温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

ふしぎな体験

 11月だった。その日ぼくは近所の友だち5人で隣町の祭りへ行っての帰りだった。
 日は暮れていたが月が出ていたので明るかった。灯りを持たないぼくらだったが、なんの不自由なく峠道を歩いていた。
 大声で話す雑談が谷間にこだましていた。
 ふと、ぼくらと同行しているお遍路(へんろ)さんがいるのに気づいた。白衣を着て遍路笠をかぶっている。右手に持つ杖の先に付いた鈴が「チリンチリン」と鳴っていた。話に夢中になっているあいだに追いついたらしい。どこかのおばあさんのようだが、見覚えの無い顔だった。
ぼくらは雑談に戻った。
しばらくして、後方(うしろ)を振り返ると、もう、おばあさんの姿は見えなくなっていた。
煌々(こうこう)と冴(さ)えている月の下を、夜烏が「ギャー」と一声残して通り過ぎた。
 翌日、昨夜のおばあさんのことを思い出した。今まで、ぼくらの村でお遍路さんを見たことはいちどもない。しかも、夜に灯りも持たずに歩くなんて、いかにも不自然だ。
「人は死ぬと49日までに極楽へ行き着かねばならん。初めの7日までに三途(さんず)の川を渡り、次の7日までに閻魔(えんま)様のところへ行かなければならない。7日を一区切(ひとくぎ)りとしていろいろな難関を越えて49日で仏(ほとけ)さまになれるんだ。だから、この世に残った者は、7日ごとに念仏をあげて応援するんだ。昨夜見たというおばあさんは、その道中だったのだろう」
 祖母が教えてくれた。
「それにしても、なぜ、あんな所を歩いていただろう」
「村境の隧道近くに、死んだ人を骨にする焼き場があるだろ」
「死者の旅立ちは焼き場からか。そんなことないよ、死んだ人がこの世の道を歩くはずないよ」
 ぼくは祖母の話を否定した。
「普通は見えない。だが、何かの現象で見えるらしい」
「じゃ、しょっちゅう出合っているけど見えないだけか」
「そうだ、生きている人間からは見えないが、死んだ人からは見えている」
 だから、悪いことをすれば、すべて見られていると祖母が言った。
「でも、怖くなかったぞ」
「そりゃーそうさ、幽霊やお化けではない、極楽へ旅立っていく人だ、怖くなんか無いよ」
 祖母は死んだ人はすべて旅をする。だから、死者を棺に入れるとき草鞋(わらじ)と銭(ぜに)を入れるのだと言った。
 普通は人の目には見えない。だが、何かのかげんで見えるときがある。と祖母は口の中で念仏を唱えた。

「昨夜、温泉津からの帰りにお遍路さんに遭ったよな」
 次の日、Y君に聞いた。
「うん、出遭った」
「変だと思わないか、あの時間に、提灯も持っていなかっただろ、それに、この村はお遍路さんが通るような村ではないよな」
「確かに変だ」
「祖母は、死んだ人の旅姿だというんだ。焼き場から旅立って極楽へ向かっている人だと。昔は土葬だったから、墓場から旅立っていたが、今は火葬だから火葬場から出発するらしい」
「ほんとか、うそだろ」
 Y君の声が震(ふる)えていた。全身に鳥肌が立った。ぼくも口を閉じることにより震える声を喉の奥に封じ込めた。