温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

風邪

 ある日曜日の昼すぎ中学校の裏山に設置されている村のサイレンが「ウー、ウー、ウー…」と断続して鳴りだした。
 警報だ。
 皆の顔から血の気が引いていく。
 広場で遊んでいたぼくらは周辺を見廻した。
 城福寺裏山の後方から、もくもくと真っ黒な煙が天に昇っている。
「火事だ」
 消防団員が軽トラに消防ポンプを載せて走っていった。
 火事は釜野地区だということだ。
 ぼくの家からは3キロほども離れているので類焼の危険はなくなった。
「見に行くか」
「行こう」
 片道40分もかかる現場に行くことにした。小走りに急いで1キロほども行ったとき、再びサイレンが鳴った。火事の終息を知らせるサイレンだった。
 音が長い余韻を残して止(や)んだとき、村は元の静けさを取り戻していた。
「消えたらしいな」
 行っても無駄だ、途中から引き返した。
 帰り道、皆は大川土手の斜面に体を横たえて、丸太のように転がって遊びはじめた。
 ぼくは遊ぶ気が起きなかった、動くのがいやだった。道端で横になって皆が遊ぶのを見ていた。
 そのとき、自転車で通りかかった青年団の兄さんが、ぼくの異変に気付いてくれた。
「なにしてんや」
 ぼくの額(ひたい)に手を当てた兄さんが仰天していた。
「凄い熱だぞ、こんなところに寝ていてはだめだ」
 家の前まで送ってくれた。
「家の人は居るか」
 ぼくが「居る」と答えると、
「親に言うんだよ」
 と言ってそのまま走り出した。

 その日から3日間、高熱と痰咳に苦しんだ。流感にかかっていたのだ。
 祖母が買ってくれた1個のリンゴも食べる元気がなく、枕元に置いたままだった。

「どこの兄さんだ」
 母が、しきりに名を聞くが、どうしても名が浮かんでこない。戸数50戸ほどしかない村のことだから、住人の顔はすべて覚えている。だが、名を思い出せない。
「ちゃんと、名を聞いておくもんだ、礼も言えないではないか」
母に叱られた。