温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

灸(やいと)

6歳のとき、М君とY君が三輪車を買ってもらった。いつも3人で遊んでいるのに自分だけ三輪車がない。「買ってくれ」と母の後をつけまわし泣きわめいた。最初は黙っていたが、あまりのしつこさに堪忍袋の緒が切れた母は、うつ伏せにしたぼくの背に馬乗りになって灸(やいと)をすえた。背中の皮膚が焼ける激痛に逃れようとどんなに暴れても母の体が、でんと乗っているためどうしようもない。「ぎゃーぎゃー」と泣き叫ぶだけだった。
 灸は、三輪車を買ってほしいという欲望のすべてを消滅させた。
 M君とY君は父親が健在で経済的にも余裕があり、ぼくには父親がいない。貧乏していたため買うことができなかったのだ。
 それから、幼稚園までの1キロメートルを2人が三輪車、ぼくは歩いて通う日がつづいた。これには、さすがの母も心を痛めたらしく、あるとき、「なにも一緒に買わなくてもいいのに」
 と愚痴(ぐち)をこぼしていた。Y君とМ君の親が同時に三輪車を買ったことへの愚痴だった。
 ある日、いつの間にか2人が幼稚園からいなくなった。2人だけで示し合わせて家へ帰っていたのだ。いつも3人で帰る道を、とぼとぼと独りで歩きながら、自分が仲間はずれになったことを知った。
道の周辺に民家はなく、さびしくて半べそをかきながら歩いた。
 何ヵ月か過ぎたころ、
「いつも3人で遊んでいるのに1人だけ無いのはかわいそうだ」
 近所のおばさんが家の裏に放置してあった三輪車を見せてくれた。
「こんなんでもいいか」
 おばさんの言葉にぼくは二つ返事でOKした。
 あちこちが錆びており、ハンドルの握り部分のゴムとペダルが無くなっていたが、その家のおじさんが古い自転車のものを取り付けた。そしてワックスで磨いて機械油を注(さ)してくれた。
新品ではないがぼくにとっては夢のようなプレゼントになった。
 以後、その家に対する感謝の気持ちは消えることがなく、小学校6年のときに新聞配達を頼まれたおり、気持ちよく引き受けた。
アルバイト料は1ヵ月で500円しかなかったから、女性が日雇(ひやと)いの土方(どかた)仕事で稼(かせ)ぐ金額(かね)250円の2日分しかなかった。
 それでも、アルバイト料が安いという親の意見も無視して中学3年まで続けた。

 現在、灸は虐待として許されない行為になっているが、当時はしつけとして行われていた。海水浴などで裸になると背中に灸痕のある男児も多かった。ぼくを含む彼らに共通していえることは、どんなに粗暴な性格をしていても親に対しては従順であった。