温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

節句

 毎年4月4日は節句だった。

 3月3日の桃の節句と5月5日の端午の節句をまとめて、4月4日を子供の節句としていた。いつごろからそうなったのかは分からないが、ずっと昔からの行事だった。
 学校も午前中で終わる。
 皆が急いで家へ帰った。
 家では祖母と母が2人で馳走を造ってくれていた。それを三段重ねの重箱に詰めて、子供たちだけでグループを組んで不言城跡や浄光寺奥の院などの山に登った。いずれも海抜100メートルほどしかなく、クマなどの人間に危害を加える獣もいないので危険なことはないが、高学年の子は年少の子の面倒をみている。
 山では輪になって重箱を開いた。いろいろなご馳走が入っている。それぞれの家によって工夫をこらしたご馳走なのだ。
 おりしも桜は満開だ。手のとどきそうな、すぐ近くの木立で鶯が鳴いている。
 肌に当たる風がここちよく食欲をそそる。
 ぼくの重箱は一段目が巻きずし、二段目が押しずし、三段目にかまぼこなどのおかずと、手作りの菓子が入っている。残念ながら友達のと比べて見劣りがした。飾り付けが下手なのだ。
「うちのは全然きれいなことない」
 次兄がぼやいていた。
 それでも祖母の手作り菓子は旨かった。椿の葉の上に載せた蒸饅頭、椿の花びらを散りばめた寒天ようかん等、みんなをびっくりさせる菓子を作ってくれた。
 
 家には菱餅ヨモギ餅がある。菱餅は食紅で色をつけた赤色、ヨモギの緑色と白色の三色だ。
 節句はぼくらの楽しみだった。