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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

参観日

 年にいちど学校へ父兄がやってくる。
 授業参観日だ。
 ぼくらは教室の窓から村道を見ていた。
 次々と顔見知りの母親が集まってくる。
「○○君のかあちゃんだ」
 大きな声で知らせてやる。
「××君のかあちゃんだ」
「お前のおばあちゃんが来たぞ」
「ほんまか」
 ぼくは急いで窓から身をのりだした。まちがいない、祖母だ、なんや照れくさい、胸がどきどきする。
 参観日に来るのは、いつも祖母だった、祖母が来るのはぼくだけだ。
 ほとんどの生徒は母親が来るのに、ぼくは小学校に入学してから高校を卒業するまでいちども母は来なかった。
 母はぼくの成績に興味がないのかといえば、そうではない。
「勉強しろ」 
 と口癖のように言い、点数の悪い試験結果を見ると、ぼくの頭をこつんと叩く母だったが学校へは来なかった。
「お母さんは」
 ときどき先生に聞かれることがあった。いつも祖母が学校へ来て母親は姿を見せない。
先生はふしぎだったのだろう。
「仕事に行っている」
 ぼくの返事はいつも同じだった。
 後年、このことを母に聞くと、
「余所行きの服がなかったからだ、まさか着物を着て行く所でもないしな」
 とさりげなく言っていた。

 授業が始まった。みんなの母も、ぼくの祖母も教室の後方で授業を見ている。女(おなご)先生の声が気持ち悪いほどやさしい、普段とはまったく違う。
 参観の授業は国語か社会だった。できるだけ多くの生徒に発言させるため、次から次へと先生が出題する。
「はい、はい、はい」
 こういう場で張りきるのがぼくの性格だ。だれにも負けるものかと手をあげて発言した。
発表が終わって祖母を見ると満足そうにうなずいていた。
 
 その夜、次兄がぼやきだした。
 勉強の苦手な兄ちゃんは遊ぶときにはガキ大将だが、授業では黙りこくっていた。
皆が競って発言しているのに兄ちゃんはおとなしくしている。そのとき祖母が一番前に座っている兄ちゃんの席まで出ていって、
「どうして黙っているんだ、手をあげよ」 
 祖母が兄ちゃんの耳を引っぱったというのだ。
「耳をおもいきり強く引っぱるんだ、痛いよ。みんなの前であれはやめてほしいよ」
 ぼやくことしきりだ。