温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

トンネル

 土曜日の授業は12時すぎに終った。あとは弁当を食べて帰るだけだ。
 気のあった仲間で、学校裏の海岸に出て弁当を食べることにした。
 弁当を食べながら、すばらしくいい天気だということに気づいた。
「このまま、汽車で帰るのはもったいないな、浅利まで一駅だけ歩こうか」
浅利から通学しているS君が、歩いても7、8キロしかないから、2時間もあれば歩けると言った。
「よし、歩こう」
中学からの同級生で、いつも一緒に通学しているS君と3人で、のんびりと国道を歩いて次の駅・浅利を目指した。
歩いても汗をかくこともない、さわやかな風が心地いい。ぼくと2人のS君は、たわいない話をしながら歩いていった。
 江津から浅利へ通じる道が峠越えにかかろうとしたとき、道の横を走っている線路の先にトンネルが見えた。毎日、汽車で通っているトンネルだ。
「トンネルを抜けようか」
峠を越えるよりはるかに近くて楽だ。それ以上に、1回でもトンネルを抜けてみたい好奇心もある。
「今の時間、汽車は通らないはずだ」
「信号も下りていない」
 浅利のS君の家は線路のすぐ近くだ、汽車の通る時間はすべて覚えている。それでもと線路に耳を当てた。
「大丈夫だ、近くに汽車は居ない」
 懐中電灯を持っていない3人は、身丈ほどの細竹で線路をたどりながら入っていった。
 たちまち目の前が真っ暗闇になった。足元さえ見えない。はるか先の出口が小さく見える、100メートルはありそうだ。出口の光に目を据えてゆっくりと進んでいく。線路に当てた竹の音が反響して、無口になったぼくらの代わりに、3人の存在を示している。
 ほぼ、中央にきたときだった。コトコトと線路が鳴りだした。耳を線路に当てなくてもはっきりと分かる音だ。だんだん大きくなっている。
「汽車だ」
入口も、出口も遠い、走っても間に合わないし真っ暗闇の中では走れない。
「どうする」
 あわてた。
 壁際の側溝に身を横たえるしかないかと思ったとき、
「壁には、線路工夫が避難する穴があるはずだ」
 浅利のS君が言った。
 目をこらして壁をたどった。
「あった」
 5メートル先の避難壕に飛び込んだ。奥行き1メートルほどの横穴だった。
「顔をだすなよ、見つかれば汽車を止めてしまうぞ」
 トンネル内に人がいることを機関手が知れば、安全のために汽車を止めてしまう。そんなことをすれば大変な問題になる。学校も大騒ぎするだろう、莫大な損害金を国鉄から性請求される。

 ぼくらは退避壕の奥に身を寄せて、じっとしていた。
 ゴトゴトゴトと線路を鳴らしていた機関車が、トンネルの入り口に姿を現した。
「ボーッ」
汽笛一声、トンネルの入り口を塞いだ怪物が、真っ黒い煙に身を包みながら突入してきた。
「ゴー」
トンネル内の大気を揺るがせて近づいてくる。
「シュッシュッシュッ」
機関車の横に排出される蒸気が、すさまじい音とともに、ぼくらの前を通り過ぎた。
とたんに、音が小さくなった。
「ゴトゴトゴト」
 レールの継ぎ目を越える音だけが、いつまでも続いている、貨物列車だった。
旅客列車の時間は覚えているけど、貨物列車までは気がつかなかったとS君が弁解した。
 早々に線路を離れて国道に戻った。