温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

タヌキに抓(つま)まれた

 夏のある日、村の中は朝早くから騒がしかった。
 昨夜、隣町へ酒を飲みに行った青年が帰って来ないということだった。昨夜のうちに家族が迎えに行ったが、すでに青年は酒屋を出ていた。隣町への道路は一本道なので途中ですれちがっていたということは考えられないし隣町に知人もいない。村中が大騒ぎになった。村人は峠の谷を中心に探しに出た。

 母も捜索に参加していった。
「ぼくも行こうか、捜索なら、ひとりでも多い方がいいだろう」
「子供がで出ることではない」
 母に、そっけなく止められた。母は人の死に繋がる最悪の事態を考えていたのだろう。
 
 昼ちかくになって青年がひょっこり帰って来た。
「どこへ行ってたんや」
 家族の詰問に、
「わからん」
 青年は言った。 
 青年は、昨夜10時過ぎに酒屋を出た。酔っていたが泥酔というほどでもなく、いい気分で歩きながら町を通り過ぎて峠にかかったとき、燈を持っていないことに気づいた。その夜は、三日月で月明かりは期待できないことを忘れていたのだ。
 そのとき、右手の山に沿って真っ直ぐ上っている峠道の前方を、誰かが歩いているのがかすかに見えた。その人も燈を持っていなかった。青年は、その人に追いつくように峠道に入った。1人より心強いからだ。
 しばらく歩いていると前の人が見えなくなった。その辺りから道がU字型に右に折れている「大曲(おおまがり)」というカーブにかかることから、その人も曲がったのだろうと足を速めた。その曲り道を通りすぎると、また前の人が見えてきた。ここで青年は、『自分は一所懸命になって急ぎ足で追っているのに距離が全然縮まっていない』と思ったが、それほど気にするでもなく歩いていた。
 かなり歩いたとき、ふと、峠を上りきったところにあるはずの隧道になかなか着かないことに気付いた。
 子供のころから、何回も行き来した道路であり迷うはずがない。前を行く人は、相変わらず見えかくれしながら歩いている。青年は気を取り直して歩きだした。
「その後の記憶が全く無い」
 青年が言う。
 気がついたとき隧道の上で寝ていた。何十年も前に隧道ができてから、誰も利用することのなくなった旧道で、今は道も雑木に覆われている。そこは、切り通しの峠道で両側の岩肌から滲み出た水が道を覆い、蝮(まむし)が多くいる場所だ。
 青年は、あと一歩前へ出ると下の新道に転落する場所で寝ていた。
「どうしてあんな場所へ行ったのか全く覚えていない。新道からその旧道へ入るには、わざわざ道を探して、山に向かって急な坂道を登らなければならない。そんな所へ行くはずがない、わからん」
 青年が言った。
「キツネに化かされたんじゃよ」
 村人のひとりが言った。
「それが…たしか、自分の前を歩いていた人は、『フーンフン、フーンフン』と鼻歌を唄っていた」
 青年が思い出すように言った。突然、
「そりゃータヌキだよ、タヌキに抓(つ)ままれたんじゃよ」
 近所のおじいさんが笑いだした。
「タヌキはキツネとは違って、人を化かすことはしないが、ちょくちょくいたずらをするんだよ。酔っぱらった若者を見て、いたずらしたくなったのだろうよ。タヌキだから怪我もさせずに帰してくれたのかもしれないな、キツネならお前が食べられていただろうよ」
 と教えてくれた。
「村中で大騒動したがタヌキに抓(つ)まれたのではしかたない」
と、皆は納得して笑いながら解散した。