温泉津町福光・遥かなる故郷

僕の少年時代(昭和20年から30年代)の思い出

村祭り

村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓 (童謡・村祭り)

桐と松

盆の数日前、祖母が隣町から兄弟3人分の下駄を買ってきた。 盆踊りに履く歯の短い下駄である。さっそく履いてみようと玄関に持っていくと、 「だめだ、新しい物は夜におろすものではない」 迷信を信じる祖母に止められた。しかたない、明日の朝にするかと座…

 製糖工場

高校2年の春、国鉄の汽車で通学していた。 学校があるのは僕の家の最寄り駅から三つ目の駅だったが、その一つ手前の駅裏手で造成工事が始まった。 大きな工場が建つらしく、既存の町営住宅を別の場所に移し、さらに周辺の松林も切り開いて平地に造成した。 …

兄弟おじさん

小6から新聞配達をしたアルバイト先は40代と30代のおじさん2人で地域の中継配送を受け持っていた。おじさんたちは午前3時に出発して30キロほど離れた町まで当日の朝刊を受け取りに行き、受け持ち地区内に配送していた。 そのために自動車やオートバ…

温泉津町福光・遥かなるふるさと(追補版)

よもやま物語

聴聞

僕の家から見える位置に3軒のお寺があり、それぞれ真言宗、浄土宗と禅宗であった。 これらのお寺では数年ごとに法会が行われていた。 ある日曜日、真言宗のお寺で法会(ほうえ)があった。数年にいちど行われる法要(ほうよう)で読経と説教がある、そのうえお…

 百葉箱

小学校の前庭に百葉箱と雨量計があった。百葉箱の中には気温と湿度を測る乾湿計が置いてあった。 百葉箱の周辺は芝生になっていて、その中に雨量計が半分土中に埋められた状態で設置してある。 授業で使うのは高学年になってから1回だけであとは放置状態だ…

オルガン

小学校の1年から6年までの各教室にオルガンが1台ずつあった。 オルガンはアコーディオンやハーモニカのようにリードを風で振動させて音を出すもので、足踏み式のフイゴを動力源としていた。 1年から4年生までは女先生がクラス担任になり、音楽を含むす…

寄合(よりあい)

午後7時を過ぎているのに祖母は家の中にいる。 「おばあちゃん、もう7時を過ぎとるで、今夜は寄合だろ」 寄合と言っている集落の会合場所は集落の外れ近くにある寺だ、祖母の足では10分はかかる。 「そんなに、待ってましたというように早く行くものでは…

大阪

中学1年の夏休みに大阪の叔母の家へ遊びに行った。 夏休みが始まるとすぐに従兄が遊びに来て、8月14日までを僕の家で遊び、後半を大阪へ行くことにした。 8月14日早朝、すっかり夜は明けていた。田舎の朝は早い。近所のおばさんが、もう田んぼに入っ…

高校2年のときだった。朝、教室は重苦しい雰囲気に包まれていた。あちらこちらで集まって小声で話している。 「どうしたんや」。 「Yが死んだ」 「Y君か、どうして」 「自殺らしい」 一番前の列にある自殺した彼の席は空いていた。 同じ中学出身のO君も事…

青酸カリ

もう50数年前の話になる。 当時僕は工業高校の工業化学科3年だった。 ある日、担任が神妙な面持ちで教室に入ると「皆、よく聞いてほしい」 いつもニコニコして愛想のいい先生だから皆が親しみを持っている担任だった。こんな神妙な顔を見るのは初めてだっ…

映画

「今晩映画に行くから昼寝しときや」 野良仕事に出かける母が言った。 「やったー」 僕は飛び上がって喜んだ、4歳の頃の思い出だから昭和23年頃のことだ。 当時、村に映画館は無く、年に数回公会堂(芝居小屋)に巡回映画が来ていた。 さっそく枕を出して…

炬燵(コタツ)

堀コタツ ネココタツ 湯タンポ コタツ櫓 中学2年の11月、朝から冷たい雨が降っていた。 祖母と母は近所へ葬式の手伝いに行って、家には長兄と僕だけが座敷に寝転んで本を読んでいた。日曜日というのに雨だから外では遊べない。 「寒い」と思ったがまだコ…

七輪(シチリン)

かき餅 外はみぞれ交じりの雨が降っている。 せっかくの日曜日だというのに外で遊べない、近所の友達も家から出てこない。長兄や次兄はどこかへ行っている。 「退屈だなー」 僕はこたつの中から外を眺めているだけだ。 「勉強しいや」 祖母は言うが僕にその…

