温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

馬車(ばしゃ)

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  昭和35年(1960)ごろまでは、村のなかを馬車がよく通った。
 材木を山から港や駅まで運ぶ荷馬車だ。大きな丸太を山のように積んで「フーフー」と荒い息をはきながら、ゆっくりと、それでも力強く曳(ひ)いて行く。なにしろ1馬力だ。
 1台で4、50本ほどの木材を運んでいた。
 空車のときには、よく乗せてくれた。
「おじさん乗せて」
「おー、後方(うしろ)から乗れよ」
 許可が出た。だが速度は落としてくれない、勝手に乗れということだ。
走行中の馬車に横から乗ろうとして失敗すれば、後輪に轢(ひ)かれる危険がある、だから後部から乗れと言ってくれたのだ。ぼくらは走りながら後部へ廻って飛び乗った。
 ゴムの車輪だから乗り心地はよい。石のごろごろした地道を楽々と乗り越えて行く。
「山まで乗って行くか」
 下校途中に乗せてくれた馬車のおじさんが言った。
「行く」
 ぼくらは二つ返事をした。30分ほどは乗れるからだ。そのかわり、帰りは歩くことになる。
 おじさんは無口だった。ぼくらが話しかけても、ろくに返事もしない、いくら大声で話しても、いつも、そしらぬ顔をしていた。
「手綱を取ってもいいか」
 優しそうなおじさんの顔につけ入るようにぼくが言った。
「子供には無理だ」
 当然、拒否されると思っていたが、
「ほいっ」
 おじさんは、手綱をぼくに渡して馬車を降りると、道端で立ち小便を始めた。馬は止まることもせず馬車を曳(ひ)いている。
― おじさんが取り残される、停止させよう。
 手綱を引いた。
 馬は尻尾を2、3回振って体に止まっているハエを追い払った。速度は変わらない。完全にぼくの手綱を無視してマイペースで歩いて行く。
 おじさんが小走りに追いついて、一緒に歩きながら四輪のタイヤを見て周った。そして、最後部で後ろ向きに座ってタバコを取り出した。
 馬が、尻尾をぐっと上にあげた。ボタッボタッと馬糞が道に落ちていく。Y君とМ君があわてて後部へ離れていった。ぷーんと馬糞の臭いが襲ってきた。手綱をもっているぼくは逃げることもできない。しぶきがかからないよう精一杯顔を横に向けた。馬は、あいかわらず頭を垂れて黙々と歩いている。うしろを振り返ると、道の真(ま)ん中に茶碗を伏せたような馬糞の山が一定間隔で残っていた。
 ぼくらの集落を通りすぎ、さらに30分かかって山の材木置場に着いた。
「そこら辺で遊んでいろよ」
 おじさんがひとりで材木を積み始めた。山から運びだした材木は、道端に棚を作ってその上に載せてある。だからひとりでも馬車に積むことができるのだ。
 村道から木馬(きま)道が山に入っている。山奥で伐採した材木を馬車が通ることのできる村道まで搬出するため、人間の歩幅に合わせて丸太を並べた軌道を作り、人力で橇(ソリ)のように滑らせて材木を満載した木馬を下ろしてくるのだ。

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      絵・木馬(きま)


 木馬道をたどって目線を移していたぼくらは、そのすぐ近くにアケビがなっているのを見つけた。
 長い蔓に大きいのが5つほどぶらさがっていた。いずれも殻が割れて中の実が姿を現している、食べごろだ。
 ぼくらは枕木の上に足を載せて軌道を歩いた。細い枕木には油が塗ってあるから滑りやすく危険だ。3人は1列になって慎重に進んだ。不安定な足元を気にしながら手をのばして蔦を引くとアケビが繋がってでてきた。
「ペッペ」とごまのような種を口から吐きながら甘い実を食べはじめた。
 そこから先の軌道は地面を離れ、木橋となって谷川を越えている。枕木の間から見る下の川がずいぶん下に見える。足がすくんでくる。
「どうしょうか、まだ先へ行くか」
 思案していたとき、「エイホ、エイホ」と掛け声が聞こえてきた。木材を山積みにした木馬が山から出てきたのだ。軌道の上にいるぼくらが見つかれば大目玉をくう。あわてて道まで引き返した。
 左脇に方向陀の棒をかかえた男の人が、木馬につけた帯を肩にかけて這いつくばるように身体を屈めて曳いている。真っ黒に日焼けした上半身は汗でぼとぼとに濡れ、「ハッハッ」と荒い息をしながら材木を満載した木馬を曳いてきた。
満載した材木は数100キロの重さになるが、動力はついていないので人力だけで動かさなければならない。そのため、木馬道を架設するときに2人だけでも動かすことができるよう、下り勾配をつけてある。前側の男の人が方向舵を取り、後ろの人が平地や上り坂で木馬を押し、下り坂ではブレーキをかける。前の人は木馬が滑りやすいよう、タール(重油)を木馬道の横木に塗りながらその上を歩くことになる。人にとっても非常に滑りやすく危険だ。足を滑らせて転倒した身体の上に数100キロの橇(そり)が圧(の)し掛かって、怪我や死亡したということもあった。木馬を曳く人は、まさに危険と向かい合っての男仕事だった。

「ごくろうさんでした」
 馬車のおじさんが言った。馬車には材木が高く積みあがっていた。
「帰るで」
 おじさんは、もう背を向けていた。
 すでに動いている馬車の後をぼくらも歩き出した。
 谷間の道から大道への合流点は、急な上り坂になっていた。木材を満載した馬車を大道まで曳き上げなければならない。
「危ないから、さきに大道へでていろよ」
 おじさんは、ぼくらが安全な場所へ移動したのを確認してから馬の首を撫でた。
「さあ、頼むぞ」
自分の首に車輪の止め木についている綱をかけた。上り坂での逆戻りを止めるものらしい。
「それ」
 おじさんが手のひらで馬の首を軽くたたいた。鞭(むち)は持っていない。
上り坂にかかった。
四つ足をふんばり、1歩1歩上りはじめた。
「プルプルル」
  馬は唇をならして必死に曳いている。材木を満載した馬車が、そろりそろりと上がって行く。
 すごい馬力だ。
「それ、それ」
 おじさんも馬の横に並んで力を限りに曳いている。
 坂の真ん中まで上ったとき、おじさんがすばやくタイヤの後に止め木をかませた。これで逆戻は防げる、休憩だ。
おじさんが自分の首に巻いていたタオルをとって、馬の首に噴きでた汗を拭っている。全身から立ち上がる湯気がもうもうと揺れていた。
「さあ、もうひと踏ん張りだ。いくぞ、それ」
「プルプルル」
 馬は唇を震わせ、渾身の力を振り絞って両足を踏ん張った。
「それ、それ」
 おじさんの気合に力が加わった。馬車は、ほんの少しずつ上がっている。
 ついに大道に曳っ張り上げた。
 さすがに馬の呼吸も荒い。おじさんは馬車を止めて馬を休ませている。
 後は、もう上り坂はない、おじさんも馬も、ほっとしているようだった。
 自分が使うタオルで馬の体を丁寧に拭いているおじさんの顔には、なんともいえない優しさが宿っていた。
 馬車は緩やかな下り道を軽快に進行している。ぼくらは早足でついて行く。往路は馬車の上でのんびりと周辺の景色を楽しんだのに帰りは汗だくだ。
 家の近くまで帰って来た。
「おじさん、ありがとうございました」
 ぼくらは、馬車の前を歩いているおじさんに礼を言った。
「おお」
 おじさんは、後ろを振り向きもしないまま右手をあげて遠ざかっていった。