるみ道を歩かされた」
 雨の日だから乗ったのに歩かされた。それが祖母の気が治まらない理由らしい。今日は隣町まで片道40分の峠道を歩いて往復するという。
 やっと動き出したバスの横を、進駐軍(しんちゅうぐん)のジープが猛スピードで追い越していった。
進駐軍とは、日本に駐留(ちゅうりゅう)しているアメリカ軍のことだ。
「ハロー」
 ぼくは、あらんかぎりの大声で手を振った。

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    絵・進駐軍ジープ


 このころ、進駐軍のジープが大道をよく通過した。

 ぼくは、いつも石段まで走り出て「ハロー」と手を振っていた。ぼくの茶碗には進駐軍のジープと手を振る少年の絵が描かれていた、この絵と同じことをしていたのだ。だが、進駐軍を見たら「ハローと言って手を振りなさい」と、ぼくに教えたのは母だった。
ぼくの父は沖縄でアメリカ軍と戦って戦死している。母は、「アメリカ軍に刃向(はむ)かった兵士の家」だと進駐軍に知られることを恐れたのかもしれない。

走り去った道の上に舞い上がった砂埃(ぼこり)が帯のように連なっていた。

 下り坂では自転車にも追い越され、平地でも時速40キロしかでない。そのうえ、雨降りの日には歩かされる木炭自動車、悪評ですぐ消えてしまった。

 3歳ごろの記憶だった。