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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

脱穀(だっこく)

 

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       絵・脱穀作業

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    絵・脱穀

 

 11月中旬、稲架(はさ)で天日干ししていた稲から籾米を取り出す(脱穀)時期になった。
 家の近くの田んぼは祖母と母が稲を家まで持ちかえって脱穀したが、林地区の田んぼは量が多いので現地脱穀することにしている。
 日曜日の朝、母は脱穀機を背負い、祖母はムシロや叺(カマス)、長兄はその他の農具、次兄とぼくは昼食を持って出発した。
 
 長兄がはでご(稲架)から稲束を下ろして、次兄とぼくが脱穀機の近くまで肩に担いで運び、脱穀する母が取りやすいよう積み上げていく。
 ムシロを敷いて脱穀機を据えた母が作業を始めた。
 ウォーンウォーン
 ペタルを踏んで脱穀機を回転させながら稲束を脱穀機のドラムに載せると、ザーっと心地よい音を発して籾米が稲束から離れていく。
 脱穀した籾米を祖母が集めてカマスに詰めている。
 稲を運ぶぼくらの作業も忙しくなった。せっせと運んでいると、背中がムズ痒くなった、肩に担ぐ稲束からほつれ落ちた穂先が首から背中に入ったのだ。これを防ぐためタオルを首に巻いているがそれでも侵入するのだ。チクチクと背中の皮膚を刺して気持ち悪いが我慢するしかない。ぼくのいちばん嫌いな作業だった。

 午後、脱穀作業は長兄に代わり、ぼくが長兄に稲束を手渡しする作業に入った。祖母と母は出来上がった籾を家まで背負って運ぶ作業に移った。田んぼから家までは20分ほどかかるが夜露に濡らすわけにはいかないから、今日中にどんなに遅くなっても家まで運ばなければならないのだ。
 1日1反の脱穀が精いっぱいだった。
 翌日も早朝から同じ作業だ。
 2日目夕方、脱穀作業も終わり籾米も家まで持ち帰った。これで来年の秋までの米が確保できたのだ。
 次に稲ワラを運び込む作業をして、すべてが終わるのはとっぷり日が暮れた夜だった。