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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

消毒(農薬散布)

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「林(はいし)の田んぼに水を入れてきて」
 母が次兄に言った。
 家から1キロほど離れた林という隣の地区に我が家の田んぼが2反あった。
 次兄が自転車を運転しぼくは荷台に乗って出発した。
 あと少しで着くというとき前方の田んぼで消毒していた。
 白い粉末が煙のように立ち上がって周辺を覆っている。
 パラチオンという劇薬で人体に害があると注意されている農薬だった。その中を通らないと田んぼに着けない。
「目をつむって呼吸を止めろ」
 次兄は農薬の中を突っ切るつもりだ、立ち上がってペタルを力一杯踏んだ、自転車が左右に大きく揺れながらスピードを増していく。僕は目をつむって呼吸を止めた。苦しくなったがいつまでたっても「もういいぞ」と次兄が言わない。
ー まだか、まだか。
 我慢していたがついに限界になって、はーっと呼吸したら、まだ農薬の中だった。強烈な嫌な臭いに襲われ、あわてて呼吸を止めた。
 
 そのころパラチオンやマラソンといった有機リン系の農薬を使っていたが、人体に害があるので取扱いには特に注意を求められた。これらを散布したときには田んぼの角に三角の赤旗を立てることを義務づけられていた。
 あぜ道を通るとき、新しい赤旗が立っているのを見つけると呼吸を止め足早に通過した。

  有機リン系農薬は昭和46年(1971)に全面使用禁止になった。