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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

火事

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  昭和34年(1959)冬、日もすっかり落ちて、村は静まりかえっていた。
 わが家は就寝態勢にはいって、ラジオから流れる浪曲を聞いていた。
 突然、兄が起き上がってラジオのスイッチを切った。
「やれのーいいところなのに」
 祖母がぼやいた。
「なにするんだよ」
 文句を言おうとしたぼくは、兄が聞き耳を立てているのに気づいた。
「火事だ」
 兄が外に飛び出した、続いてぼくも祖母と母も外へ飛び出した。
カーン、カン、カン。カーン、カン、カン。
 村の中央にある半鐘が連打されている。半鐘の近くが真っ赤になっていた。全身から血の気が引き鳥肌がたった。
 兄と母が火事の現場に向かって走って行った、ぼくも走った。
「どこだ。どこの家だ」
 あちこちから人々が走っている。夜目にもはっきり分かるほど蒼白な顔をしている。
 火事は民家が7軒ほどかたまっている集落の中だった。すでに屋根に燃え上がり手をつけられない状態に陥っている。
「早く水をかけろ」
「消防ポンプはどうした」
 消防小屋は、すぐ近くだ。ぼくは小屋へ走った。
 小屋の前に持ちだした小型ポンプを始動させようと青年団の兄さんが必死になっていた。
「動かない」
 何回も始動用弾み車を回転させているが始動しない。青年団の人が慌てふためいている。
「おかしいな、おかしいな」
 汗だくになりながら始動させようとするが動かない。
「隣の家に延焼したぞ」
 藁葺の屋根に火がついた。周辺がいっそう明るくなった。握りこぶしのような大きな火の塊が頭上から落ちてくる。
 村のサイレンが鳴った。
「なにや、今ごろになって、遅い」
 ぼくは不満をもったが、サイレンのスイッチは役場の中にあるため手間取ったのだろう。
 いつまで経ってもポンプは始動しない。いらいらしながら待っていた消防団の青年がついにしびれを切らした。数人を呼び集めて小屋の奥から腕用ポンプ(手押しポンプ)を引っ張り出してきた。二輪の台車と一体になった手押しポンプだ。戦前に使っていたものだった。皆でガラガラと派手な音を立て火事場に曳いていった。すばやく車輪を固定して2人が両側に分かれ、声を合わせて柄を交互に動かした。
「えいほえいほ」
 2人のかけ声とともに、柄の上下運動に弾みがついてきた。青年のひとりが燃えている家の炎めがけてホースの筒先を向けた。先端から水が押し出された。だが、幼児の小便のように頼りなくすぐ目の前へ落ちていた。
「えいほえいほ」
 漕ぎ手の青年が速度を上げた。筒先から出る水柱が少しずつ伸びて、やっと炎にたどりついた。
「ゴーゴー」と意気盛んに燃え上がる炎は、ちょろちょろ飛んでくる水柱をあざ笑うかのように無視して激しさを増していた。
「バケツで水を運べ」
 手押しポンプで放水する水を水槽に溜めなければならない。周辺にいた大人も子供も皆が大川の水を汲んで運んだ。
「あー」
 誰かの悲鳴が出た、火は3軒目に延焼している。
 サイレンは鳴り続いている。
 屋根の藁が1メートルほどの火だるまになって空に舞いあがっている。ふわりふわりと舞いあがり、周辺に落下していく。
「これでは、村中が燃えてしまう」
 誰が叩いているのか、半鐘はいつまでも鳴っている。
 消防団の兄さんは必死になって小型ポンプを始動させようとしているが動かない。
「あー、山に火がついた」
 裏山に落下した火の塊が燃え広がってきた、ずいぶんと離れた中腹だった。
 やっと到着した隣町の消防車が心強いエンジン音を響かせて放水を始めた。小型ポンプの数倍もある太い水の柱が、麦わら葺きの屋根を突き破って炎に突入した。たちまち、火元の家から火炎が消えた。
ぼくらの水運びも終わった。
 だが、3軒目の消火が終わったころには、裏山の火が勢いを増していた。10日前に松の木を切り、材木を搬出して山に残っているのは枝ばかりだ。しかも、よく乾燥している。ぐんぐん火勢を増し、火炎が山をかけ上っている。まるで太陽のコロナのようだった。
 村に1台しかない公衆電話で、消防団員が周辺の市町村に応援要請をしている。
 消防車や軽トラに積んだ消防ポンプを持って近隣の消防団が続々と集ってきた。
「すごいぞ、大田市からも来ている。江津市のもいる」
 いずれも50キロも離れている市だ。
「あちこちからぞくぞくと消防車が集っている」
 30数台にもなった。
 
 燃えている山の裏側に登り、木を切り払って延焼を食い止めることになった。消防団員が10名ほどのグループを組んで次々と登っていった。手には鋸(のこぎり)や斧(おの)を持っている。
「西側の山にも延焼している」
 隣町からオートバイで帰ってきた青年が消防団長に言っていた。
 火事は、谷を飛び越えて西側の山を燃やそうとしている。大変だ、わが家の裏山と尾根つづきだ。ぼくは、あわてて家へ帰った。
 母と兄が、納屋の米倉から俵を出して畑の中に積み上げていた。たとえ納屋が燃えても、1年分の米は残しておかなければならない。
 祖母が、ごはんを焚いている、避難食のおにぎりをつくるのだ。もはや、わが家も燃えてしまう覚悟だった。
 ぼくは、真っ暗闇のなかに埋もれている裏山を見つめた、
「まだ、大丈夫だ」
 祖母が仏壇から取り出した仏像や位牌を大風呂敷に包んでいった。
 赤色の腰巻を縁側に置いた。
「昔な、○○さんの裏山が火事になってな、○○さんの家へ火が迫ってきた。そのとき、その家のおばあさんが、赤い腰巻を振って、『あっちへ行け』と叫んだら火事は別の方角へ行った」
 と、言っていたのを思い出した。
「赤は魔よけの色で、火は汚い物がきらいなのだ」
 祖母が言っていた。
 本当に、祖母は腰巻をかざして火事を追い払う気だろうか。
「○○さんの家は火事から免れたが、おばあさんは、まもなく死亡した」
 祖母が言っていたのを思い出した。
「今は大丈夫だから寝ろや」
 母に言われて寝床についたがなかなか眠ることができない、夜中に何回も目が覚めて「大丈夫か」と母に聞いた。
 
 火事は翌日昼過ぎになって鎮火した。
 西の山に飛び火したというのは見まちがいだったということが分かった。
 新聞では『民家3軒、山3ヘクタール焼失』と書かれていた。
 出火原因は、風呂の残り火が家屋に広がったということだった。
 山の持ち主には被害もなく、材木を搬出した後をきれいにしてもらったようなものだった。
 植林をするために燃やしたようなものだ。だが、いつまでたっても植林はされなかった。村人の心情を思ってのことだったのだろう。
 
 数日後、大田市近くで3日間燃えつづけた山火事があり、自衛隊も出動する騒ぎになった。
 新聞では、『200ヘクタールの山が焼失した』とでていた。
 3ヘクタールで肝をつぶしたぼくは、200ヘクタール焼失という山火事にあ然とするだけだった。