読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

雷さま

 8月の初め、昼の3時ごろからすさまじい雷が襲(おそ)ってきた。
 家から500メートルほどしか離れていない無人の変電所を襲っている。
 稲妻が幅1メートルもある光の帯となってバシッという轟音(ごうおん)とともに鉄塔に落ちた。
 瞬間、碍子(がいし)が火を放って停電した。続いて変電所横の田んぼに落ち、水しぶきが1メートルほども跳(は)ね上がった。ものすごい衝撃波が村の中を走った。まさに雷さまの艦砲射撃だ。
 変電所は完全に壊(こわ)され燃えている。雷さまは変電所を目の敵(かたき)にしているのか何回も落ちた。
 
 荒れ狂った雷雨も日暮れとともに遠のいた。
 家の前の田んぼで蛙(カエル)の大合唱が始まっている。雷を怖れて土中に隠れていた蛙は怖い雷さまが遠ざかったことを喜んでいるごとく弾んだ声だ。
 山の向こうで空が瞬(まばた)くように光っている。一瞬の光は雲の上にあるという天上界を照らし出しているような気がして、ぼくは瞬(まばた)きするのも、もどかしく暗い夜空を凝視していた。
 すでに雷鳴は聞えない。変電所の修理も始まっている。
 ぼくは祖母と縁側にすわって夕涼みをしながら電気の回復を待っていた。雨上がりの涼しさが気持いい。
 祖母の浴衣は糊付(のりつ)けして裃(かみしも)のように肩が張っている。
「そんなごわごわの浴衣を着て気持悪くないか」
 ぼくなら手を通すだけで鳥肌が立つ。
「いいや、気持いい」
 祖母は平然としている。
「昔、お寺近くの家に雷さまが落ちたんだよ。その家の人は電灯の下で真っ黒に焼け死んでいた。それに、壁には雷さまの爪痕(つめあと)が残っていた。天に帰る雷さまが引っ掛けた痕(あと)だ」
 祖母の声がふるえていた。祖母にとって雷さまは生きているのだ。人間を狙って襲ってくると怖れていた、ぼくもそう思っていた。
「雷さまは電灯を伝って落ちて来るから、消えていても電灯の下へ行ってはいけない」
 祖母の声がいっそう小さくなった。大きな声で話せば雷さまに聞かれてしまうからだ。

 体にまとわりつく蚊をうちわでパタンパタンと、はらい除けながら、さも怖そうに話している。
 1匹の蚊が羽音(はおと)も高(たか)らかにまとわりついてきた。
「うるさい」
 手で払ったら祖母がうちわで追いはらった。
 ふと、腕に小さな痛みを感じた。蚊がとまっている。いつの間にとまったのか、蚊の体は蓄えたぼくの血で大きく脹(ふく)らんでいた。
「このやろー」
 と、叩(たた)き潰そうとしたぼくは手を止めた。蚊は、ぼくに殺されることも知らず、全身の力を振り絞って吸い取っている。足をふんばり、呼吸を合わせてお辞儀しているように体を動かしている。
 もう少し見てやろうと痒(かゆ)いのをがまんして見つめた。
 やがて飛び立とうとしたが満杯(まんぱい)の腹が重いので、なかなか飛び立つことができない。それでも、やっとのことで飛び上がったがやっぱり重いのだ。よろよろと飛んで、すぐ近くの畳の上に下りた。
「それ」
 右手で蚊を叩(たた)いた。その体からは信じられないほどの量の血が畳の上に広がった。
「ぞうきんで拭いとけや」
 祖母に注意された。

 村のなかに、根元から胴にかけてぱっくりと張り裂けている大きな柿木がある。その昔雷さまが落ちたのだ。その木にも雷さまの爪痕があるといわれていた。

 ぱっと電灯が点いた。「ほっ」としたぼくの気持を代弁するかのように祖母が、
「やれやれ」
 といいながら部屋へ入って布団を敷いた。
 蛙の合唱は、ますます盛んになっていた。

 数年後、その変電所は撤去された。
「雷さまには勝てなかった」
 と、ぼくは思った。