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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

閑話休題

不言城跡への登頂
 2014年11月、村には歴代にわたる恩義があるにもかかわらず都会へ移住した負い目から跼天蹐地の思いで、不言城殿屋敷西側の谷川沿いの道を入った。

 この先しばらく行くと民家がありその横に登城路があるはずであったが、道は途切れその先は立ち入ることの不可能な雑木林になっていた。あと10メートルほど直進すれば山からせりだした岩のくぐり道があり、その中に数体のお地蔵さんがあったが(こちらを谷山の地蔵さんと呼んでいた)今はどうなっているのだろうか。
 登城路は左折して殿屋敷に入るように造ってあり、少年時には畑になっていて屋敷跡の全貌が見えていたが、今は植林された杉が立ち並び視界も悪くなっているためずいぶん狭く感じた。
 殿屋敷から城山への登城路を上ってすぐの岩窟にある石仏にお参りすると、岩窟内左手に数体のお地蔵さんがならんでいた。少年時には無かったから、下のくぐり路内にあったお地蔵さんをこちらに移したのであろうか。
 登城路の山道を登り城跡に至ると正面に高さ約2メートル、幅約5メートル(記憶に基づく目算)ほどの石垣があったが、それが無い。さらに石垣の下を左折した場所にあった城門の跡には観音扉式の木戸の支柱を受ける丸い窪みを付けた礎石が残っていたが、これも無くなっていた。
 あれだけしっかりした石垣はどこへ消えたのか、崩れて落下したのであればそこら辺りに散乱しているはずであるがそれらしき石さえない。おそらくどこかへ移転したか流用されたのであろう。
 城跡の石も多くが無くなり土盛りの檀だけになっていた。
 
 また麓の殿屋敷に通じる入り口(大門跡)は閉鎖され、その先は雑木や蔦で立ち入ることもできないありさまになっていた。
大門の左手に盛られた土居こそ、他では類を見ない中世山城の貴重な遺産として残されるべきものだと思う。
 私有地であるがための負がでてしまったのであろうが、かえすがえすも残念としか言いようのない思いをし、50数年ぶりという年月の長さを痛感した登城であった。

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        殿屋敷跡想像図