温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

幽霊

温泉津との村境にある峠の随道に幽霊がでた、という噂がたった。
 シトシトと鬱陶(うっとう)しい雨の降り続く夜だった。
 温泉津で漁師をしている青年がひとりで峠を越えようとしていた。
 福光の友人の家でマージャンをして帰りが遅くなり、すでに夜半をすぎようとする時間だった。長い峠の上り道を自転車を押して上がりやっと随道に着いた。ここからは坂も下りになる、あとは自転車まかせで走るばかりだ。随道に入ったところで、ほっとひと息ついてタバコに火をつけた。そのとき随道の中央に一灯だけついている薄暗い電灯の下を、白い服をきた娘がひとりで歩いていた。こんな時間に娘さんがひとりで、しかも傘もささずに全身が濡れている。
― きのどくに。
「娘さん、乗りなさい。ここからは、下りばかりだから自転車でも早いよ」
 青年は娘を自転車の荷台に乗せてやった。
 おとなしい娘だった。
「どこから、来たの」
 青年が聞いた。
 返事はなかった。
 下り坂を自転車が疾走している。
 耳朶に当たる風のため聞えないのだろうと思った。
― 峠近くに家はあったかな。
 青年の脳裏に疑問がよぎったがすぐに、峠にかかるてまえで右に折れる谷があったのを思い出した。あの奥に家があるのかな、と独り合点した。
 自転車が温泉津の街筋に入ったとき、ふと、荷台に乗っているはずの娘がいないのに気付いた。
 青年は立ち止まって後を振り返ったが娘の姿は見えなかった。
― ふしぎだな、飛び下りたら自転車も軽くなるはずだが、まったくなにも感じなかった。
 ふと見ると、さきほどの娘が田んぼの向こうにある家に入っていくところだった。
―なんだ、あんなところにいたのか。
 それにしても、いつのまにあんなところ所まで行ったのだろう、ここからは50メートルはあるのに…・ふしぎだった。

「それは、幽霊だ」
 友人の声が震えていた。
「そう言えば、その家の娘さんは死んだよな、ほんのこの前の話だ」
「そうか、そうだったな。かわいそうに、あの娘さん、この世に未練があるのかな」
「あの娘なら、お前も顔を知っているだろ」
「あー、知っている。きれいだったからな。だけど…あの夜は、ふしぎと顔を見た記憶がない…。それに、恐怖心が全く湧いて来なかった」
「そりゃーそうだろう、おまえを恨んでいたわけではなさそうだからな」
 たちまち筋書きができた。
「幽霊がでた」
「幽霊がでた」
 話がどんどん膨らみ村中にひろまった。
「そんなことあるかい」
 マージャン友達の青年が言った。
「俺は、死んだ人を薪で荼毘に付すのを見ていたこともある。燃える人間がスルメのように反り返えるのも見てきた。突然、上体を起して座ったときには肝をつぶしたけどな、幽霊なんかいるもんか」
 青年が、「俺がみきわめてやる」と、雨の夜を待って随道に行った。

 それから7日が過ぎたころ、かの青年が高熱をだして寝込んでいることを聞いた。
「どうしたんだ」
 最初に、娘さんを自転車に乗せてやったという青年が聞いた。
「出た、おまえのいうとおり、白い服をきた娘が自転車に乗ってきた。ふと、後を振り返ったら乗っていた。無我夢中で温泉津の街へ逃げ込んだよ」
 その青年の高熱は、さらに3、4日続いたという。