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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

別れ

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 写真・柳ごおり(離郷時持参のもの)

 昭和38年(1963)3月11日、夜行列車で離郷することになった。
「じゃーな、行くで」
 縁側に座って見送る祖母に、ぶっきらぼうなほど簡単な別れをつげた。

 今日を限りに、この家にぼくの居場所はなくなるのだ。初めて味わう寂寥感にとまどい、声がふるえるのを隠すためだった。
「気いつけてな、元気でおれるように毎日、仏(ほとけ)さんを拝んどくからな」
「うん」
 ぼくは小走りに石段を下りた。
 自転車の荷台にふとん袋を積み、母が2つの柳行李(やなぎごうり)を背負った。ふとん袋には新しい掛け布団、敷布団と枕が1つ入っている。新しい布団なんて初めてだ。柳行李の中は当座の衣類と洗面具、タオル数枚だけだ。
 学生服に学生帽を被って家を出たが、高校を卒業したのだから帽子はいらないと、祖母の横に置いてきた。年末のボーナスで背広を買うまで学生服で通勤することになる。
 山陰独特の、じめじめとした永い冬も終わりに近づいたのか、ここ数日は晴天の穏やかな日が続いていた。
「卒業したら、おもいきり遊ぶぞ」と楽しみにしていたのに、卒業式の翌々日には出社せよとの就職先からの通知がきていた。残念だがしかたない、心残りのまま上京だ。
 村はずれの曲がり道に来た。ここを曲がれば、もう、ぼくの家は見えなくなる。こんど帰って来るのは正月だ、それまでは帰れないだろう。
 駅まで送ってくれるY君や友達に気づかれないよう、さりげなく家を振り返った。いつも見慣れた家だった。祖母は見えない。いつまでもこちらを見つめているであろう祖母の姿を想って、「おばあちゃん元気でな」と、口に出せなかった言葉を心の中で言った。