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温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

投稿へのあとがき

 これは私にとって終活の一環です。
 1944年に生まれてから高校時代までの多感な時期を家族と苦楽をともにした時期とは、戦後から1950年代中期にわたる時期、すなわち日本が高度経済成長期・産業構造の転換期を迎える前夜にほかない。当時まだ地域の個性や静けさの残っている村の四季折々の暮らし、幼い日々への止みがたき郷愁を、半世紀という多くの年月が過ぎ去り、いよいよ遠ざかっていくばかりのふるさと、まさに失われ往く原風景を思い起こしながら物語という形で記録してみました。
 数年前に古希を過ぎて今思うとき、長年かかって書き留めた本稿を我が命の終焉とともに消滅させるには、あまりにも寂しい思いもあり、またふるさとの方々に発信したい思い、たとえば、

 昭和18年山陰大水害による流失田畑の回復のため広島から助けに来てくれた勤労奉仕隊の学生さんたちは、広島原爆のまさにピカドンの瞬間、奉仕隊として農作業のため国鉄で移動中トンネルの中であったことが幸いして全員無事であったこと、

 不言城麓にある殿様屋敷跡はほぼ完全な形で残っており、特に屋敷を防護する土塁は中世山城の歴史的遺産として他に類を見ない規模であること、

 江戸時代福光の西条柿は有名で浄光寺柿と呼ばれていたこと、

 さらに信心深い村の先人であった石工さんによる250体を超える石仏が村を見守ってくれていること等々を書き留めてみました。
 何度読み直しても誤字、脱字、入力ミスの露見する稚拙な文章ではありますが、ふるさとを想い出す糸口、話の種になれば幸甚でございます。