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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

裏山の竹林

 

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 裏山の裾に竹が群生していた。
 真竹、淡竹(はちく)、孟宗竹(もうそうちく)が縄張り争いをするかのように範囲を広げていた。
 これら三種類の竹には、その用途において大きな違いがあった。
 真竹は、太さが10センチほどにもなる大きな竹だった。竹肉に粘りがあり加工しやすいことから、各種の籠や塵取りなどの網細工に適していた。
淡竹は太いものでも径が5センチほどにしかならない竹で、物干し用の竿竹に使った。鳥かごや、竹とんぼ、竹馬などの工作はこの竹を使った。冬に雪の重みで張り裂けるのもこの竹が多かった。
 孟宗竹は肉厚が太くて硬く粘りも少ないことから細工用としては使われなかった。だが、枝には細かい枝がたくさん付いていたから、竹箒(ほうき)の材料になった。
 真竹や淡竹の筍は6月にならないと生えないが、孟宗竹は5月のはじめには食べることができた。
 
地震のときは竹林へ逃げよ」
 祖母のくちぐせだった。竹は網の目のように根を張っているから山崩れや地すべりが起きない、といわれていた。ところが、昭和47年山陰大水害のとき、江川流域のある村では村の一番高台にある家へ避難していたが、裏山の竹林が崩れて大きな被害を受けた。絶対に動くことのない竹林が崩れてしまったのだ。
 高校2年のとき、淡竹と真竹に120年に一度しか咲かないという花が咲いた。
稲穂のような花だった。
 咲いたのは淡竹と真竹だけであり、『花が咲けば枯れる』という言い伝えどおり、翌年には、すべてが枯れてしまった。根までもが朽ちてしまうほど徹底していた。
物干し竿にも事欠くありさまとなった。

 もとの竹林になるのに10年かかった。