温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

f:id:hidechan3659:20160912133500j:plain

f:id:hidechan3659:20160913094638j:plain

 長兄の勉強机が必要だということで、地元の大工さんに作ってもらうことになった。
「あんな、呑(の)ん兵衛(べえ)に作れるものではない」
 母が言うのも無理はない、その大工さんは1日中、焼酎を飲みいつも酔い潰れて他人の畑や道端に寝転んでいる。兄ちゃんが欲しいという机は、引出しが、いっぱいある大きなものだ。
「いや、大工の腕は確かだ」
 
 祖母の言ったとおりだった。両袖合わせて10個もの引き出しの付いている大きな机が出来あがった。椅子には高い背もたれが付いていて、座るとバネのクッションがほどよく利いて心地よかった。何時間座っていても疲れなかった。
 校長先生の机よりデラックスだった。
「あんな大きな机、どこへ置くの」
 家へ運び込むのを見ていた隣のおばさんは、勉強部屋もない、板の間もないぼくの家には不釣合いだと言っているのだ。
「なんとでも言わせておけ」
 祖母が言った。
「町長が座るような机」といって注文したのは祖母だった。
 米3俵を売って作った兄ちゃんの机は、納戸の畳の上に置かれた。

 ぼくの机はなかった。
 宿題をするときは畳の上に腹ばいになって、胸の下に枕を敷けば十分だ。どうしても机が必要なときには仏壇の経机を使った。

 それから数ヵ月後、大工さんは海辺近くの畑の中で、酔い潰れて亡くなっていた。

f:id:hidechan3659:20160908132516j:plain