温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

学生服

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   絵・冬の登校

 小学校には制服がなかった。
 女の子は私服を着ていたが男の子はほとんどが学生服だった。そのころは戦後で物資の乏しい時代だったから学校に限らず家でも来ていたのでぼろぼろの服になっていた。上着の肘とズボンの膝、それに尻にもお猿さんの尻のように、ハート型にカットした布を当てて繕(つくろ)ってある。
 冬の寒い夜などはズボンを穿(は)いたまま寝ることも多かったから、しわくちゃでアキレス腱のところが蛇腹(じゃばら)のようにめくれあがっていた。だから学校で男子生徒のアキレス腱のところを見れば、ズボンを穿いたまま寝ているかどうかが一目瞭然だった。
 寒い日には学生服の上に『袖(そで)なし』を着て、防寒ズキンをかぶって通学した。防寒ズキンは、戦時中防空ズキンとして使っていたものと同じ帽子で綿が入ってるので耳まで温かく気持ち良かった。
 そのころは『オーバーコート』を着るのはごく少数の生徒だけだった。
『袖なし』は、いわゆる『ちゃんちゃんこ』のことで、綿入袢纏(わたいれはんてん)の袖(そで)が無いものだ。温かくて動きやすい防寒着なのだ。
 男の子は紺絣(こんがすり)、女の子は赤色の絣(かすり)で作っていた。
 ぼくには、長兄が小さいときに着ていたオーバーはあったが、次兄もそれを着ていたため、かなり古くなっており、サイズも小さいので無理をして着ても案山子(かかし)のように両手を伸ばしておかねばならないというものだった。そんな窮屈なものを着るより『袖なし』のほうがよほどましだった。
 家では綿入袢纏を着ていた。これは袖があるからさらに温かい。
そのころ、家庭での暖房は炬燵(こたつ)しかなかったが、綿入袢纏で冬を越すことができた。

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   絵・綿入れハンテン


 風邪をひいたら鼻汁が出る。現在のような即効性の薬がなかったから、粘りのある青色の鼻汁が両方の穴からつららのようにぶら下がってくる。2センチ、3センチと伸びてくると勢いよく鼻の中に吸い込む。この繰り返しをして、ときどきそれを服の袖(そで)で拭くから、固まっててかてかに光っていた。男の子の多くがそうだ。

 入学式、卒業式、正月など、あらたまった日には一著羅(いっちょら)の服を着て学校へ行った。
 2年生も、もうすぐ終わりというある日、
「あした写真撮るよ」
 と先生が言った。当日は皆が新しい服を着ていた。ところが、ぼくは、すっかり忘れていた。だからいつものぼろぼろの服で写真を撮るはめになった。先生が写真機の前に皆を並ばせながら、ぼくの横を開けていた。そして横に座って写真に納まった。女先生(おなごせんせい)はとてもいい香水の匂いがしていた。
「こちらを見て、しっかり目を開けて、まばたきしたらだめだよ」
 写真屋のおじさんが言うので、しっかりと目を開けていたら「ボッ」と音をたてて強烈な光が目に飛び込んだ。一瞬、目の前が真っ白になり何も見えなくなった。視力を取り戻すと写真機の横に青白い煙が上がっているのが見えた。
 できた写真は、ぼろぼろに破れたぼくの肘(ひじ)を、先生がみごとに隠してくれていた。