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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

寒波

「降るなー」
 5年の冬、午後の授業だった。
 担任の先生が手に広げていた教科書を置いて外を見た。
 真っ黒な空から雪が視界を遮断して音もなく降り続いている。
 授業を中断して先生が教室から出て行った。
「大雪になりそうだ、すぐ帰りなさい」
 しばらくして帰ってきた先生が言った、全校生徒下校命令だ。
「ばんざーい」
 ぼくらは大声で喜んだ。隣の教室からも歓声があがっている、雪で学校が休みになることなんて初めてだった。
 地域別に集合して6年生を先頭に雪の中に出た。すでに膝まで積もっている、30センチは越えているだろう、こんなことは初めてだ。
 山の中や谷の奥にある生徒は先生が付添って行くことになった。
「5,6年生は下級生を家まで送ってくれよ」
 先生に言われてぼくの家から数軒しか離れていない1年生の男の子の手を握った。
「すごいぞ、もうこんなに積もっている」
 みんながワイワイ騒ぎながら楽しそうに歩き出した。
 家に帰ったらカマクラを作るぞ、喜び勇んだ。

「あれ、もう帰って来たの」
 ぼくが送って行った家のおばさんがびっくりしている。
「大雪になるから学校が休みになった」
「そう、わざわざ送ってくれたのねありがとう」
「先生から送れと言われたから」
 ぼくは防寒ズキンの雪を払いのけながらそう言った。
 家では祖母も母もコタツに潜り込んで寝ていた。昼間にコタツで寝ることは正月しかないことだ。あまりの寒さに仕事を中断したようだ。
 ぼくも遊ぶ気をなくし、潜り込んで頭だけをだした。暖気が全身を包み気持いい、いつの間にか眠っていた。
 目が覚めると夕方だった。雪はやんでいた。
「寒いの」
 母が夕飯の支度をするため意を決してコタツを離れた。

「できたでー」
 母は羽釜いっぱいにお粥を作っていた。
「イモ粥だ」
 フーフーと熱いお粥を腹いっぱい食べ、タクアンをかじった。寒いときにはこれに限る。
 お粥のきらいな祖母も何も言わない、もくもくと食べている。

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「寒いなー、今日の寒さは並ではないぞ、大寒波だな、こんなのは初めてだ」 
 祖母が敷いた布団に長兄が潜り込んだ。
「今晩は冷えるぞ」 
 祖母は別の布団を長兄の枕元に積み重ねた。頭が隠れるほどに囲っている、まるで揺り籠のようだ。
 祖母は長兄の分しか手伝わない。ぼくは自分で布団を取り出し枕びょうぶのごとく立てた、さらに着ていた綿入れハンテンを枕の上に敷いて両サイドをコタツ布団の中に入れフードのごとく頭に覆った。これでどんなに寒くなっても平気だ。
 
 外は音ひとつ聞こえない、雪が降り続いているのだろう。