温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

弁当

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 給食がなかったから弁当を持って通学した。
 アルマイトの弁当箱にごはんをいっぱい詰めて、まん中に梅干しが入っていた。これが、昔から続いている『日の丸弁当』だ。
 アルミニウムは酸に弱く梅干しでも穴が開くので、腐食を防ぐよう表面加工したのがアルマイトだった。
 弁当箱の端の方にわずかなおかずが入れてあった。
 冬には、味噌汁とフリカケだけの給食がでた。
 味噌汁もフリカケも給食おばさんの手作りで、フリカケは炒りごまと小魚をつぶして食塩を混ぜたものだったが味は抜群によかった。 
 給食の材料は持ち寄りを原則としていたから、
「家で採れたものを持って来て」
と時々、学校から要請があった。そんなとき、ぼくは畑で引き抜いた大根1本を荒縄でくくって登校した。
「学校の味噌汁はどうして美味いのだろう」 
家で聞いた。
「いちどに沢山つくるからだ」
 祖母が、そっけなく言った。だが、あまりにも美味しいので、 
給食のおばさんに聞いた。
「美味いはずだよ、イリコとコンブをたっぷりいれて、しかも、前の晩から、ゆっくり時間をかけて旨味をだしているからね」
 白い割烹着で手を拭きながら、おばさんが説明してくれた。
「それにしても、辛いだの甘いだのと文句をいう子は、いるけど誉めてくれたのは初めてだ」
 ぼくの名札を見る眼が嬉しそうだった。このことがあってから、ぼくはおばさんに覚えられた。給食にかまぼこがでたとき、かまぼこの板を工作に使うからほしいといったら、紙袋いっぱい残しておいてくれた。

 家で鶏を飼っていたから、弁当のおかずには必らず卵焼がついていた。
 母は、ネギを混ぜてきれいな卵焼きを作るのが得意だ。
「毎日、卵焼を食べることができていいな」
 ある日、隣の席に座っている女の子が、「ほんにうらやましい」といった顔をした。
「え…・・」
 別にめずらしくもない卵焼だ、うらやましそうな顔にびっくりした。
「換えたろか」
 その子の弁当と交換した。昆布の佃煮やソーセージまで入っていた。女の子の弁当の方がはるかに馳走だった。
 2、3日、弁当の交換がつづいた。