温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

水晶

 次兄が水晶を持って意気揚々と帰ってきた。煤(すす)けた色をしていて透明性に欠けるが長さは10センチほどもある大きな六角柱状のものだった。
「どこで見つけたんや」
 必死になって聞き出そうとしても教えてくれない。
「兄弟だろ、教えてくれてもいいじゃないか」
 どんなに詰(つ)め寄ってもだめだった。兄弟でありながら秘密を守ろうとする気持ちが信じられない。
「なあ、どこで採ったんだ」
「それがな、山を歩いていたら突然、道が崩れ落ちたんだぜ」
 次兄が話をはぐらかした。いつもこうだ、すぐはぐらかしてしまう。
「それ、どういうことだ」
 横にいた祖母が話に割り込んできた。
「それがな3人でマツタケを探しに山道を歩いていたら突然、3人とも一緒に落ちたんだ。ずいぶん下まで滑り落ちたぜ」
 次兄の言っていることがよく分からない、祖母が根ほり葉ほり聞き出した。
 次兄は仲間と3人でマツタケのよく生える山へ行くため、山道を歩いていたら突然歩いている道が崩れ落ちた。3人は土砂崩れの一番上にいたため全員が怪我もせずに滑り落ちたということだった。
「そういえば、3日前に大雨が降ったから山は脆(もろ)くなっていたんだな」
「落ちたところから歩いていた道を見上げたらずいぶん上になっていたぜ」
 だから5メートルぐらいは落ちたな。と次兄が言った。
「そんなに落ちて怪我もしなかったんか」
「ほれ、このとおりなんともないさ、気がついたら下にいたんだ」
「それでもな、皆が転(こ)けたぞ。でもな、崩れた赤土に手をついたその先に、この水晶があったんだ。山が崩れたから出てきたんだろうな」
「おれが金持(かねも)ちだったら、あの山全部を買い取って水晶を掘り出すよ。あの山にはまだまだ仰山(ぎょうさん)埋まっているぜ」
 次兄の話は夢のようになった。
 土砂崩れに巻き込まれて死ぬ人は多いが、3人は土砂に乗る形で滑り落ちたから怪我もなく無事だったのだ。
「仏様のお蔭(かげ)だ」
と祖母が口をもぐもぐさせて念仏を唱えていた。
「あれー」
 次兄が突拍子もない声をあげて、首に吊(つ)っていたお護り袋から御札(おふだ)を取り出した。温泉津(ゆのつ)祭りのときに街頭で言葉巧(たく)みに売っている山伏(やまぶし)から20円で買ったものだ、ぼくも首からぶらさげている。縦3センチ横2センチ厚さ1ミリの杉の板に梵字(ぼんじ)が印刷してある。それが二つに割れていたのだ。
「仏様が身代(みが)わりになってくれた」
 次兄に降りかかった災難を御札(おふだ)が身代わりになって2つに割れたのだ。だから怪我(けが)もなく無事だったのだと、祖母が割れた御札を両手の中に入れて合掌した。
 温泉津にはえびす講という縁日があった。11月中旬の3日間、駅前から温泉街までびっしりと露店が並び、商店も大安売りをしていた。
おもちゃからお菓子、日用品、農具にいたるまでいろいろな物を売っていた。近隣の村から大勢の人が集まってきた。ぼくの家で使う鍋や食器類はほとんどがこの時に買ったものである。陶器の食器類はいびつな形や焼きむらのある物を10枚20枚単位でワラと荒縄で包装して大安売りする、いわゆる叩き売りから買った。
 この日はぼくも100円の小遣いをもらって出かけた。
 この催しを「ゆのつ祭り」「えべっさん」と言ってえびす神の祭りだと思っていたが、祭りではなく日用品などを買うために催している講だということを知ったのはぼくが大人になってからである。

「山崩れなんて嘘(うそ)だろ、そこはどこや」
 場所を聞き出そうとするぼくに、
「知(し)らん」
 次兄は、にやにや笑いながら「その手は喰(く)うか」と言った。
 村のなかには他に数人の少年が水晶を「宝物」としていた。誰も発見場所を言わない。
 ぼくは村のどこかで採れるということを頼りにいろいろと推理してみたが、どうしても場所が分からなかった。
 意外に家の近くかも知れないと思って裏山へ登った。山肌に露出している岩を金槌で叩(たた)くと、いとも簡単に砕け散った。山全体が風化して脆(もろ)くなっていたのだ。これでは水晶はあるはずがない、早々(そうそう)にあきらめた。
 次兄の行動範囲は、ぼくよりはるかに広かった。ぼくは、わが家から見える範囲にとどまって遊んでいたが、次兄はとなり村まで行って遊ぶ。だからぼくの推理ではとうてい及ばない。
 
 あきらめきれない思いをもてあました。