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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

農繁期

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    絵・鋤(すき)

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 5月になると「猫の手も借りたい」といわれるほど農作業の忙しい時期となった。
まず、麦を刈りとって、牛に引かせた鋤(すき)で田を掘り起こす。次は、人の手で鍬(くわ)を使って土の塊を小さく砕いていく。それから田んぼに水を入れて、再び牛に引かせた鋤(すき)で土を砕きならし、田の面を平(たいら)にする、これを代掻(しろか)きという。最後に長い柄(え)の先に横板を付けた柄振板(えぶりいた)という農具を使って土を平面に仕上げる。
 これでやっと田植えのできる状態となった。

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 田植えは10人ほどの早乙女(さおとめ)が必要だ。そのために日当を払っていたのではたまらない。だから、グループを組んでお互いの田植えを順番に済ませていった。これを「手間替(てまが)え」といって昔からつづいている「結(ゆ)い」の風習だ。
 わが家の田植えは6月15日と決めていた。
祖母が朝早くから、手伝いに来てくれる人たちの昼食を作っている。
 朝一番の汽車で来てくれた叔父さんが、さっそく田んぼに入り、柄振板(えぶりいた)を押したり引いたりしながら土を均(なら)して苗を植えやすくしてくれている。この仕事は力がいるから男でなければできない。毎年、叔父さんが朝一番の汽車で来てくれた。叔父さんは母の弟だ。ズボンの裾を膝まで折りあげて、田んぼのなかを行ったり来たりしている。
叔父さんのくりだす柄振板(えぶりいた)が「ザー・・・ザーー・・」と心地よく田を均していく。
ぼくの役割は、田んぼ全体に苗をまんべんなく配ることだ。両手に苗を持って行ったり来たりする。素足に水の冷たさが気持ちいい。バシャバシャと元気よく音をたてて歩いた。
コツンと何かを踏んだ。タニシだった。わが家はタニシを食べない。手でつかんで田んぼの横の小川に放り戻した。
 早乙女(さおとめ)として手伝いに来てくれた近所のおばさんらが、横一列になって苗を植えながら後退していく。せっせと動きながらも世間話がはずんでいる。
 昼食は田んぼのあぜ道に莚(むしろ)を敷いて、祖母が半日がかりで作り上げたご馳走を皆で食べる。筍の煮物、煮しめ、烏賊(いか)めしなど料理の上手な祖母が腕によりをかけて作ったものだけに評判もいい。 うぐいすが歯切(はぎ)れよく鳴いている。ときおり流れる風も爽快だ、ハイキング気分になる。
 植えたばかりの田んぼからは、もう、かえるの大合唱がはじまっていた。

 6月第1週の木曜日から土曜日は小中学校とも農繁期休暇となった。
普段は遊んでばかりいて手伝いをしないぼくらも田や畑にでる。
農繁期休暇の日には、学校の先生が手分けをして村内を巡回してくる。手伝いをしているかどうかの視察だ。
ぼくは仕事を手伝いながら先生の巡回コースになっている村道を、しきりに見ていた。
すばらしく良い天気だ。晴れわたった村内の田畑に人々が群がっている。皆が農作業をしているのだ。
「来た」
 心臓が高鳴った。2人の女先生(おなごせんせい)が歩いてくる。派手な日傘と服装が野良仕事をしている村人とは対照的にちぐはぐだ。
 2人の間で会話がはずんでいるようだ、しきりに何かを話している。すぐ横の田んぼで、せっせと働いている人を気にする様子もない。 
「あんなちゃらちゃらした格好で」
 祖母が被(かぶ)っていた手拭いをとって顔を拭きながら呟(つぶや)いた。
 先生は50メートルほど先の道を通過する予定だ。学校ではなにも感じないのに先生に会うのが、とてつもなく照れくさい。見つからないように尻を向け、田を耕す格好をした。
先生が通り過ぎたころを見計らって振り返ると、先生の背はすでに小さくなっていた。
やはり、二つの日傘は農繁期に馴染んでいなかった。先生は決められたコースを2人で話しながら、ただ歩いているにすぎない。周辺の田んぼで働いている村人に挨拶する様子もなかった。

 5年のとき周辺4ヵ村(温泉津町、福波村、湯里村、井田村)が合併して温泉津町になり、町立福波東小学校となった年、農繁期休暇はなくなった。

 生徒数の一番多い温泉津に百姓はほとんどいなかったので、農繁期だからといっても休みは必要ないのだろうと思った。