温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

T先生

 中学2年のときだった。
「静かにせんか」
 突然割れるようなT先生の声が体育館に響き、瞬時にざわめきが止まった。昨日、運動会が終わったばかりで今日の朝礼は生徒の心が浮ついていた。若い女の先生が小さな声で何かを説明していたが、そんな事はそっちのけで雑談に夢中になっていたのだ。
 バシッと音がして、『なんだ』と前をみたぼくは驚愕した。
 ぼくの並んでいる列に先生のビンタが飛んでいる。「バシッバシッ」と近づいているではないか。
 映画でみる軍隊そのままに、一列全員がほっぺたを叩かれているのだ。ぼくに近づいてくる。
―来るぞ来るぞ。
 身体中に力を入れ、目をつむったとたん「バシッ」ときた。
 不思議に痛さは感じなかった、音だけが体育館に響いたようだった。 
「なんで俺たちだけだよ」
 ほっぺたに赤い手の痕を残したぼくらが教室に帰るなりぼやいた。
 叩かれたのは全校生徒150人のなかでぼくらのクラスだけ、それも男の列だけだ。
「騒いでいたのは全員ではないか」
 皆が憮然としている。
 運の悪いことに、一時限目の授業はT先生の教科だ。
「これ以上叩かれてはかなわん」
 ぼくらは黙って席につき、T先生の来るのを待った。
 しーんと静まりかえった教室にT先生が入ってきた。
「きょうつけ、礼」
 級長の声が心なしか震えて聞こえる。教室が異様なほど静かだ。
「今日は、みんなの目が死んでいる。授業は、やめよう、戦争の話をしようか」
 気持ち悪いほどやさしい声だった。
 T先生が教科書を机の隅に置いた。
「わーっ」
 ぼくらは声をあげて喜んだ。
 戦争中に陸軍軍曹だったというT先生は、1時間の授業を放っぽりだして、出征していたころの面白い話をしてくれることが度々あった。それを楽しみにしていたのだ。
「これで、朝礼のときに叩かれたのは帳消しだ」
 ぼくは目を輝かして、T先生の話にのめり込んでいった。
 
 その夜、母が赤く脹(は)れているぼくの頬(ほお)を見つけた。
「どうしたんや」
 母の問に、
「先生に殴られた」
 ぼそっと白状したとたん、ぼくの頬に強烈な平手がとんできた。
「先生に叱られるようなことはするな」


 ※ ここでぼくは「悪い先生だった」と言っているのではない。
  「中学3年になっても先生は恐かった」「だから先生に反抗をしないし言うことをよく聞いた」、このことが現在の小中学校には欠如しているように思うのである。「体罰は絶対だめ」というのではなく、
「悪いことをしたなら体罰も必要である」と言いたい。
 また当時は親も先生に全幅の信頼を持っていた。