温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

莚(ムシロ)

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            絵・ムシロ織機

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           絵・縄綯い機(なわないき)

 母は納屋で1日中織機の前に座り両手両足を使って、ゴットンバッタンと莚(ムシロ)を織っていた。
 ムシロ織機は母の実父であるおじいさんが、「女が土方(どかた)仕事をするのはかわいそうだ」と言って購入してくれたのだ。
大量の縄が必要なので当初は祖母と母が手で綯(な)っていたが大変な作業になり、体への負担が大きいことから縄ない機を買った。
 1日3枚織ることができて1枚90円で売っていた。
 10枚から20枚単位で注文がきた。ただし、ムシロで家計が潤うというまでにはいかずアルバイト程度にしかならなかった。土木の日雇い仕事があるとそちらを優先していた。
 配達は主に次兄とぼくが行かされていた。ムシロを自転車の荷台に重(かさ)ねて積むと、ぼくらの身長より高くなる。それでも重量はあまりないからぼくらで配達できるのだ。次兄が自転車を操作し、平地と下り坂のときにはぼくがサドルとハンドルの間に横向きに座った。
 次兄は体格が小さく体重も軽かったから僕が載るとハンドルのバランスも良くなった。
 上り坂では歩いてぼくが後ろから押していく、片道1時間、2時間かかる地域まで配達していった。いちども行ったことのない村へ注文先の家を探しながら配達していく。初めて行く村はそれなりに興味深い。だから配達が嫌なことはなかった。帰りは、ぼくが荷台に座った。
「兄弟仲がいいねえ」
 村人からよく言われた。

 長兄が中学3年の修学旅行へ出発する日、次兄とぼくが温泉津の漁村まで配達に行かされた。このとき、次兄は中学1年生、ぼくは小学2年だった。
 この日は、
「修学旅行の小遣いが必要だから、必ず代金(かね)をもらってこいよ」
 と、母から念を押されていた。ところが天気のいい日だったから『めのは』を取りに行っているらしく留守だった。『めのは』はわかめの新芽のことで『板わかめ』として島根の特産品になっている。4月中旬から半月の間しか採れないので、この間は皆が必死に働いている。
「しかたないさがそう」
 浜に出た。
 浜では大勢の人が忙しそうに働いている。あちこち探してやっと見つけたが、
「今は忙しいから代金(かね)が欲しいなら夕方まで待て」
 とりあってもくれない。しかたないので日暮れを待って行くと、
「集金のために今まで待っていたんか、そんなことせんでも逃げはしないよ」
 あきれたように言いながらも払らってくれた。おばさんの顔には気分を害したといった表情が浮かんでいた。
 とっぷりと暮れて暗くなった道を家へ急いだ。家までは30分かかるのだ。
 町並みの家々からもれる灯を拾うように自転車を走らせてきたが、町を通りすぎたとき、
「困ったなー」
 次兄が立ち止った。
 これから峠を越えなければならないのに、あいにくこの日は、月が出ていない。この先の峠道は闇(やみ)の中に消えている。自転車にはライトが付いていない。
 空には隙間のないほどに星が輝いていても、2人の歩行にはなんの足しにもならない。さらに峠には電灯のない長い隧道がある。

 そのとき、次兄はポケットから小刀(こがたな)を取り出して道端に生(は)えている篠竹(矢竹)を2本切り取って枝を取り払った。それぞれ身丈ほどの長さにして、そのうちの1本をぼくに渡した。当時、ぼくらは学校で鉛筆を削ったり、木の枝で刀を作ってチャンバラをして遊んでいたから、いつもポケットに『肥後守(ひごかみ)』という折りたたみ式の小刀を持っていたのだ。
 幸い道が乾いていたため、かすかに白く見える。
「これならなんとか行けそうだ」
 2人は竹で道を探りながらゆっくりと歩きだした。
 峠道を上るにつれて左手の谷が深くなる。
「危ないから山際を歩けよ」
 普段は喧嘩ばかりしている兄ちゃんでもこんなときにはやさしくなった。
 やがて隧道の入り口まできたが、中は真っ暗で出口も闇に隠れて見えない。目をってつむって歩くようなものだ。
「どうしょう」
 不安いっぱいで次兄を見上げた。
「竹で隧道の壁を伝いながら行けばいい」
 次兄の発想はすばらしかった。
 竹の棒で側壁を伝いながら「ザーザー」と派手な音をたて恐怖心を振り払うように隧道へ入った。まっ暗闇で何も見えない、出口も見えない、2人の足音が反響して後ろから追ってくる。冷気が、すーっと流れてきた。ぼくは何者かに襲われるような恐怖から、なんども後ろを振り返りながら自転車の荷台をしっかりとつかんで歩いた。
 さわやかな風が流れてきた。
 次兄の機転により、どうにか隧道を抜けることができたのだ。
「乗れ」
 次兄は自転車にまたがった。ぼくもあわてて荷台に乗った。こんな場所に残されたら大変だ。
 まっ暗闇の道をブレーキをきしませながら下って行く。
―ものすごく早い。
 それほどスピードは出していないはずなのに闇の中では、とてつもなく早く感じる。疾走する自転車にしがみつき、
―兄ちゃんには道が見えているのだろうか。
 不安になってきた。
「道、見えるか」
 大きな声で聞いた。
「見えるもんか、感だ」
 兄ちゃんが前方の闇に目をこらしながら言った。
 
 家に着いたとたん、
「今までどこで遊んでいたんや」
母のカミナリが飛んできた。
「遊んでいたんじゃない、留守だから待っていたんや」
「馬鹿みたいにじっと待っていないで探しに行くものだ」
「探したよ、忙しいから夜まで待てと言われたんだ」
 憤懣やるかたない次兄が言った。
 長兄の出発に間に合わなかったのだ。祖母が近所の行きつけの店でいくばくかの金額(かね)を借りて長兄に持たせたらしい。そそくさと借金を返しに行く祖母を見ながら、
―家には、そんな金銭(かね)もないのか。
 と思ったが二人の怒りは納まりそうになかった。

 ところで、子供のころから母や祖母にくちごたえするのは次兄だけだった。
長兄やぼくは、何を言われても「うんうん」と聞くだけで、親の言うことに無理があっても怒ることもないし反論もしない。これは、大人になってからも変わらない性格だった。