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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

徴発(ちょうはつ)

これは遠縁にあたる叔父さんの話なのだが、本人の名誉にかかわることなので名は伏せておく。
 その親戚は、もよりの駅からバスで1時間もかかる山奥にあった。
 叔父さんは電報配達をしていた。そのころは未だ電話が普及していない時代だったから緊急の連絡は電報に頼っていた。
 昼は郵便局員が配達するので夜だけのアルバイトだった。電報は時間に関係なく直(ただ)ちに配達しなければならない。郵便局の当直者から連絡がくると、どんな夜中でも朝まで待つことはできなかった。大雪や大風の中でも同じことである。
「そんな夜中に怖(こわ)くない?」
 不思議(ふしぎ)だった。叔父さんの家は人の数より猿や狐など獣(けもの)の多い山奥で、ぼくから見ればとんでもない山村にある。そんなところで鬱蒼(うっそう)とした山道をひとりで配達して歩くという、山には熊もいるだろうに、
「戦争で鍛(きた)えているから怖くない」
「戦争では、夜の歩哨(ほしょう)に立った人が虎に咥(くわ)えられて闇に消えるのを見た。虎は恐いが日本にはいないし、熊なら向こうが逃げる。熊にとっても一番怖いのは人間だ」
 戦争で鍛えたという叔父さんには怖いものなんて無いらしい。
「このまえな、夜中の3時に配達に行った。山を二つも越えて配達して帰ろうとしたら、道端の小屋に炭俵(すみだわら)が積んであった。だから、1俵だけ失敬して自転車の荷台に載せて帰った」
 それが軍隊で覚えた徴発だと叔父さんがいう。
 徴発とは、戦争などで軍がむりやりに他人の所有物を取り立てることだ。
「いつもそうさ、夜中に配達するときは炭俵を徴発してくる。だから、ここ数年炭を買ったことがない」
 叔父さんの豪語(ごうご)はとどまることをしらなかった。おもしろおかしく話してくれた。
「人に見つからない?」
「昼でも人に遇(あ)うことなんてめったにない山奥だ。夜中に外を歩く者なんていないよ。でもな、この前、ばったりと巡回中の巡査さんに遭ってしまった。あのときは、どきっとしたな自転車の荷台に炭俵を積んでいたからな。大きな声で『こんな夜中に巡回ですか、ごくろうさんですな』と威勢よく話しかけたら、巡査さんも『ご苦労さん』と言って、炭俵には気付かなかったよ」
 
 他人の物を無断で持ち帰る。でも、おじさんの話に罪悪感なんて微塵(みじん)もなかった。叔父さんにとって徴発は当然の行為だったのだ。