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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

十五夜お月さん

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 十五夜お月さん ごきげんさん
 ばあやは おいとまとりました

 十五夜お月さん 妹は
 田舎へ貰(も)られて ゆきました

 十五夜お月さん かかさんに
 も一度わたしは 逢(あ)いたいな

       童謡・十五夜お月さん

 ぼくが中学生になった年、同じ集落のある家に小学4年の姉と小学2年の弟が引き取られてきた。
 その家は60代のおじさんとおばさんの2人暮らしだった。
 おじさんは村でも評判の頑固なうえ偏屈者であったから2人の姉弟をどういう理由で引き取ったのかは誰にも言わず誰も知らなかった。
 何かの理由で2人きりになった姉弟を育てることになったのだろう、と思っていた。
 2人の姉弟は広場に集まって遊ぶ子供たちのところへは出てこなかった。いつも野良仕事の手伝いをさせられていた。
おじさんにより”遊ぶこと”をはく奪されたのだ。

 ある日の夜、祖母は所用でその家へ行くと別棟になっている牛小屋の中で弟が泣き叫んでいた。弟は牛のいる真っ暗闇の室内に入れられ、姉はその外で泣いている。気性のはげしいおじさんに叱られているのだ。
牛は子供に攻撃してくることはないが、弟の恐怖心はぼくにも分かる。
「あんなことして」
 祖母は吐き捨てるように批難したが、「いいかげんにしときや」の一言も言える相手ではなかった。
 毎日、姉弟は学校から帰ると田んぼや畑仕事の手伝いをさせられていた。
「夜も手伝いをさせられているのだろうか、十分に寝ることができるのだろうか、ごはんはちゃんと食べているのだろうか」
 心配はとめどもなく胸を痛めた。他人のことと片付けられないのがぼくの弱いところでもある。

 3年の夏休みのとき、集落の子供たちだけで海水浴に行くことにした。
「姉弟の2人は行かないかな」
 ぼくは母に頼んで、その家のおばさんに聞いてもらった。
「行くと言っている」
 翌日、おばさんから母に返事が来た。
ーよし、たとえ1日でも楽しませてあげよう。
 と思った。
 当日、ぼくは自分のおにぎりと姉弟のおにぎりを母に握ってもらった。万が一、2人が弁当を持っていなかったときのことを思ってのことだったが、母も心配していたらしく何も言わず3人分のおにぎりを作ってくれた。
 2人はちゃんとした弁当を持っていた。
 姉弟は遊びに加わることをせず、いつも2人で寄り添っていたが目はいきいきとして楽しそうにしていた。
ーよかった。
 海水浴に誘って良かったと安心した。

 それ以後も姉弟は隔離されたかのように村の子供たちと遊ぶことはなく野良仕事の手伝いをしていた。

 ぼくが就職して数年後の帰省のとき、隣町の駅で姉弟とおじさんおばさんが居るのを見た。
「おじいちゃん」
「おばあちゃん」
 とすっかり大人になった姉弟がやさしく話している。
 おじさんとおばさんは厳しかったが、姉弟をりっぱな大人に育て上げたのだった。
 ぼくの心配は杞憂にすぎなかったのだ。このとき心の底に残っていた「かわいそうに」との思いは晴れた。