読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

新聞配達

f:id:hidechan3659:20160912135135j:plain

 小学6年から中学3年まで新聞配達をしていた。
 配達は1時間かかったが、田舎のことであり全部で24軒しか購読部数がなく、1か月のアルバイト料は500円にしかならなかった。
そのころの日雇い仕事にでる女性の日給が260円だったから、その2日分でしかない。
 それでも、 アルバイト先は近所であり、幼いころぼくだけ三輪車がなくてさみしい思いをしていたときに手を差し伸べてくれた家であったし、ぼくの家もいろいろと世話になっていたことも知っていたから、あえて何も言わないでいた。
「『安いから上げてください』とよう言わないのか、文句を言うものだ」
 母はぼくを責めたが聞き流していた。
 アルバイト料は全額、母に取り上げられた。
 販売店では、兄弟2人のおじさんがオート三輪を運転して、川本町まで新聞を受け取りに行っていた。兄が40代、弟が30代のやさしいおじさんだった。おじさんらは毎朝6時に帰ってきた。川本までは片道30キロほどある。いったい何時に家をでているのかと聞くと、
「毎朝、3時に家をでている、石ころがごろごろ転がっている田舎道を、オート三輪のライトだけを頼りに走るのだから危険このうえない。そのうえ、オート三輪は、急にハンドルをきると簡単に転覆してしまう、まさに命がけの毎日だ」
と、弟おじさんが言った。当時のオート三輪は、大型オートバイの後輪を二輪にして、運転席と荷台をつけたようなものだった。弟おじさんが運転席を跨(また)いで座り、オートバイと同じ横棒式のハンドルを持って勇ましく運転していた。兄おじさんは運転席の横にちょこんと付いている補助席に座っていた。運転席にドアは付いていない。だから、居眠りでもしたら車外に転げ落ちる危険があった。
 ぼくは朝7時、兄の登校のため自転車に乗せてもらって駅まで行き、自転車を持ち帰って、そのまま新聞配達をした、配達が終わったら学校へ行く。
 夕方、兄が学校から帰って来る時間に駅まで迎えに行く、という行動を繰り返していた。1台しかない自転車を有効に使っていたのだ。
 兄は祖母から、よく小遣いをもらっていたから、帰り道の駄菓子屋で、ほとんど毎日、キャラメルを1箱買って仲よく食べた。ある日、
「どこのお子さんだったかね」
 いつもは「ありがとう」と言う店のおばさんが聞いてきた。毎晩、決まった時間に寄っていたから、店のおばさんは不審に思ったのだろう。
ー 自分も高校生になったら小遣いをもらえる。と期待していたが、ぼくのときには全くくれなかった。
 毎日、兄を駅まで送り迎えする兄弟の仲のよさは、村の評判になっていた。
実のところは、「自転車に乗りたい、自転車で通学したい」というだけの気持ちで、新聞配達をしていただけのことである。 新聞配達さえしておけば、あとは自由に乗り回すことができた。何に使っても、しかられるということがなかった。
 新聞の休刊日は年2回、秋分の日と1月1日しかなかった。

 毎朝、四季の移ろいを目と肌で感じながら村内を走っていると、いろいろなことに遭遇した。
 昨夜からの雨も上がり、朝日がすばらしくきれいな夏の、ある朝だった。
 道路を走っていると、向かい側の山裾に「おーっ」と思わず声がでるほど鮮明な虹が現れていた。
 これから配達に行く家の前にある畑から立ち上がっている。近くへ行けば上ることが出来そうな太い虹だ。
 道路から見た虹の位置を確認して、その場所に行ってみた。
 ところが、虹は前方50メートルほどに移動していた。こちらがいくら追いかけても追いつけないのが虹だということが分かった。
「虹に上ってどこへ行くつもりだったんだ」
 数日後、虹の元にいるぼくを見たというお兄さんが言った。曲がった青ウリのような顔をしているお兄さんだ。
「わしも、思わず立ち止まって見たよ、君が虹に上ろうとしているのを。上れると思ったがなー」 
 青ウリ兄さんが言った。
「あのとき、カメラを持っていたら、良い写真が撮れたのに、まさに『虹に上る少年』だったよ残念だったな」
 普段は、あいさつしても、ろくに返事をしない青ウリ兄さんが、この日はいやに饒舌だった。

 台風の朝のことだった。すでに強風が吹いていた。
 このときも、夏に虹を見た家へ配達に行く途中だった。その辺りは、幅100メートルほどしかない谷間で、左手山際の大道から向かい側山裾にある家へと、自転車で向かっていた。突然、横風を受けた。
「はっ」と思ったときには横の田んぼに落ちていた。吹き飛ばされたのではない、横風を受けて足払いをくらったのだ。体が先に落ちてその上から自転車が落ちてきた。その瞬間、ぼくの目はゆっくりと落ちてくる自転車をスローモーションのように捉(とら)えていた。高さが2メートルもある道から落ちたのだ。
 田んぼの土に、ぼこっと丸い窪みができていた、ぼくの頭の跡だった。
稲刈りが済んだばかりの田んぼだったことが幸いして怪我はなかった。
 田んぼから上の道へ必死になって自転車を押し上げ、泥で汚れた新聞を拾い集めた。
「すみません、田んぼに落ちてしまいました」
 いちいち、詫びを言いながら残りを配達してまわった。
 
 年に数回雪が積った。積雪30センチを越えることはほとんどないが、自転車は使えない。ゆっくり歩いていたのでは学校に遅刻してしまう。バシャバシャと雪を撥ね除けながら走って配達した。
 
 ある日、雪は積っていないだろうと、たかを括(くく)って自転車で配達にでた。ところが、谷間の道は雪で埋もれていた。しかたないので自転車を道端に止めおいて、徒歩で配達することにした。だが、雪が積っていると知っていたならゴム長靴を履いてくるのに、その日は下駄を履いていた。下駄で雪道は歩けない。
「えい、ままよ」
 裸足になって雪の上を走った。
 雪は積っても気温が氷点下まで下がることはめったにない地域だから、凍傷にかかる恐れはない。走ることにより上昇する体温で冷たさも感じない。サクッサクッと裸足で踏みしめる雪は心地よかった。
「おまえ、裸足か」
 途中ですれちがった中年の男の人が驚愕して、ぼくの顔をまじまじと見つめた。
「こいつ、馬鹿か」
 男の人の目は、そう言っていた。
「どこの子や」
 ぼくを上から下までじっと見つめている。
 ぼくは屋号で答えた。同姓の多い村だから、すべての家に屋号がついていた。お互いに相手を呼ぶときは屋号を用いた。
「ふーん、どこの子や」
 ぼくの声は耳に入らなかったようだ。再度、同じことを聞かれた。
 かなりの衝撃を与えたようだ。
 強い視線を背に、ぼくは走り出した。
 これもまた記憶に残る想い出となった。