温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

墓守り(はかもり)

夜中に戸を叩く音で目を覚ました。
「どきっ」と胸が高鳴った。こんな夜更けに人が来るということは、悪い知らせしかない。祖母と母の顔色が変わっていた。返事をする声も緊迫した小さな声だ。
 玄関に、近所のおじさんが立っていた。
「さきほど、○○さんの、おばあさんが、お参りになりました」
 おじさんは、神妙な口調で口上を述べると、次の家へ向かった。
「それは、お寂(さび)しいことで」
 祖母と母が丁寧に腰をかがめて、おじさんを送り出した。
「早かったの、まだ、病気で寝込んだばかりなのに」
 祖母と母は身づくろいを済ませると、そそくさと○○さんの家へ向かった。
「○○さんの、おばあさんは亡くなったということだよな」
 寝具に横になったまま、目を開けている兄に聞いた。
「そうだ、あんなときは、死にました、とは言わないものだ」
 なんであんな遠まわしの言い方をするのかは分からないと言った。
 
 次の日、早朝から祖母と母が○○さんの家へ手伝いに行った。これから、葬式が終わるまでの3日間、○○さんの家の人は、何もしない。亡くなったおばあさんの横に座っているだけだ。三食の食事も村の人が作る。村中の大人が総出で葬式を行うのだ。祖母と母は村のおばさんらと一緒に台所仕事を受け持っている。葬式の後、参列者に食べてもらう「お斎(とき)」も作るのだ。
 葬式の日、ぼくにも手伝いに来いと祖母から呼び出しがあった。「近所の遊び仲間は誰も行ってないはずだ。それに、兄ではなく、なんでぼくだよ」と、不満をもちながら行くと、店まで買い物に行く役目だった。長老の祖母が賄方(まかないかた)の総指揮をとっている立場上、ぼくを呼び出したのだ。「醤油を買って来て」「豆腐を買って来て」次から次と用事を言いつけられる。そのつど。購入品目と金額を書き留める「通い帳」を持って店へ行った。
 昼前、「ごくろうだの、墓へ行ってくれるか」手伝いのおじさんから言われて寺の裏山にある墓へ上った。
墓地では、男の人が3人で土葬用の穴を掘っている最中だった。2メートルほどの深さにするのだ。すでに1メートルほどの深さになっていた。そのとき、
「ほい」
 と、穴の中から木の根株のような塊をぼくの手元に放り上げてきた。
「ほい」
と、受け取って、よく見たら頭骸骨だった。
「なんだ、頭骸骨か」
 骨なら捨てるわけにいかない、すぐ近くにある墓の横に置いた。
「お前、驚かないのか、飛び上がってびっくりすると思ったのにな」
 ぼくを子供と見た男の人のいたずらだったのだ。
すでに、何百年も経っている骨だ。土にまみれ黒こげ茶色をした骨を見ても別に驚きもしない。
「骨だから」
 骨だから粗末には扱えないと言いたかったが相手は大人だと気付いて口を閉じた。
穴が掘り終わった男の人らは帰っていった。ぼくの知らない人ばかりだった。墓穴を掘る専門の人がいるようだ。
ぼくと近所のおじさんの2人だけが残った。
「葬式が終わって、ここに埋葬するまで、この穴の護(も)りをするのだ。」
とおじさんが教えてくれた。
「墓の穴護り(あなもり)だよ」
冗談めかして言う、このおじさんとは普段、よく出会っていたが、挨拶しかすることのないおじさんだ。
 ぼくは、朝から、店まで何回も行ったり来たりして疲れていた。おじさんが墓地の端に腰掛けたのでぼくも横に座った。墓地を覆う杉の林が風に吹かれて大きく揺れ、松籟が通り過ぎていた。
もう、式も始まったころだなと思った。
 
 しばらく経ったとき、
「遅くなりました」
と言いながら、隣のおじさんが上ってきた。手には重箱の包みと水筒を持っている。おじさんは背負(せお)ってきた茣蓙(ござ)を敷いて重箱を広げた。
ごちそうがいっぱい詰まっている。墓護り役のおじさんとぼくに猪口(ちょこ)を持たせて銚子の酒を注いだ。
ぼくの母と同じぐらい年上のおじさんに傅(かしず)かれて気は引けたが、横のおじさんの真似をして
「いただきます」
と、神妙に礼をした。
「では、よろしくお願いいたします」
 隣のおじさんが深々と礼をして坂を下りていった。
「さてと」
おじさんは正座していた足を胡坐(あぐら)にして、ごちそうを食べはじめた。
 酒が好きで、よく赤い顔をしているおじさんが銚子の酒を飲もうとしない。注ぐべきかどうかを迷ったので、
「酒を注ぎましょうか」
と聞いた。
「いや、今日は止(や)めておく」
 おじさんは、にゃっと笑って猪口を置いた。
「今日は、大切な役目を負っている」
 おじさんは自分に言い聞かせるように呟(つぶや)いた。 
 2時間ほども待ったとき、山の下から葬列が上って来るのが見えた。
 おじさんとぼくは茣蓙(ござ)を巻いて立ち上がり、神妙に死者を迎えた。