温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

公会堂

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 村の中心部に公会堂があった。花道を有する舞台を前にして板の間の客席と後部二階席を設けた本格的な芝居小屋である。
 成人式や敬老会などの村の公式行事のほか、巡回映画や地方周り演劇団の公演があった。
 正月には、青年団による芝居が恒例になっていた。これには都会から帰省した若者も一緒になった。
 ある年の正月7日の夜、公会堂からあふれるほどの村人を集めて青年団の演劇が行われた。
 都会から帰省した若者と村に残っている娘さんが主役になり、都会に出て働いている男と村の女性の恋物語を演じたのは美人で評判の娘さんだった。めでたく出会うことができ、合い合い傘で花道を下がるシーンでは、スポットライトの中をゆっくり歩く二人は、当時若い娘が人前で見せることのない、男に寄り添う姿に「ヒューヒユー」と客席から口笛や羨望を込めたひやかしの声が飛び交った。
 当時小学生であった僕も「この二人は結婚する」と思うほどしっとりとした雰囲気を醸し出していた。
 二人はあくまで演じていただけで現実には結婚しなかった。
 毎年の恒例になっていた正月演芸会も、僕が中学生になったころには取りやめになった。会社務めの青年は休みが取りにくくなり正月が終われば早々に都会へ出て行き、青年団の負担も大きかったようである。

 数年間隔ではあったが、地方周りの演劇団がやってきた。軽トラの荷台に乗ったチンドン屋が昼間の村内をふれて周り、夜には多くの村人が公会堂へ集まって本格的な芝居を楽しんだ。

 村に映画館はなかったから、年に数回巡回映画が上映された。
 公会堂の舞台に張った白い幕を前に、ゴザを敷いた客席には数百人が集まっていた。
 僕が5年生のとき、小学校全校生が集まって「山椒大夫」が上映された。
 夜に上映されるのが通例であったが、学校の行事であったため昼間に上映された。
 窓の板戸を閉めその上から黒幕を張って昼光を遮断して行う。
 小学生260名ほどがひしめいていた。
 始まって1時間ほども経ったとき、頭が痛くなった。我慢していたが頭痛はひどくなる一方で吐き気もでてきた、酸欠に陥ったのだ。
 ついに見るのをあきらめて外にでた。 
 映画は安寿が入水する場面であった。
 
 当時の映画は白黒であったが中学2年のとき、総天然色映画(カラー映画)ができた。
 「オズの魔法使い」であった。
 草原に住む少女が、家ごと竜巻に巻き上げられて気を失った瞬間から映画に色の付いたカラー映画になった。
 初めて見る美しさに場内からどよめきがわきあがった。
「きれいだ」
 僕も声を出していた。
 今では当たり前のカラー映画も1958年当時は総天然色映画といっていた。 

 僕が中学生のころには存在していた公会堂ではあったが、村の行事も新築された中学校の体育館で催すようになり、隣町に映画館ができて巡回の映画も来なくなった。
 まもなく公会堂は村人から忘れられていった。