焙烙(ほうろく)

秋になると集落の中ほどにある大きな椎(シイ)の木の実が落ちていた。 服のポケット一杯になるほど拾って持ち帰ると、祖母が焙烙鍋で炒ってくれた。小さいが香ばしくて美味い実だった。 焙烙とは分厚い素焼きの土鍋である。油を使わないからゴマや大豆など…

ふるさと

うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川 ゆめは今も めぐりて わすれがたき ふるさと 童謡・ふるさと

わが家

写真・わが家(昭和35年3月撮影) 今は昔、思い起こすと60数年前の話になる。 昭和19年(1944)5月、島根県の静かな山村にぼくは生まれた。 海岸近くを走っている山陰本線の石見福光駅から東へ、山に向かって2キロメートル、歩いて30分ばかり…

電灯

絵・白熱電球 家に電燈は1灯しかなかった。上(かみ)の座敷に40ワットの裸電球が長いコードを付けてぶら下がっていた。 食事のときには台所へ、寝るときには納戸へと、コードを伸ばし移動して、その部屋の天井に取り付けたフックに掛ける。 電灯を上の座敷…

納屋

絵・唐臼(からうす) 屋敷の東側に納屋がある。ある日、父が牛を買ってきて、みかんの木に繋(つな)いでおいてから3日間で建てたというものだ。 それでも、奥行き2間、横3間の2階建てであった。 建材は裏山の桧(ひのき)で藁葺(わらぶ)き屋根だった。壁は…

風呂と便所

ぼくがまだ5、6歳のころ、大工をしている湯里の伯父さんが風呂と便所を建ててくれた。 それまでの風呂がどのようなものだったのかは記憶にないが、便所は深い大きな穴に2枚の厚板を渡しただけのものだったから、「子供が便所に落ちたらかわいそう」 と、…

井戸

前庭にある井戸は、昭和13年の大干ばつで飲み水にも困ったときに掘ったものだった。 水面までの深さは7,8メートルほどだったが、幸い山の水脈に通じていたからいつも一定の水量を保っていた。 水は物干し竿のような長い竹に取り付けた釣瓶で汲み上げて…

果物

屋敷の中に太さが両手で一抱(ひとかか)えもある柿木が2本、これには西条柿が鈴なりに実った。 高さは15メートルほどもあったので、長い竹の先端を山形に削って少しだけ二つに割り、柿の付いた枝を挟んで折り取った。それでも頂の方を採るためにはハシゴを…

「猫の額(ひたい)」という言葉がぴったり当てはまるほど村は狭い。 平地は田んぼを優先していたから、畑は必然的に僻地に押しやられる。 だから、耕せる場所はどんな所でも畑地とした感があった。 村内に残っていた城跡や屋敷跡、濠跡などはそのほとんどが畑…

家族

祖母と母、それに長兄と次兄そしてぼくの5人家族だ。 長兄と次兄の年齢差は2年、次兄とぼくとは4年ある。 長兄の性格は、おっとりしておとなしい。 跡取りがなかなかできなかったことから、祖母がお大師さまに願(がん)をかけたら彼岸(ひがん)の日に生まれ…

新緑のころ

食生活

3反の田んぼと少しばかりの畑があったから、自給自足で家族5人が食べていくうえでの不自由はまったくなかった。 「都会ではおかゆやすいとんしか食べるものがない、皆が腹を空(す)かしている。百姓は食うものに困ることはない、百姓でなければだめだ」 祖…

おばあちゃん

いつもにこにこと微笑を浮かべていたが大きな声をたてて笑うことはなく、ぼくの記憶の中におばあちゃんの高笑いは聞いたことがなかった。「他人の物を盗ってはいけない、もしそのようなことをしたら、そこの石段を上がらせない」 縁側で夕涼みしながら、屋敷…

昭和19年7月、生後60日の僕を残して父は出征した。 「お母さん、この子を頼みますよ」 村中の人が見送りに来ている面前で、屋敷の階段を下の道まで下りては上って祖母に頼んだ。7回も上り下りを繰り返した。「村のみなさんが見送りにきてくださってい…

鶏(ニワトリ)

絵・名古屋コーチン 絵・レグホン 「ヒヨコが生まれたよ」 母の声に布団から飛び起きて上がり框(かまち)に走った。 土間に藁(わら)を敷いて設えた臨時の寝床にニワトリが座(すわ)っている。「コッコッコ」と呼びかける声がとても優しい。「ピヨピヨ」と声ha…