温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

肥料(こやし)

 朝から粉雪が降っている寒い朝だった。
 近くで大きな話し声が聞えている。静かな村のことであり、ほとんど聞くことのない大声だ。
―なんだろう。
 ぼくは石段を下りて屋敷前の道に出た。
 100メートルほど下(しも)の道端で5、6人が電柱を交換していた。
 作業を見ようと、近くへ行った。
「危ないから近くへ来てはだめ」
 作業をしていたおじさんに追い返された。悪いことをして追い払われたような言い方だった。
 しかたなく、家(うち)の庭から見ていた。
 
 祖母が、せっせと家の掃除を始めた。竹箒(たけぼうき)で庭を掃除し、上(かみ)の座敷をきれいに掃いて、大きな火鉢に、かんかんに熾(お)きた炭火を入れた。火鉢もやかんも普段はしまってあるものだ。
 
 昼ごはんの時間が近づいたとき、
「工事をしている人に『お昼をどうぞ』と言って来て」
 祖母に言われるまま、工事をしている人に言って一目散に家へ帰った。もたもたしていたら、また追い返されると思ったからだ。
「さあ、昼ごはんにしようか」
 おじさんが大きな声で皆に合図をしていた。
「うちの家を教えてあげたか」
 祖母が言った。
―そんなこと言えと言われていない。
 ぼくの不服そうな顔を見て祖母が言った。
「言わなかったら、どこの家か分からないだろ」
 でも、その心配はなかった、ぼくの行方をしっかりと見ていたらしい。
「お世話になります」
 口々にあいさつしながら家の石段を上がってきた。
 井戸水で手を洗い、縁側から座敷に上がって火鉢の周りに集まっている。
 工事のおばさんが、お盆に載せて置いた湯のみにお茶をいれて皆に配っている。
 工事の人は、それぞれが持参した弁当を食べ始めた。
 祖母も母も、あいさつをしただけで、あとは何もしない、ぼくらは台所で昼ごはんを食べた。弁当を食べ終えるとめいめいに横になったり、たばこを吸ったりしながら世間話をしてくつろいでいた。
 ぼくらは納戸のこたつで静かにしているだけだ、祖母も母もおじさんらの話しに加わることもなく、こたつで寝転んでいた。
 外に舞う雪はいちだんとはげしくなっていた。

 1時になった。
「さあ、はじめようか」
 おじさんらは便所を使ったあと、めいめいに礼を言いながら作業場へ出ていった。
「今の人、知っていたんか」
 知っている人がいたから部屋を貸してあげたのだと、ぼくは思っていた。
「いいや、みぞれや雪が降っているこの寒い日に、外で弁当を食べたら寒いだろ、だから貸してあげたんだよ」
 それが、思いやりというものだと祖母が言った。
「あの人らは便所を使っただろ、あれが家(うち)へのお礼だよ」
「なんで」
「糞尿(ふんにょう)は畑に撒(ま)いて野菜の肥料(こやし)にするだろ、家(うち)は5人家族だから十分にとれるが、人数の少ない家では野菜の肥料(こやし)にも困っているんだ、昔、江戸では糞尿を買って歩く人もいたらしいよ」
 祖母が冗談(じょうだん)を言っている、と思っていたが、あながち冗談ではなく真実を言っていたのだろう。ぼくの記憶のなかに祖母が冗談を言ったことは、いちどもない。

 少し後年の話になるが・・
6年生のとき、この話を思い出して小学校や中学校の糞尿はどうしているのか疑問をもった。
村に、し尿処理場などは無い時代だ、ましてや小中学校合わせれば500人近い生徒だ。大量の糞尿はだれが処理しているのだろうか。さすがに、先生には聞けなかったから母に聞いた。
「周辺の百姓が自家用肥料として汲み取っている」
皆が欲しいから順番待ちをするほどだということだった。
「うちも、学校の近くなら欲しいくらいだ」
 
 ぼくにとっては見るのも気持ち悪い汚物でも母には貴重な肥料だったのだ。